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ひむか神話街道 ~ 鵜戸神宮を訪ねて

先日、宮崎県日南市の「ひむか神話街道」周辺にある、神武天皇や吾平津媛に関係する幾つかの神社を訪れましたので、今回は、そのご紹介です。
 
日南(にちなん)という言葉は、日向国の南部を表す地名として、中世の頃から用いられていたそうです。

ひむか神話街道と日南市・鵜戸神宮
(Created by ISSA)

鵜戸神宮
日南市の少し北の方にある鵜戸神宮(うどじんぐう)は南九州を代表する神社のひとつで、古くから安産・育児・縁結びの神様として厚い信仰を受けてきました。

日向灘に突き出た鵜戸崎は、国の名勝に指定されており、この辺りには海幸山幸神話前回記事参照)や、亀石お乳岩などの伝承が残されています。
 
神宮本殿は、この岬の断崖の中腹にある岩窟(海食窟)の中に建てられています。現在の本殿は、1711年に改築され、1890年及び1967年にさらに修理が加えられたものです。

大きな自然の岩屋の中にある鵜戸神宮本殿
(Photo by ISSA)

岩窟内に収められたお社は、当時のままのお姿といわれ、本当に見事です。

創建は、第10代・崇神天皇の頃で、第33代・推古天皇の御代に岩窟内に社殿が建ち、その後、仏教伝来とともに寺院も建立され、一時は鵜戸大権現、西の高野などと謳われました。
 
その後、明治政府が発布した神仏分離令によって寺院は廃されましたが、神社については神宮に昇格となり、今日に至っています。

亀石
山幸彦(やまさちひこ)のお妃・豊玉姫(たまよりひめ)が海中宮殿から来る時に乗っていた亀が岩と化したもので、投げた運玉が霊石・亀石の背中に入ると願い事が叶うそうです。

亀岩目掛けて運玉を一投
(Photo by ISSA)

お乳岩
出産の時に、本当の御姿(鮫?)を見られてしまった豊玉姫は、御子のために乳房を御神窟にくっつけて海中宮殿に帰られたため、御子は乳水で作ったお乳飴を乳代わりにしたと伝えられています。そのお乳岩からは、今もなお絶え間なく岩清水を滴らせています。
 
北原白秋の歌
参道沿いの日向灘を望む一角には、詩人・北原白秋が、ここを訪れた際に詠んだという歌が掲示されていました。

北原白秋が詠んだ歌
(Photo by ISSA)

 「鵜戸の海 夕虹明し まさしくぞ
  神降り立たす 天の浮橋」
           〜 北原白秋

北原白秋は、1885年に熊本の南関町で生まれ、19歳で上京するまで福岡県柳川市で暮らしました。 

海道東征
白秋が作詞を手がけた海道東征は、神武東征などの日本建国を称える讃歌で、1940年の皇紀2600年奉祝行事のために作られた日本初のカンタータ(交声曲)です。

日はのぼる、旗雲の豐の茜に
いざ御船出いでませや、うまし美々津を

海凪ぎぬ、陽炎の東に立つと
いざ行かせ、照り美しその海道

海凪ぎぬ、朝ぼらけ潮もかなひぬ
艪舳接ぎ、大御船、御船出今ぞ

第3章 御船出

古来、海との繋がりが強かった鵜戸神宮は、安産・育児・縁結びのみならず、航海の守り神としても、多くの海事関係者から信仰されています。
 
吾平津神社
鵜戸神宮から10kmばかり南に下ると、吾平津神社(あびらつじんじゃ)があります。

ここは、第43代・元明天皇の御代である709年に創建され、古くから乙姫大明神の名で親しまれていたようですが、明治維新の際に吾平津神社と改称されました。

神武東征の成功を御祈りする吾平津媛
(Photo by ISSA)

御祭神の吾平津媛(あいらつひめ)は、以前、ご紹介しましたが、神武天皇が南九州に在られた頃のお妃で、東征を見送り、生涯をかけて安全と成功をお祈りにされたといわれています。

1973年、伊勢神宮の式年遷宮と時を同じくして、崇敬者らの熱意と浄財で神殿が改築されて現在に至っています。

猫たちが、あっちこっちで日向ぼっこ💛
(Photo by ISSA)

吾田神社
日南駅のすぐ近くには吾田神社(あがたじんじゃ)があります。創建は不明ですが、幾度か改築が重ねられて現在に至っています。

深緑の森に包まれた吾田神社
(Photo by ISSA)

神社の裏山は、神武天皇と吾平津媛の間に生まれた御子である手研耳命(たぎしみみのみこと)の御陵とする伝承もあるようです。
 
1934年の神武天皇御東遷2600年祭に際し、神殿、拝殿ともに改築されて、1940年に神武天皇巡幸伝説地の石碑が建立されました。
 
駒宮神社
少し北側の街はずれにある駒宮神社(こまみやじんじゃ)は、1689年に再建され、旧称を駒宮大明神といい、神武天皇の幼少時の少宮趾(しょうくうし)と伝えられています。

七五三で賑わう駒宮神社本殿
(Photo by ISSA)

創建は不明ですが、記録によれば17世紀半ばに再建、18世紀に造営が行われ、明治期に駒宮神社と改められたようです。

八咫烏に導かれる神武天皇の像
(Photo by ISSA)

1934年の神武天皇御東遷2600年祭、及び1940年の紀元2600年祭に改修が施され、現在のような荘厳な佇まいとなりました。

所々に日本神話や天皇ゆかりの装飾が
(Photo by ISSA)

裏山には、天皇の御鉾をおさめたという御鉾の窟(みほこのいわや)などがありました。

岩の中腹に「御鉾の窟」がみえる
(Photo by ISSA)

例祭の時には、着飾ったシャンシャン馬が集まり、賑わいをみせるようです。


おわりに

私は、神社・仏閣やお仏壇の前では

「どうか、~が、~になりますように」
といった「他力本願」的な祈りではなく

「私は、必ず~を成し遂げますので
どうかお力添えを」など

出来るだけ「自力本願」的な祈りを
捧げるようにしています

神々に求めるのは
結果」ではなく
導き」なのです
 
すると、思いがけず

お告げ」のような導きの言葉が
舞い降りることを
何度も経験しています
 
そのお告げは
時として「いばらの道」であったりも
するのですが

得てして
その言葉どおりに実践すると
大概、物事が良い方向に進んでいくから
不思議です

まさに、昔からいう
天は自ら助くる者を助く
 "Heaven helps those
  who help themselves."
なのかもしれませんね
 
皆さんも
神社・仏閣やお仏壇の前では
是非、そのような祈りを
捧げてみてください🍀