23-94. 欲は善なのか、悪なのか。ヨガインストラクター的見解|魅力覚醒講座を受けて
結論から申し上げますと
初っ端から少し脱線してしまいますが、わたしが無気力になりパニック障害になったときも、主人が適応障害になったときも、あとから振り返ると共通点がありました。
それは
人生に面白みを全く感じられていなかったことーーー!!!
(主人の心の風邪については以下記事参照)
実はわたくし、いま小田桐あさぎさんの魅力覚醒講座19期に入っていまして…
「強欲は善」っていうのが、小田桐あさぎさんという女性起業家さんの名言なんです。
ヨガでは「捨欲」や「知足」を謳うので、この「強欲は善」っていう言葉に拒否反応がでたのは言うまでもありません。笑
でもね、わたし勘違いしてたんですよね。
♢
ちなみに、知足は老子の言葉です。「自分の持ち分に満足して、それ以上欲張るんじゃあ、ないよ~」という意味です。あさぎさんと真逆です。
老子は生没年不詳ですが紀元前6世紀の人と言われています。
また、ヨガの哲学書『ヨガスートラ』にも同じような考え方があります。
それが『サントーシャ(知足)』という教えです。ヨガでは悟り(サマディ)に至るまでに8つのステップがあるのですが(八支則)その土台となる「5つのやるべきこと」の中の1つの教えがサントーシャ(知足)です。ヨガを深く学んでいる方なら知らない人はいないくらい、有名な教えだと思います。
ヨガスートラが現在の形に編纂されたのは、紀元後4~5世紀頃と言われています。老子と同じくらいの時期かもしれません。
人間の歴史は浅いですが、現代人と比べて数千年前の人たちのほうが生存欲求を含めた「欲」が強かっただろうというのは容易に想像できます。
人をだまし!殺し!我欲を通す!!
こういったことがまかり通っていた時代だったのかなと思うんです。知足もサントーシャも、その教えが作られたのは、人間がまだ今のように平和に暮らすことができなかった時代です。だとするとこういった欲を手放すことを各々が意識がけることは人類の平和に役立っていたと思います。
対し、
現代人は我慢しすぎなんです。
これは後述します。
仏教を見てみますと、仏教にも「少欲知足」という言葉があります。
仏教とヨガ哲学はかなりリンクしているのですが、ブッダは紀元前5世紀ごろに誕生したと言われます。あ、ちなみに仏教は欲を否定していないと言われます。
「奪い合えば足らぬ、分け合えば余る」という金言がありますが、ほんとうにその通りで、分け与えれば余るどころか増えるのに、独り占めすると循環しないから足りなくなるのです。
人の「欲」というのはどうしてか際限がない。
そうして、際限ない欲を追い求めるうちに自分自身が乾いていくのです。
ドーパミン的欲求は一度満たされても、どんどんエスカレートしてくるのは人間が成長するために必要な本能なので、それをどうコントロールするかを現代のわたしたちは学んでいく必要があります。
欲望の奴隷にならずに、欲望の王になる。
というのはバガヴァットギーターからの引用ですが、欲のコントロールというのは、無欲になることではないと思うのです。
そのあさぎさんの講座ではまず、2000名以上の女性たちの欲望がアウトプットされます。酒池肉林のような環境です。笑
講座に入ったばかりの2000名の女性たちの欲はこう。
このような欲求は普段は隠され、平気なフリをして普通に生きているんですね。(ちなみにわたしの欲は上記に加え「欲について知りたい」です)
きっとみんな我慢して生きすぎてるんです。
稼ぎ続けている人を観察すると、承認欲求を満たしきっていて人に感謝される方向に行っているように見えます。
欲は、それが働く原動力にもなるし、自分が満たされると、どんどん周りに波及していきます。
先日サトユミ先生のメルマガに面白いことが書いてありました。
これが全ての答えだと思います。
あさぎさんがやりたいのって、日本人女性に足りてないのって、抑圧している欲をある程度満たすことなのだと思います。
♢
少し話の方向性が変わってしまうのですが、そんなわたしは、先日「稼がなければならない」という執着を手放しました。
少しだけ経緯を話させていただくと、あさぎさんの講座に入る少し前まで、わたしは超無気力状態で。
なにもしたくないー
もうこのままでいいやー
働きたくないー
って感じだったんですが
あさぎさんのYouTubeを見ているうちに、自分の抑圧した欲を満たしてあげたい→家族や周りも幸せにしたい→お金が必要だわ!→マニーマニー!!→稼がなければ!仕事!仕事~!
となったのです。
抑圧してた欲が解放されたおかげで、
生命エネルギーが戻ってきたんです。
そこまではよかったんですが、そこからだんだん欲がエスカレートし、その考えに執着した結果、稼がなければならない考え自体が自分を苦しませていることに気づいたのです。
なので、その考えをいったん手放しました。
幸せになるために苦しんでいたら本末転倒ですし、その考えがあるから稼げるわけではないと思ったからです。
滑稽に見えますが、意外とみなさんこうなっていると思うんですよね。
お金はただの数字であり紙切れです。
お金で何がしたいのか?
そこが大事です。
・家族で旅行に行きたい
・あの化粧品を定期的に使いたい
・あの家に引っ越したい
・整体に行きたい
・おいしくて健康な食べ物がたべたい
・家族を幸せにしたい…
お金はわたしたちを幸せにしてくれる有難い存在です。
ですが、一方で幸せの条件はお金ではありません。
で、あさぎさんが言う「強欲は善」っていう言葉に戻ると、わたしは「お金が全て」って意味だと思っていたんですが(笑)、講座内であさぎさん自身がこうおっしゃっていて感動しました。
これが聞けてよかった(笑)
お金はただの道具です。
多分あさぎさんが言う強欲になれというのは、
こうなりたい、こうしたい、私はこうしたくないっていう、
シンプルに自分がいるべき場所へ向かうためのコンパスとして“欲望”を使いなさいってことなんじゃないかな。
でも、わたしのように「執着すると苦しくなるから、執着してはダメだよ、願ったら忘れなさいよ」っていうのは、かつての偉人・賢人たちが説いた、苦しみから解放されるためのありがたい教えなのだと思っています。
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