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『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(2)

『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(1)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(2)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(3)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(4)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(5)


「第2章「ユダヤ人絶滅計画」は実在したか?」について

「ドイツは何をしようとしたのか?」について

西岡はここで以下のようにホロコースト(ユダヤ人絶滅)の定説を定式化します。

(1)ユダヤ人をただ迫害しただけではなく、「絶滅」しようと計画し、
(2)そのために、他のユダヤ人収容所とは別に、「絶減収容所」と呼ばれる特別の収容所を幾つか作り、
(3)それらの「絶減収容所」に処刑用ガス室を作って、ユダヤ人を大量に処刑し、死体を焼却したということになっています(注1)。

西岡本

西岡は、ゲットーでのユダヤ人迫害、アインザッツグルッペン等によるソ連東方地域でのユダヤ人虐殺、直接殺害以外の疫病や餓死によるユダヤ人の大量死亡なども認めているのに、それらはユダヤ人絶滅に含まれないとするのです。極端に言えば、ガス室で殺す以外についてはナチスドイツの「ユダヤ人問題の最終解決」には含まれないのだ、と言っていることになるかと思います。

そんなバカな話があるでしょうか? 定説(歴史的事実)を簡単に私なりに示すと、

  1. ナチスドイツはユダヤ人を最初は半ばドイツから自主的に出て行ってもらおうとしたが(出国政策)、全然無理だったので

  2. 今度は強制移送することを考えた。しかし、戦局の進捗が思わしくなく強制移送計画が頓挫してしまったので、

  3. 直接殺害する以外になくなってしまった。

  4. 但し、ソ連地域では独ソ戦開始以降すぐにその地に住むユダヤ人をパルチザンや共産主義者と結託しているとみなして、まだユダヤ人強制移送政策を放棄していない時期だったにも関わらず、さっさと銃殺などにより大量処刑していた

この流れを見れば明らかに、ナチスドイツの「ユダヤ人問題の最終解決」とは、ドイツ支配下からユダヤ人の存在を無くすことであって、手段は関係ありません。ヒトラー直々のアイデアとしてルブリンにユダヤ人居住区を設定しようとしたのも、マダガスカル移送計画を考えたのも、東方移送計画で何とかしようとしたのも、絶滅収容所に移送してガス室を使ってまとめて殺したのも、その他諸々の手段や結果を含めて、全部、「ドイツ支配下からユダヤ人を存在しなくすること」だったのです。ナチスドイツはあくまでも、ナチスドイツにとっていらない人間を排除したかっただけなのです。それが例えば心身障害者に対する安楽死作戦(T4作戦)だったり、シンティ・ロマ人やエホバの証人、同性愛者などもユダヤ人同様にガス室で殺したり、ソ連兵捕虜の大半を餓死させたり、ポーランドの知識層をアインザッツグルッペンを使って処刑したり、だったわけです。

ヒトラー・ナチスドイツは人種政策・優生思想に取り憑かれ、自分達だけを優秀な人種・民族と見做しアーリア人・ゲルマン民族のみの繁栄を目標としていました。特にユダヤ人が目の敵にされた理由まではここでは語りませんが、中でもユダヤ人は少数とは言えそれらの中で最も多かったとは言えるでしょう。「背後の一突き」なんてなのもありましたし、もともとユダヤ人は欧州の多くの国で差別されてきた歴史もありました。

こうした、ナチスドイツの「ユダヤ人問題の最終解決」に対する誤解、つまり最終解決とは計画的なユダヤ人の肉体的物理的抹殺による絶滅のみを意味するという誤解は結構多いように思います。しかし、全体の流れから見ればはっきりとそれは、あくまでも「ドイツ支配下からのユダヤ人排除であって手段は問わない」ものだったと言えると思います。従ってガス室はユダヤ人の排除手段の一つでしかありません。例えば、ヒムラーは、ユダヤ人を湿地に追い込め!とまで命令しました。

「すべてのユダヤ人を射殺せよ。女のユダヤ人は湿地に追い込め!」

ヒムラーからSS騎兵連隊への命令(1941年8月1日):フライブルク連邦軍事公文書館、RS 3-8/36

結果報告は以下の通り。

Regt. st. Qtrs., 1941年8月12日
SS騎兵第22連隊
騎乗ユニット

1941年7月27日から8月11日までのプリペット(沼地)での作戦経過に関する報告書

戦いの印象
住人
軍隊が移動してくると、多くの場合、ウクライナの習慣に従って、白い布をかけたテーブルにパンと塩が用意され、指揮官たちに捧げられていた。部隊を歓迎する小さな音楽隊があったこともあった......

