自己紹介④転落からの転職。外資系企業を退職して目指したものは日本語教師だった。
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外資系企業を退職することを決めた私は、次のキャリアをどうするか考える日々でした。
なんとなく思っていたのは、40歳という節目の年であり、
「今まで散々頑張ってきたから、次は自分が楽しいと思えることをやっていきたい」という思いでした。
外資系企業の仕事は、給料は良かったものの、ものすごい激務で、日系企業のように人に教わりながらやるというものではなく、自分で動かなければ物事が進んでいかないという環境でした。
それなので、あまりにも業務の難易度が高いもの、給与が高かったとしても、心身の負担や生活の負担が重すぎる仕事はやめよう、とも考えていました。
過去を思い出して、自分が楽しさを感じていたキーワードは、
「英語」
「外国人と関わる」
「外来の看護師の仕事」
だったので、
まずは、英語が使える仕事を探しはじめました。
急に飛び込んできた「日本語教師」という職業
『英語講師』『キッズ英会話インストラクター』『英語・看護師』
そんなキーワードで求人を検索します。
そんなある日、英語講師の求人に混じって
『日本語教師』というキーワードが目に飛び込んできました。
「えっ?何 この日本語教師って⋯」と、偶然目にした「日本語教師」という仕事について、疑問が湧き、無性に興味が湧きます。
調べると、海外でもいくつも求人が出ているではありませんか。
「もしかして、日本語教師という仕事には、自分のやりたいことがすべて入っているんじゃないか」そんな予感がしてきました。
私は昔から、外国で暮らしたいという気持ちが常に心の中にあります。
短い時間であってもいいので、外国で仕事をして、生活がしてみたいのです。
日本語教師という仕事はそんな自分の「やりたい」をかなえてくれる手段になるかもしれない―――新しい扉を開く『鍵』を手に入れたような気がしました。
日本語教師養成講座へ申し込む
日本語教師という職業を目にしてからの2日間は
寝る時間も忘れて、日本語教師という職業についてあらゆる情報を調べました。
調べれば調べるほど、自分の持つ「点」=看護師のキャリア、英語を話せるという特技、教員免許という資格
これらがつながって「面」になる可能性を秘めている、と感じました。
日本語教師の仕事でなら、本当に海外で働けるかもしれない。
確信を強め、ADHDの衝動性も相まって、動き出して3日後には、日本語教師養成講座の申し込みを完了しました。
ASDとADHDの診断。自己紹介⑤はこちらから↓↓↓
自己紹介まとめ