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邪馬台国の謎(9)

始度一海 千余里 至 対海(対馬)国 其大官日卑狗 副日卑奴母離 所居絶島 方可四百余里 土地山険多深林 道路如禽鹿徑 有千余戸 無良田 食海物自活 乗船南北市糴 又南渡一海千余里 名日瀚海 至一大国 官亦日卑狗 副日卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴 又渡一海千余里 至末盧国 有四千余戸 濱山海居 草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深浅 皆沈没取之

魏志倭人伝

朝鮮半島南岸の狗邪韓国くやかんこくからは、海路となる。
千里余りで対海国に至る。
そこの長官は、卑狗ひくという。
副官は、卑奴母離ひなもりという。
海に浮かぶ絶島(孤立した島)であり、四百里四方の大きさである。
土地は山がちで険しく、深い林が多い。
道は、獣道程度の幅しかない。
千戸余りの住民がいる。
島には、良田がなく、海産物を取って自活しているが、船に乗って南北の市に行き、不足分を賄っている。
対海国から、また南に千里余り海を渡ることになる。
この海を名づけて瀚海かんかいという。
一大国に至る。
ここの長官もまた、卑狗ひくといい、副官も、卑奴母離ひなもりという。
この島は、三百里四方の大きさがある。
竹林があり、三千程度の家がある。
対海国と違い、田畑が多少はある。ただし、自給自足するほどの収穫量はなく、ここでも南北の市場で不足分を賄っている。
一大国からさらに南に千里余り海を渡ると、末盧国まつろこくに到着する。
四千戸余りの住民がいる。
山と海に挟まれた地で暮らしている。
草木が生い茂り、前を行く人が見えないほどである。
魚やアワビを捕るのが好きで、浅い深い関係なく、水に潜りこれを捕っている。


このくだりでも、謎や疑問は出てきます。

  1. そもそも、【官】と呼べるほどの行政組織があったのだろうか?

  2. 【戸】と【家】の違いは? 人口はどれぐらい?

という点です。

行政機構については、大げさなものはなかっただろうなと思っています。
恐らくは、有力者がいて、それを補佐する人がいてという感じで、それを震旦式に官や副官として表現したのだろうと思っています。

次の疑問である【戸】や【家】。
これについては、考察している文献は少ないようです。
色々と探してみると、魏志韓伝の文章からの推理がありました。

菊地昌美さんという方の考察です。

弁・辰韓合二十四国、大国四五千家、小国六七百家、総四五万戸。

魏志韓伝

弁韓と辰韓を合わせてみると、二十四か国ある。
大国では、四千から五千の家がある。
小国では、六百から七百の家がある。
二十四か国合計で、四万から五万戸である。

とりあえず、真ん中の数字を取ると、

二十四か国で、四万五千戸あると設定できます。
ということは、一国平均でみると、

45,000戸/24国=1,875戸/国

ということになります。
ここで、菊地昌美さんは、

一戸=二家

という仮説を打ち立てておられました。
(一戸=三家では、大国数が30となり、24か国を超えるため。)

90,000 = 4,500X + 15,600 - 650X
74,400 = 3,850X
X = 19.3246・・・

で、その結論は、大国19 小国5 というものでした。

個人的には、大国の比率が高いなあ・・・という感想でした。
私の中では、過程として、小国が併呑されて大国になっていくというイメージがあるからです。
大国は小国の約7倍です。ここまで、大国が多くなってしまうと、さっさと大国に併合されるか、小国同士が寄り集まって大国になった方が安全です。
もちろん過渡期にあるという考えも成り立ちます。
だから、菊地昌美さんの仮説が正しいものであってもおかしくないです。

単純に、個人的には違和感を感じた、というだけのお話です。
でもまあ、せっかく違和感を感じたのですから、もう少し、ほじってみましょう。

ここで、思い切って、家=戸とすると(つまり同じ数とすると)
大国 : 4,500家(戸)
小国 : 650家(戸)
大国の数をXとすると、小国の数は、(24-X)
つまり、

45,000 家(戸) = 4,500 * X + 650 * (24-X)

という方程式に置いて考えることが出来るようになります。

45,000 = 4,500X + 15,600 - 650X
29,400 = 3,850X

X= 7.6363・・・

となります。
つまり、大国は7~8か国。小国は16~17か国。
バランスとしては、違和感がなくなりました。

ただ、家と戸が同じ数だとすると、なぜ、書き分ける意味があるのか?
が、良く分かりません。

そこで、今度は思い切って逆転させて考えてみました。

二戸=一家

という考え方です。
こう考えると、総戸数45,000は半分の22,500家になります。

22,500 = 4,500X + 15,600 - 650X
6,900 = 3,850X

X=1.7922・・・

となり、大国1~2 小国22~23 となります。

こうなると、弁韓も辰韓も、代表となる大国が1あり、それを取り巻く小国が11程度あるという図式になります。

さて。震旦では、【戸】は徴税単位として用いられています。
特に、魏王朝では、【戸】ごとに物納を課する戸調を行なっていました。
そう考えていくと、何らかの物納を課せられている国が【戸】として表現され、物納による税制度以外の何かの税制である国が【家】として表わされたのかな?
と、思わないでもないです。 (つまり、【家】と【戸】は基本同じ扱い)

ただ、これはあくまでも、今の知識量からの推論に過ぎません。
今後も、知識量が増えるとともに、変化するかもしれません。
今は、こういう仮説として、まだ結論には至っていないところです。

追記

記事をUPして、読み返したときに、瀚海かんかいについて、触れることを忘れていました。

瀚は、広いという意味を持っています。
場所的には、対馬海峡(陸地によって狭まった海)になるので、なんか変とは思いますね。
清王朝の時代には、瀚海かんかいは、ゴビ砂漠を指していました。
こちらは、広いのですが、海と砂という点で、これまた違和感が。
多分、何らかの深い意味があるのでしょうね。
(ご存知の方、ご教示お願いします。)

他には、早い海として、海流の激しい海という意味に受け止めておられる学者さんもいるようです。
なかなか興味深いですね。
ということで、追記はこの辺にて。

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まっちゃん
しがないオッサンにサポートが頂けるとは、思ってはおりませんが、万が一、サポートして頂くようなことがあれば、研究用書籍の購入費に充当させて頂きます。