土地の種類
...ユダヤ人医師が好まれた。町や村では、ユダヤ人の職人ばかりが目立った。民族ドイツ人[1938年以前のドイツ]やオストマルク[オーストリア]からのユダヤ人移民も多かった......

鎮定
ユダヤ人略奪者は射殺された。国防軍の修理工場で働く数人の熟練工だけが残ることを許された。

女性や子供を沼地に追い込んだが、沼地は沈むほど深くはなかったため、期待されたような成果は得られなかった。深さ1メートルほどで、ほとんどの場合、固い地面(おそらく砂)があり、完全に沈むことはなかった......

...ウクライナの聖職者たちは非常に協力的で、あらゆる作戦行動に応じてくれた。

また、一般に住民がユダヤ人層と良好な関係にあることも目立った。それにもかかわらず、彼らはユダヤ人の検挙に精力的に協力した。ポーランド警察と元ポーランド兵で構成された現地採用の衛兵は、好印象を与えた。彼らは精力的に活動し、略奪者との戦いに参加した......

騎兵部隊が射殺した略奪者などの総数は6,526人......

署名:マッギル
親衛隊少佐

出典:https://www.jewishvirtuallibrary.org/killing-of-jews-in-the-pripet-marshes

従って、西岡のように、(ガス室による)ユダヤ人絶滅のみがユダヤ人問題の最終解決であるかの如くに思っているのは単に誤解なのですが、しかし最終的にはその方向へ進んだと見るのはあながち間違っているわけでもありません。ガス室は単なる殺害の一手段に過ぎないのは事実ですが、600万人の犠牲者のうち大雑把に約その半分はガス室で殺されたとされていますから、ガス室はユダヤ人絶滅の大きな部分を占めています。でもユダヤ人絶滅がガス室だけだとするのは誤りではあるでしょう。

「「ガス室大量殺人」に物的証拠はあるか?」について

何を物的証拠と見做すのかについては考えておく必要があります。厳密に考えれば、「物的」でありさえすれば物的証拠になり得るので、当時の文書資料も物的証拠です。証言以外の証拠(但し状況証拠は除く)と考えてもいいかとは思いますが、アウシュヴィッツだけでもかなりあります。

ここにある一番最初の項目である当時の文書だけでも102もあります。他には写真もありますし、クラクフ法科学研究所による報告書もあります。あるいはユダヤ人絶滅の証拠として特殊なものとしては、音声録音記録が残っているヒムラーのポーゼン演説があります。音声録音記録は明らかに物的証拠の一つです。

このように、物的証拠となり得る範囲は広いのに、否定派は証拠を認めたくないので、証拠の範囲を絞りに絞りたいのでしょう。

驚くべきことに、何も物的証拠がないのです。

西岡本

で、西岡がないと語っている「物的証拠」が何のことを意味しているのかを、その周辺をいくら読んでもそれは、検死されて死因が毒ガス死と証明されたガス殺死体以外ではないようなのです。西岡はその箇所で以下のような写真を示して、

注:この写真の中央で立っている男は、ナチス親衛隊の医師であったフリッツ・クラインである。この写真では、遺体の埋葬処理を連合国に協力させられている。

これらのおびただしい死体を調査した連合軍は、その際、チフスなどによる病死者の死体は多数確認したものの、肝心の「ガス室」で、つまり何らかの「毒ガス」で殺された死体は実は一体も確認できなかった、という医学的事実なのです。

西岡本

と述べ、あたかもこれらがホロコーストとは無関係であるかのように語っていますが、これらの遺体となった犠牲者たちもナチスドイツの政策の下で亡くなったのですから、これらがホロコーストの犠牲者の一部に含まれることは疑いの余地はありません。

