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母が遺したもの
今回は、はじめに
遺品整理のことを話した上で
母方の祖父母と、母のことについて
お話ししていきたいと思います
☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆
母が亡くなったあと
実家に遺された物の
あまりの多さに辟易した
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(Photo by ISSA)
当初は、廃品回収業者に一切合切
持っていって貰おうと考えたが
心情的に、そこまで合理的にもなれず
遺品整理を名乗る業者に相談してみた
ひとつひとつ、遺品を吟味しながら
要る要らないの仕分けを手伝ってくれる
そのようなイメージを抱いていたが
実際は、そんな感じではなかった
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これは、自らの手で仕分けが必要
そう考え直した私は
実家からの退去日を先送りし
遠方から、何度も何度も帰省して
遺品整理に取り組むことにした
それは、大変な作業ではあったが
遺品整理を通じて
私は多くの学びを得ることが出来た
(そのことについては、後述)
☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆
さて、母方の祖父のことから話そう
明治の後期に生まれた祖父は
熊本大学医学部を卒業し
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1935年に、27歳の若さで
済生会熊本診療所の
初代院長に就任した
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右から2番目が祖父
済生会は、明治天皇ゆかりの
歴史のある病院だ
その後、1938年に祖母と結婚し
母を含む子宝に恵まれた
これは、祖母の自伝から
抜粋したものである
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書き綴った祖母の自伝より
母は、祖母に連れられて
舞鶴から門司に到着した祖父を
出迎えに行ったが
長いこと会ってなかったので
しばらくは、お互いに
とても不慣れな感じが残ったという
祖父は、延岡で医師に復職し
馬見原病院の院長を経て
1953年に熊本市内に
自宅を兼ねた病院を構えた
しかし、その僅か1週間後 ・・・
新居は白川大水害に見舞われた
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それは記録的な大水害で
家財道具一切を流出し
新居はあっという間に
滅茶苦茶になってしまった
1953年6月26日、記録的豪雨が熊本地方を襲い、熊本市を流れる白川が氾濫。死者・行方不明者は563人、流された家屋は2,585棟という甚大な被害をもたらした。
戦後の貧困に耐えてきた一家は
度重なる不遇に耐え
どん底から這い上がっていった…
☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆
さて、母の話をしよう
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母は、熊本市内の高校に進学すると
体操部員として活動した
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卒業後は、実家で
祖父の診療を手伝いつつ
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夜も眠らない飲み屋街に変わっていった…
OLとして企業にも勤めた
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母の明るい笑顔は
色んなところで人目に
止まったらしく
地元企業のCMにも起用された
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そして、1965年の春に父と結婚
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未来は、希望に満ちていたことだろう
☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆
両親の馴れ初め話と
その後、私たちが生まれて
一軒家を設けたことは
前回、話したとおりであるが
取り分け、私 ISSA は
怪我の多い子供だった
ガラスのコップを素足で踏みつけて
足の裏を十数鉢も縫ったり
ドラム缶の焼却炉を
飛び越えようとして失敗し
右腕に火傷を負ったり
学校のプールでバク転飛込をして
壁面で頭頂部を強打し
辺りが血の海になって
救急車を呼ぶ騒ぎになったり
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翌日「プールでバカな事をしないように」
と書いた張り紙がなされた …
(Photo by ISSA)
その度に「またか!」
と叱られながら
祖父に診てもらっていた
私の右手には
祖父の執刀で切除してもらった
イボの傷跡が今でも残っている
☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆
生来的に、母は教育者であった
親父にもぶたれたことないのに
(アムロみたいに?)
母からは、色んなことで
厳しく叱られた
素行が悪いと、すぐビンタが飛んできて
その度に、目が覚めるような思いがした
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厳しく育てられた ISSA
私は、そのように物事の善悪を
厳しく叩き込んでくれた母に
今でも心から感謝している
☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆
思えば、母は笑顔が印象的で
社交的で、実に多才だった
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教育熱心ゆえにPTAで活動したほか
医療事務、ホームベーカリー、刺繍、
水彩画、油絵、編み物などを通じて
積極的にコミュニティと関わった
遺された沢山の賞状が
そのことを物語っている
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学生の頃、当時はまだ珍しかった
手作りのガーリック・トーストや
ピロシキがとても美味しかった
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油絵、水彩画、刺繍、編み物は
遺作が残っていたので
折角だからこの場をお借りして
紹介しておきたい
先ず、油絵(一部を抜粋)

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受賞作品もあったはずだが
今となっては
どれが受賞作品なのかは
分からない

