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邪馬台国の謎 (12)

計其道里 當在会稽東治之東 其風俗不淫 男子皆露紒 以木緜招頭 其衣横幅 但結束相連 略無縫 婦人被髪屈紒 作衣如単被 穿其中央 貫頭衣之 種禾稲紵麻蠶桑 緝績出細紵縑緜 其地無牛馬虎豹羊鵲 兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鉄鏃或骨鏃 所有無與儋耳朱崖同 倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣 有屋室 父母兄弟臥息異処 以朱丹塗其身体 如中国用粉也 食飲用籩豆 手食 其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十余日 當時不食肉 喪主哭泣 他人就歌舞飲酒 已葬 挙家詣水中澡浴 以如練沐

魏志倭人伝

その行程・里数から、会稽かいけい東冶とうやの東に位置すると考えられる。
倭の風俗は淫らではない。
男子は、冠をつけず、木綿を頭に巻いている。
衣服は横幅の衣で結んでいるだけで、縫製はしていない。
女性は髪を結っているが、露出させている。
衣服は貫頭衣である。
稲や苧麻ちょまを植え、蚕の繭を織り、麻糸・絹織物・綿織物を作っている。
牛・馬・虎・豹・羊・かささぎがいない。
武器は、矛・盾・弓を使う。
弓は上が長く下が短い。
竹の矢に鉄の矢じりや骨の矢じりをつけている。
物産品は、儋耳たんじ朱崖しゅがいと同じようなものである。
倭は温暖な地域で、冬でも生野菜を食べる。
みんな裸足で歩いている。
建物には部屋があり、父母兄弟、別々に寝ている。
体に朱丹を塗っている。
中国で粉を塗るのと似ている。
竹製の食器で飲食を行ない、手づかみで食べる。
死ぬと棺桶に入れて弔うが、(棺を保護するための)槨はない。
土を盛って塚をつくる。
服喪期間は十日余りで、その間、肉を食べず、喪主は哭泣する。
遺族以外は、歌や舞で鎮魂し飲酒をして弔う。
葬儀が終わると、遺族は水浴びをして死の穢れを祓う。

魏志倭人伝を読んで、当惑したのも無理はなく、
そもそも、魏志倭人伝自体が、邪馬台国の位置を

会稽・・・紹興市付近 (緯度としては種子島ぐらい)
東冶・・・福州市付近 (緯度としては沖縄本島ぐらい)

の間ぐらいで考えていたことが分かります。
【注】会稽・東冶の位置は諸説あります。

風俗的には、南方の影響が色濃く表れていることが表現されています。
儋耳たんじ朱崖しゅがいは、現代の海南島付近(中国マカオからベトナムハノイにかけての地域)を指しますので、かなりの南国と受け止められていたようです。

このように、魏志倭人伝の編纂者が、邪馬台国を台湾近辺の国と認識していたことが分かります。
ということは、魏志倭人伝自体が、間違った記述をしているので、方位や距離を信じても邪馬台国を見つける具体的史料にはなりにくいと考えることも可能です。
その一方で、春秋の筆法で記載されているため、読み解けなていないだけだという説もあり、なかなかにややこしいのが現実です。

其行来渡海詣中国 恒使一人 不梳頭 不去蟣蝨 衣服垢汚 不食肉 不近婦人 如喪人 名之為持衰 若行者吉善 共顧其生口財物 若有疾病遭暴害 便欲殺之 謂其持衰不勤 

魏志倭人伝

中国に渡る使者の中で一人、髪の毛を梳かず、虱も取らず、衣服も垢で汚れるままにし、肉を食べず、女性も近づけず、喪に服しているかのように過ごす役割の人がいる。
これを持衰じさいという。
旅が無事に終われば、奴婢や財宝が褒美として与えられる。
暴風や病気が蔓延したら、殺されることになる。
持衰としての務めを果たせていないとされたからである。

まじないのたぐいですが、いわば生贄に近いですね。
それでも航海が無事に終われば、褒美がたっぷりもらえるので、生贄よりは随分と良いでしょうが・・・

出真珠青玉 其山有丹 其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香 其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷 不知以為滋味 有獮猴黒雉

魏志倭人伝

倭では真珠や青玉を算出し、山には丹がある。
ぜんとちのき橡樟くすのきぼけくぬぎすぎ橿かし烏號やまぐわ楓香かえでといった木がある。
しのだけやだけ桃支かづらだけといった竹がある。
しょうがたちばなさんしょう襄荷みょうががあるが、食材になることを知らないようだ。
獮猴おおざる黒雉くろきじもいる。

この辺りは、倭の産物を紹介するくだりです。
今でこそ、真珠といえば伊勢ですが、邪馬台国の年代だと、九州の遺跡から多く産出されています。
また青玉は、筑後国で取れたようで、後世でも税の代わりとして納められていたようです。
丹は赤土のこととされています。
ただ、上記の産物は、他の地域でも取れないわけではないので、場所の特定に至るほどの情報とは言い難いです。

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まっちゃん
しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。