しかし私は、何度か以前にも別の記事で述べていると思いますが、西岡が求めてやまない法医学的に検死された毒ガス死体はあったと西岡に旧Twitter上で紹介しています。

クラスノダール裁判(1943年7月14日~17日)の議事録によると、死体遺棄者623人中523人の死因は一酸化炭素中毒であった(国民の評決 クラスノダールとハリコフのドイツ残虐裁判の議事録の完全な報告書、13ページ)。

強調したように、一体もない、どころではなく623人中523人です。記事を読めばわかるように写真まであります。もちろん修正主義者は当時のソ連の裁判など見せ物裁判でしかなく、信頼出来るものではないとして切り捨ててしまいますが、仮に裁判のやり方がそうであったとしても、証拠は別だと思います。証拠を捏造したというのならば、カチンの森事件で出てきたソ連犯行説の証拠のように、ちゃんと証明してから言って欲しいものです。

ともかく、西岡は一度もこれに返事を寄越しませんでした。このことから明らかに、実際には西岡は物的証拠を求めているのではなく、証拠がないことにしておきたいだけであることがわかります。

連合軍は、「ガス室」で殺された死体は一体も確認できなかった、のです。「そんな馬鹿な!」と言われるかも知れません。しかし、これは、驚くべきことに、他でもない「定説」の歴史家が認めていることなのです。ラウル・ヒルバーグ(Raul Hilberg)教授という、何と「定説」側の超大物歴史家が、自分でそう認めていることなのです。

西岡本

西岡が依拠しているのは、ツンデル裁判の第一審(1985年)における被告側弁護人のダグラス・クリスティ弁護士によるヒルバーグへの尋問記録です。西岡(を含めた否定派の多く)が非常に雑な理解をしていることは、尋問記録を読めばわかります。尋問記録自体は否定派論文の日本語翻訳の集積地である歴史修正主義研究会で読めます。

<註:Cはクリスティ弁護士、Hはヒルバーグ>

C:ここで、視点を少し変えてみましょう。ガス室として使用された場所であることを立証する科学的な報告を一つでも知っていいますか。もし知っているならば、それを挙げてくれませんか。

H:科学的報告とは何のことですか。

C:科学者、あるいは物理的な証拠を検証することができる人によってなされた報告です。ナチス占領地域のどこかにガス室が存在したことを示す科学的な報告を一つでも挙げてください。

H:質問の意味が十分に理解できません。ドイツのものを指しているのですか、戦後のものを指しているのですか。

C:ドイツのものであろうと、戦後のものであろうと、連合国のものであろうと、ソ連のものであろうと、どのようなものでもかまいません。一つ挙げてくれませんか。

H:何を証明するためですか。

C:ガス室が存在したという科学的証拠にもとづく結論をひきだすためです。一つの報告だけで結構です。

H:私は当惑しています。言えることは、航空写真があり、分析されたということだけですが、これは、あなたによる科学の定義の中には入らないでしょう。致死性のガスが使われたという同時代の資料がありますが、これもあなたには重要ではないでしょう。

C:申し訳ありませんが、明確に理解したいのです。あとの事例を具体的に話してください。

H:ガスの致死性、毒性、毒の成分です。ドイツの化学産業の化学者が署名しています。チクロンBの缶には毒とのラベルが貼ってありますが、あなたはガス室との直接的な関連を求めていらっしゃるのですから、満足されないでしょう。さらに、ガスマスクのフィルターのような科学的証拠があります。このガスを使用するときの注意書きのようなものもあります。これらはガス室と関連しています。

C:それだけですか。それで終わりですか。

H:ちょっと待ってください。これは今思いついた事例にすぎません。少し時間をくだされば、その他の事例を思い出すことができますが、今は、少々当惑していて、あなたの質問を理解することができません。

C:もし、一つでも、ガス室の存在を証明する科学的な報告があったとすれば、あなたの本『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』のなかでそれを採用したはずではありませんか。

H:ガス室に限っていえば、ガス室の存在を科学的に証明している報告は一つもありません。ガス室のなかでガスを吸入したのちに、何が起こったのかについての科学的な報告を意味しているとすれば、それは別の問題です。

