24-2. 発信には、愛の波動を込めたいの
関西に戻ってきてから、しぼんだ風船のようになっています。引っ越しも一段落したので、そういう流れなのかもしれませんが、やはり東にいるときは「しゃんと背筋を伸ばしてないといけない感じ」があったかなぁと思います。
例えばこちらではテレビをつけてるとどのチャンネルもわりと関西色。ゆるくて、笑かしてなんぼ、楽しくてなんぼ〜な感じです。
地元から大阪に出てきたときは、この身内感が衝撃的で「なんじゃこりゃ!」と思ったものですが、ユーモアは“愛”だな…とこの歳になって思います。(大袈裟)
もうね、ゆるゆるでゆるされる、この感じがめっちゃラク。笑
そんな感じでゆるゆるになってるからか、最近思うことがあるんです。
Instagramにしても、Xにしても、noteにしても、ただの文字や画像の羅列ではあるはずなのに、その中に書き手の優しさが見え隠れするなぁ…ということ。
今に始まったことじゃなくて、前々から思ってはいたんです。電波上であっても、発信に宿る雰囲気みたいなものをキャッチできるじゃないですか。
何を載せるかという内容も大事だけど、
きっと、それよりも
「この写真が好きなんだろうな」
「一生懸命、書いたんだろうな」
「誰かに届けたいんだろうな」
とかそういう気持ち。
無理して書いたもの、欲が出たもの、クサクサした気持ちで書いたもの、ってバレている。
そういう波動のようなものを、ますます多くの人がキャッチできるようになっている。
なので、発信ってそこに乗ってる“愛情”が何より大事になるんだろうなと思います。どうしてそれがバレるんだろう…って不思議で仕方がないですが。
つまり、気持ちを乗せて書いたものは、いい波動を放っているし、それを観る側も、汲み取る力がついている、ということです。
SNSを見てても、見ててしんどいものがあります。応援したくなるものもあるし、こちらも歯を食いしばることもある。タイミングや相性もあるけれど。
スキルとか、文章力よりも、発信するときの感情をフラットにすること、愛を込めることが一番大事だなぁと個人的には思います。