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進化するASDー昔はもっとASDらしかったのに。適応するほどに自分がなくなる・・・気がする。

草をむしりながら、思考の世界に入ってしまうことが良くある。
たぶん、単純な作業だと、さほどその作業に割く集中力が必要ないからだと思う。

そうすると、意識は思考へと向かう。

そういった単調な作業のなか、どんどん昔のことを思い出していく。

今日思い出したのは、看護師1年目のある日、先輩の家に行った時のこと。

アパートには看護師の先輩が3~4人ほどいたと思う。
そこに向かう途中、
「〇〇さん、何か欲しいものありますか?」と
メッセージを送ると、

「午後の紅茶とシュークリーム」
と言われた。

そこで自分は、
「わかりました!」と言って、

500mlのペットボトル1本と、
シュークリームを買っていった。


・・・・

さて、


ここで問題です。


この場面でおかしいポイントがひとつあります。
気づきましたか?

この場面で違和感を持った人は定型発達。(笑)
全く分からなかった人は、言葉を文字通り受け取りがちな傾向があるかもしれませんね。

はい。
定型発達の人であれば、ここで500mlのペットボトルを選びません。

3~4人いるということを考えて、大きな1.5Lのボトルを買います。
シュークリームは、たくさん入っているものか、
人数分買っていきます。


世間知らずだと思われるかもしれませんが、
当時の私にはまったくこの発想はありませんでした。

ただ、間違えないように、
言われたものを選びます。
「ミルクティーとレモンとストレートどれがいいですか?」
そう質問しました。
そして、先輩の指定したものを買っていきました。

そこで、先輩に差し入れを渡したところ、
「ありがとうだけど・・・美奈さぁ~ ふつう、でかいの買ってこない?(笑)」と突っ込まれたのです。

えっ!とびっくりしたのを覚えています。

あれから約20年。

そんな失敗を繰り返して、だんだんと経験を重ね、
今では手土産はちゃんと、人数を考えて用意できるようになりました。(笑)

看護師1~3年目のエピソードを思い出すと、
あの頃は発達障害らしかったなあと思います。

20代は、その不器用さゆえの失敗や、
その不器用さゆえに、かえって生きやすい部分もありました。

例えば、看護師の先輩たちには、
仲がいい人悪い人、
いわゆる犬猿の仲の人たちがいたのですが、
わたしは3年間全く気づきませんでした。

ほかの人たちは、空気を読むために、そのあたりの人間関係を察し、
「AさんとBさん、本当に仲悪いよね」
と話していて、
その陰口を聞くまでは、
全くわかりませんでした。

その時は、
自分はグループやら派閥やらが昔から嫌いなので、
自分が関心がないからかと思っていたのですが、
それはどうやら、
空気を読めていなかったからだったのです。

「結果的に、どこにも属さない」というのは、グループや派閥というものにあるドロドロした人間関係から離れられていいのかもしれません。
先入観なく、それぞれの人と接することもできますから。

しかし、そのせいで少し、周りから浮いてしまったり、孤独が好きだと思われてしまうことも多かったり、
なんとなく壁があると思われてしまうこともありますね。

他にも、高校生の時のマクドナルドのアルバイトでのエピソードなのですが、
ある日私はドライブスルーの注文で、
フィッシュバーガーを一つ、入れ忘れてしまいました。
(お客さんとしては、一番いやな事ですよね・・・すみません)

そのとき、本当に「ああ、やってしまった」と思ったのですが、
直後の社員さんからの嫌味が全く分からず、
文字通りに受け取ったために、(相手の意図した部分では)傷つきませんでした。
嫌味だと思わずに、自分が届けるように説明されたのだと思ったのです。
社員さんから嫌味を言われた様子を見ていたほかのバイトのお姉さんは、
「あんな風にイヤミったらしく言わなくてもいいのにね~!」と怒ってくれました。

そのとき社員さんが何を私に行ってきたのかというと、
そのお客さんの家の地図を突然見せて、
「この人の家は、この道をこう行って、ここを入ったところ!」
と、道順を伝えてきたのです。
そのため私は、
一生けん命その説明に耳を傾けました。
本当にいけないことをしてしまった。何とかしなければ、と思っていました。
「はい、この道をまっすぐ行って・・・わかりました。」と地図でお客さんの家の位置を確認しながら答えたような気がします。

しかしその直後社員さんは、怒りながらバンっと扉を開けて、出て行ってしまいました。

その説明は、嫌味だったのです。

そのお姉さんがいなければ、わたしは意味が分かりませんでした。
厳密にいうと、自分が失敗して迷惑をかけたことは理解していて、
そのことを何とかしなければという思いはありました。
罪悪感で胸がいっぱいで、「どうしよう、どうしよう・・・」と考えを巡らせていました。

しかし、相手の方が真顔で説明していたのと、
突然に道の説明を始めた、というアクションの裏の意味までくみ取ることができず、
相手の真剣な様子にまじめに聞き入ってしまいました。

こうした上記の2つのエピソードは、
今から思えば実にASDらしいなあと思います。

今考えると、マクドナルドの接客業務は鬼門だったのかもしれません。
カウンターの接客ならば、問題ないのです。
一人のお客さん、もしくは2~3人のお客さんの商品を準備しつつ、カウンターのお客さんの接客をすればいいのですから。
それが、カウンター+ドライブスルーで、
ドライブスルーの注文を聞きながら商品を用意して、
カウンターのお客さんの商品も準備・接客するというマルチタスクは、
ミスを誘発する環境がそろっているとしか言えません。
今になってこそわかりますが、聴覚からの情報の処理が弱い自分にとっては
耳から聞き取った情報をもとに、物を準備する、なんてことは
かなりチャレンジングだったかと思います。

これが仮に、ドライブスルーだけに集中する、
とかであれば、それでも可能だったかと思います。
病院の点滴の準備、薬の準備のように、
人の目を借りてダブルチェック、などの体制があれば、
ミスも未然に防がれたかもしれませんね。

過去の失敗には、いろいろ思うところがあります。

でも、ASDらしかったんじゃないか、
過剰適応が進んで、自分の気持ちさえ分からなくなってしまった 今よりずっと、本来の自分らしかったんじゃないかなと思います。

迷惑をかけてしまったこと自体は、本当に申し訳ないとしか言えないのですが、
そういう失敗から、
本来あるべき姿を追い求めるあまり、
(それは無意識で起こってしまうので どうしようもないですが、)
「社会には適応していけるけれど、自分と乖離していく」という現象が起きていったと感じます。

進化するASDについてと、過剰適応について、
続きはまた次回書いていこうと思います。

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『M』ASDの現役脳外科ナース/日本語教師
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