C:そのことを質問したのではありません。

H:だから、質問の意味がはっきりと判らないといっているのです。ガス室に押し込められた人々について科学者がどのような報告を提出するか、生理学的に彼らには何が起こるのかについては、ドイツの資料から入手することができます。そこには、人間がこのガスを吸入した場合、何が起こるか明確に書いてあります。

C:ガスに含まれている青酸は壁の石や煉瓦やモルタルに付着します。建物の壁に青酸が付着していたことを示す科学的な検証報告がありますか。

H:問題のガスには様々な強さがあります。建造物のなかには、安全に密閉されているものもあれば、あまり密閉されていないものもあります。明らかなことは、様々な品質のガスが消毒の目的で大量に使われたことです。建物の消毒、船舶の消毒、必ずしもシラミだけではありません。ゴキブリの駆除にも使われました。

C:虫の消毒にはチクロンBが使われましたね。

H:虫が消毒されたですって。建物が消毒されたのです。虫は殺されました。チクロンBの「B」はガスの強さを表しています。当初は、目的に応じて、少なくともチクロンCとBがありました。

C:教えていただきたいのは、殺人目的でチクロンB(青酸)を使ったガス室の分析に関する科学的な報告を一つでも知っているかということです。

H:ソ連・ポーランドのマイダネク調査委員会の報告にないとすれば、私はそのような報告を知りません。ルブリンのガス室あるいはマイダネクのガス室以外には、アウシュヴィッツの一つのガス室だけが存在しているだけであり、他にはガス室は残っていないからです。

判事:博士、このような報告を知っていますか。

H:いいえ。

C:毒物学者のレネ・ファーブル教授が、1945年に、アルサスのストラスブールから5キロのところにあるナチヴァイラーでガス処刑されたとされている人々の死体、貨物列車にあった残骸、人々がガス処刑されたとみなされている部屋の調査を依頼されて、分析の結果、毒ガスの痕跡はまったくなかったと報告したことは本当ですか。

H:この報告書に関してはまったく知りません。

C:人間が青酸ガスあるいはチクロンBを吸入した結果、死亡したことを示す検死報告書が一つでも存在していますか。

H:アウグスト・ヒルト教授は、頭蓋骨の解剖学的な研究のためにナチヴァイラーの部屋でユダヤ人をガス処刑させましたが、彼の報告書のようなものはあります。私はその中で見たと信じていますが、報告書がガス処刑の過程で何が起こるかについて医学的に詳しく描写しているわけではありません。それは彼の目的ではありませんでしたから。彼は解剖学的な目的で頭を切断するために、ユダヤ人をガス処刑させました。ニュルンベルク裁判資料にあると思いますが、残念ながら、資料番号をここで思い出すことはできません。

C:報告が存在しており、それは人々が青酸あるいはチクロンBで死んだと述べているというのがあなたの証拠ですね。

H:この人物は、頭蓋骨の解剖学的な調査のために数名の人間をガス処刑させました。まず、ガスで殺させ、ついで解剖学的な研究のために頭を切断しました。彼は、ガス室でのチクロンBの適切な使用によって人が死ぬことを確信していました。

C:ガス処刑を実行せよという命令のようなものがあったと考えているのですね。

H:文書の交換がありました。人間の移送要請がありました。

C:何と、文書の交換があり、それは人間の移送要請なのですね。

H:おそらく、このように言うべきでしょう・・・

C:このような報告書は存在しないと。これがもっとも簡明な回答でしょう。

H:このような報告書は存在しないとまで言うつもりはありません。あなたが望んでいることは・・・

C:報告書です。

H:よろしい、ガス処刑されたのちに何が起こるかについての詳しい医学報告をお望みなのならば、それを見たことはありません。

C:私が望んでいるのは、ガス処刑ののちに何が起こるかについての研究ではありません。1939-1945年のあいだに、チクロンBなどを使って人間が殺されたという戦後あるいは戦前あるいは戦時中の報告書です。