水彩画も描いていた
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※巻頭のカバー写真も母の遺作です
(Created by ISSA's Mother)
刺繍もやっていたし
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後年は、編み物にかなり熱心だった
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「ほらっ!編み物し過ぎて
こぎゃん指が曲がってしもた!」
と、いつも冗談めいて
話していた母を思い出す
時折、編み物仲間と
展示会を開いていた

「アートニット」というらしく
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ニットデザイナーの広瀬光治さんは
この道では有名なお方のようだ

このように、母が
大変、手先が器用だったのは
祖父譲りだったのだろう
祖母の自伝に
次の記述が見つかった
〇〇〇〇(祖父) 74才病没
外科医として最高の腕で
手先の器用さは天下一
手術を受けた大勢の患者さんは
大変よろこび
然るに「医は仁術」の
立派な精神の方であった
子供たち〇人共
手先の器用さを受けつぎ
それぞれ立派な家庭を持った事
よろこばしき事なり・・・
祖母も、母も、
とにかく達筆で文才があった

そして私自身はといえば
絵心はないが
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贈った「百合の花」の絵
(Created by ISSA)
割と手先が器用で、文才もある
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母の還暦祝いに贈った「だるまペンギン」
(Photo by ISSA)
それは、すなわち
両親・祖父母が持っていた
資質や真心は、子や孫に受け継がれ
渾然一体となって生きている
ということなのかもしれない
☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆
話は変わるが、母の性格は
「不思議ちゃん」なところがあって
ナゾ過ぎる言動が
しばしば見受けられた
猫好きで、行く先々で猫をみかけると
とりあえず、ナデナデしに行く

(Photo by ISSA)
ただ、いつも扱いが雑で
あるとき、実家に住み着いた野良猫に
「なんねアンタ!そこにおったとね
ちょっと待っときなっせ!」といって
持ってきたカツオ節を
高窓からばらまく・・・

餌にありつけると思っていた猫は
唖然とした様子だった・・・(笑)
(Photo by ISSA)
また、健啖家だった母は
そのことに自覚がなかったようで
回転寿司に行くたびに
「ワタシは最近、食欲がなかとたい」
といいながら
気がつくと目の前に
十数皿を積み上げている
なんてことが良くあった …

バスを降りる時、運転士に
無理やりお菓子を握らせたりとか
ピュアであるが故に
周囲はいつも
「しょうがねえなあ・・・」
となってしまうのだ
そして、父との決定的な違いは
母は何かと世話が焼ける人だった
ということ
しかし、今にして思えば
母は、それによって
「お世話をしたい人が居る」という
尊い幸せを与えて続けてくれていた
故郷に、お世話をしたい人が
もう居ないというのは
とてもとても寂しい事なのだ・・・

☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆*★*☆
さて、本題である
「母が遺したもの」
について語ろう
それは、やはり父の場合と同じく
私自身の中に確かに根付いている
母が大切にしてきた
「生き方」や「考え方」なのだろう
ただ、
大らかな家柄であった父方には
「利他の心」や「一期一会」といった
「奉仕の精神」が中心にあった一方
躾けに厳しい家柄であった母方には
物事の善悪や、恥ずべき行為など
「倫理・道徳観」が中心であったと思う
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私はこの、一生に一度
あるかないかの
遺品整理という機会を通じて
ファミリーヒストリーと向き合う
という、かけがえのない時間を得た
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自らの手で遺品を整理する
これは体力的にも、気持ちの上でも
大変、苦しい作業であるが
敢えて、そうすることで
初めて見えてくるのは
若き日の両親・祖父母の等身大の姿・・・
彼らもまた、自分と同じように
未来に希望を持ち
純粋であるが故に傷つき、悩みもした
誰かにとり、愛おしい存在であった
そして、彼らは何を信念とし
如何なる才能を開花させ
どんな人生を歩んできたのか・・・
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その物語に
しっかり目を向けることで
今の自分が、父方、母方それぞれから
どのような資質や思想、考え方を
受け継いだかが浮かび上がり
自分はいったいどこから来て
この先、如何に生きるかが
より鮮明に見えるようになる
これが、冒頭で述べた
遺品整理を通じて得られた
貴重な学びだった
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父が亡くなった2020年以降
随分と、涙もろくなったものだ
深淵の縁に立たされ
沈思を重ね
たくさんの涙を流しましたが
「魂の成長」という名の
旅路において
涙は、より高次の自分(魂)を
呼び覚ますための良薬
なのかもしれません・・・
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お母さん …
今まで
本当にありがとうございました🍀

この日、飛び交うカモメと触れ合った母は
まるで少女のように輝いていました✨🌈
(Photo by ISSA)
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