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Photo by
shinsukesugie
AIを認めたら自分が認められなくなる?
久しぶりに翻訳のお仕事をさせてもらいました。
AKさんの詩を英語に変えています。
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原文では「雨」「虹」と、音も字もちがう言葉たち。英語だとrain,rainbowになってしまいます。ちょっと表現に迷いました。
また、「水面」はほんとうはwater surfaceですが、作者の気持ちをより深く反映するためにwater faceと書いています。
自分自身の気持ちに直面するとか、そういう意味も含めました。
この翻訳を作者のAKさんに渡し、そこにたまたま同席した方と3人でしばらく話しました。
「AIがつくった作品を芸術と認めるか?」という話題です。もともとはそこにいない、別の人が言い出したものでした。
じつはこの作品も、自分で考えた英訳とAIを通した英訳を見比べたりして、ちょっとずつ修正しました。
私たちが気づいたのは、(AI作品を芸術と)認めない人たちは、「何をもって芸術といえるか」を気にしているわけではないことです。
どちらかというと、「AI作品が認められるにつれ、自分の作品が認められなくなる」という恐れがその人の心にあります。
写真家や絵描きの人たちは特に、自分の仕事がなくなることに不安を感じているようです。
そういえばこのnoteにもAIアシスタントという機能がつくようになりましたね。
私はAIに対して好意的です。翻訳でも絵でも音楽でも、ばんばん活躍したらいいと思っています。
たぶん、それによって自分の評価が下がると思っていないのでしょう。
私はもっとなんというか、身近な出会いや他人との関係とか、流行の変化とか、おおきな流れのなかでちいさな仕事を少しずつ依頼されてここまでやってきたからかもしれません。