H:このような報告書は大量にありますが、医者による科学的な報告書をお望みなのですね。

C:検死報告です。

H:ありません。アウグスト・ヒルトの資料には検死報告のようなものが含まれているかもしれませんが、それを今証言することはできません。

C:どうかお願いします。青酸ガスで死亡したことを証明する資料を見たことがありますか。

H:即座に回答しようとは思いません。見たことがあるかもしれないからです。しかし、私はそのような些細なことに関心を抱いていません。

C:ブローニングさん、同じことを質問しますが、チクロンBによって殺された人間の検死報告を見たことがありますか。

B:そのような検死報告は知りません。

http://revisionist.jp/holocaust_trial.htm

この引用の元になっているツンデル裁判第一審ではまだ第二審になって登場するロイヒター報告はありませんでしたし、クラクフ報告はツンデル裁判後に登場したものなので、ガス室に関する科学的報告書はまだこの時点で存在していませんでした。唯一あったのは、戦後、ポーランドの裁判で提出されたのだろうと思しき化学的報告のみでした。

ヒルバーグは知らないと言っているので、当時はまだこれがほとんど知られていなかったのかもしれませんが、アウシュビッツにガス室があって青酸ガスが使われたとされる説に矛盾していないという意味では、科学的証明の一つになっているとは言えます。

何れにせよ、ヒルバーグにしろ、もう一人の検察側証人であるブラウニングにしろ、「死体は一体も確認できなかった」ことを認めたわけではなく、科学的な検死報告など知らないと認めただけです。そんなに意味は変わらないと思われるかもしれませんが、上の引用で強調したように、クリスティが述べた「1939-1945年のあいだに、チクロンBなどを使って人間が殺されたという戦後あるいは戦前あるいは戦時中の報告書」に対しヒルバーグは「このような報告書は大量にあります」と述べているのにそれを全く無視して、毒ガス死体の検死報告を知らないと認めたことのみを論って、「死体は一体も確認できなかったことを認めた」などと不正確なことを述べる西岡は極めて不誠実と言えると思います。

なお、細かい話ですが、歴史修正主義研究会が「報告書」としているのは単に「報告」なのかもしれません。ただ、当該記事は元記事を元にして裁判の尋問記録のように見えるように編集を加えているので、元記事のどこにそう書いてあるのかまでは面倒なので調べていません。正確な議論をしようと思うと、ツンデルサイトにあった元記事よりもさらに、裁判記録にまであたる必要がありますが、それもさらにはるかに面倒なのでやってません。

否定派が、毒ガスの法医学的証明にこだわるのは、最大のユダヤ人虐殺が実施されたアウシュヴィッツ等の絶滅収容所におけるガス殺遺体の多くが焼却され、特にアウシュヴィッツはおそらくその全てのガス処刑遺体が火葬されてしまって、検死すべき遺体自体が存在しなかったことを知っているからだと思われます。しかし、遺体なき殺人事件が立証されたケースはいくらでもあります。

ちょっとググるだけでもこの通り。

この記事には、以下のように書かれています。

迎えた裁判で、殺人罪を主張する検察に対し、リアム被告の弁護側は無罪を主張。

理由は「遺体が見つかっていないのに、殺人事件と言えるのか」というものだった。遺体が見つかっていなければ犯人のDNAも指紋も検出できない……サラが殺害されたことを示す物的証拠はないに等しかった。

検察側はリアムの同級生のアンソニーが撮影した映像を法廷に流した。

だが弁護側は「リアム被告は映画のアイデアを話しているにすぎない」と主張する。無謀な主張にも思えるがリアムの心の中を証明するすべはない。

検察にはもう1つ決定的な切り札があった。証人として現れたのはサラに片思いをしていたプレストン。彼はリアムに電話で呼び出され遺体遺棄を手伝うよう指示されたという。殺害告白映像と共犯者の証言……陪審員の評決は全員一致で「有罪」。リアムには終身刑が言い渡された

遺体がなくとも、このように殺人を立証できてしまえるのです。殺人犯の多くが死体を埋めたり、バラバラにしてあちこちに捨てたり、私が大好きな米国の傑作ドラマ『ブレイキング・バッド』ではフッ化水素酸で死体を完全に溶かしたりしてました(しかしフッ化水素酸では実際には不可能で、プロの死体隠滅は水酸化ナトリウムを使うそうです。それでも骨は残りますが…)し、死体を証拠隠滅して、犯罪の隠匿に努めることは当たり前に行われています。証拠隠滅方法として死体を消してしまうことは、犯罪の隠匿には確かにかなり有効ではあるかとは思いますが、それでも殺人が立証できないわけではないのです。そんなの当たり前の話に過ぎないのですが、なぜかホロコースト否定派は死体を検屍しないと証明できない、などと言うのですからちょっと理解できません。


「死体の死因は解剖なしには分からない」について

死体の件についてはすでに述べたので飛ばします。ここでは、以下のように書かれています。

戦争中、アメリカ軍に従軍して、ドイツの収容所で発見された死体を多数解開した医学者にチャールズ・ラーソン博士という医師がいます(日)。このラーソン博士は、法医学者でありまた病理学者でもあった高名な医学研究者ですが、後年、自分のそうした特異な体験を回想して、注目すべきことを洩らしているのです(2)。ラーソン博士によれば、当時ヨーロッパでそのような医学的調査をしていた専門家は博士ただ一人だったろうとのことです(3)。ところが、そのラーソン博士が、西部戦線の収容所でアメリカ軍が発見した数多くの死体について、こう述べているのです。「中毒(poisoning)による例は一つも発見できなかった」この「中毒(poisoning)」という言葉には、当然、「毒ガス」による事例も含まれるはずです。もっとも、ラーソン博士のこの証言は西部戦線に関するものですから、アウシュヴィッツをはじめとするポーランド領内の収容所は彼の体験外ということにはなります(後述)。

西岡本

これを、ラーソンズ・デマと呼びます。元々はアメリカの修正主義者が言い出したらしいのですが、ラーソンは別に毒ガスによる殺害を否定していないことは以下を読めばわかります。

簡単に言えば、ラーソンは西側連合国の占領地域にあった強制収容所の死体を検死したが、毒ガスによる死体は見なかった、なのでラーソンの結論としては、当然の如く全ての死体を検死したわけではないので、なかったとは言わないが、あったとしても少数だろうし、おそらくはダッハウのガス室では青酸ガスによる毒殺はあったのだろう、となります。

註:上記リンクにある『犯罪医師』からの引用の、「しかし、私の考えでは、私が個人的にダッハウで診察した囚人のうち、このような方法(註:青酸ガス(チクロンB)による毒ガス殺害)で殺害されたのは比較的少数にすぎない。(But, in my opinion, only relatively few of the inmates I personally examined at Dachau were murdered in this manner. )」をどう読むかで、ラーソンが毒ガス殺害遺体を少しは見たのか、見てないのか、については変わってきます。私は、もし一体でも発見していたのならば、もっと詳しくその遺体について述べるはずだと思うので、ラーソン自身は一体も見てないと考えています。あくまでも、あまりにも遺体が多かったので、その全部は見ていないために自分自身の調査範囲が限られていたことから、単にそのように推測しただけだと思います。つまりこのことからも、ラーソン自身は毒ガスで殺された死体が一体もなかったはずはないと思っていることがわかるのです。また別の理由として、ラーソンが毒ガス遺体を見ていないと思うのは、収容所内で毒ガス遺体がでたのであれば、証拠隠滅のため火葬処分にしてしまっただろうと思うからでもあります。特にダッハウでは殺人ガス室のすぐ隣が火葬炉のある部屋でした。

いずれにしても、ラーソンは毒ガスによる殺人自体はあっただろうと認めているとしか読めないので、それを西岡が一切言わないのは極めて不誠実だと思います。また、上の西岡本からの引用で「中毒(poisoning)による例は一つも発見できなかった」を説明しているのは滑稽といえます。なぜならその直前に「ラーソン氏によると、彼が従軍した南ドイツでは、検死の結果、ガスや銃で死亡することは稀だったという。」と書いてあるからです。私自身は、前述した通り、限られた検死例からラーソンはそう判断しただけで、ラーソン自身はガス殺死体を見ていないとは思ってはいますが、そこまで考えずに読めば、「検死の結果」と書いてあるのですから、「稀だった」と述べている以上、少しは検死死体に毒ガス遺体があった、と読むと思います。従って、西岡が書いている「この「中毒(poisoning)」という言葉には、当然、「毒ガス」による事例も含まれるはず」と読むのは直前の記述に矛盾していることになり、そうとは言えません。むしろ「含まない」としなければ意味が通りません。この箇所も、西岡が極めて不誠実であることを示していると言えます。

「病死者の死体は「ガス室大量殺人」の証拠か?」について

西岡は、上で示したようなベルゲン・ベルゼンでの大量埋葬墓の写真について、長々とそれらは病死体に過ぎず、定説側も認めている云々と述べた後、以下のように述べます。

ところが、テレビなどのマスメディアは、何故か、ベルゲン・ベルゼンで撮影されたこの映像を今も「ガス室大量殺人」の「証拠写真」でもあるかのように使用し続けているのです。例えば、「アエラ」やNHKすらが、そういうことをしています。虚を突かれる気がすると思いますが、これが、「ホロコースト」についてのマスメディアの手法の一つなのです。これは、「映像トリック」と言われても仕方のない手法ではないでしょうか?

西岡本

そのNHKの『映像の世紀』の再放送で、ナチスのホロコーストを取り扱った回(「世界は地獄を見た」)の映像で確かにホロコーストの象徴のようにベルゲン・ベルゼンなどの強制収容所での大量の遺体の映像が用いられているのを見ましたが、そこでダッハウやその他のガス室だと思われる映像は使われていたものの、写っていた大量の死体がガス室で殺された死体だとの説明はどこにもありませんでした(しかし、強制収容所で600万人殺された、とか言ってたのでそれは間違いだと思いました)。西岡は注意深く「あるかのように」と書いていますが、たとえ曖昧な表現であっても、西岡の方がフェイク的に語っているのではないでしょうか? 

すでに述べた通り、病死や餓死の遺体であろうとも、ナチスドイツの政策下で死んだ犠牲者であることは間違いのない事実なのですから、それらをホロコーストから除外する理由はありません。ベルゲン・ベルゼン収容所に収容所の収容能力を遥かに上回る囚人を詰め込んだのはナチスドイツですし、たとえ終戦間近の窮乏していた時期であろうとも、囚人の管理責任はナチスドイツにあります。ナチスドイツは十分な衛生管理能力も給養能力もなかったのを当然わかっていたのであり、膨大な死者が出ることもわかっていたのですから、それら膨大な囚人を死なせた責任はあくまでもナチスドイツにしかありません。

もちろん、ガス殺死体やアウシュヴィッツ収容所の遺体だとして、誤ってベルゲン・ベルゼンの写真が使われたこともなかったわけではありません。ですが写真の誤用が、ガス室がなかった証拠になるわけではないことは誰にでもわかる話だと思います。ホロコースト関連では写真が誤用された事例は私自身もいくつか知っています。バビ・ヤールの写真ではないのに、バビ・ヤールの写真だと誤って紹介している例はいっぱいネットにあります。例えば以下のページにある、犠牲者が写っているらしき写真は全てバビ・ヤールのものではありません。

だからと言ってそれら写真がホロコースト犠牲者の写真でないのではありません。単に、ホロコーストに含まれる他の虐殺のものを誤用しただけなのです。興味のある人は、Googleレンズを使って調べていくとそれらの写真がどの虐殺に相当するのかは割と簡単にわかると思います。また、バビ・ヤールの写真が誤用されているからと言って、バビ・ヤール虐殺がなかったことになるわけでもありません。

西岡の言い方を見ていると、あたかもホロコーストとはガス室での殺害だけを指すかのように思えてきますが、そうではないのです。

「湾岸戦争の「油まみれの水鳥」」について

湾岸戦争は1990年8月に起きた、クウェートに侵攻したイラクをアメリカ主導の多国籍軍が追い出すための戦争ですが、それからこの記事作成時点で34年近くも経っていて知らない人もいるかもしれないので、もし知らないのであれば例えば以下をご覧ください。

西岡本の出版当時(1997年)はまだ新鮮な話題であったので、「油まみれの水鳥」の話は、ナイラ証言とともによく知られていました。

で、西岡は以下のように述べます。

ところが、私たちは、マスメディアによって、この映像がまるで「ガス室」で殺された人々であったかのように錯覚させられています。テレビの「ドキュメンタリー」などでは、多くの場合、はっきりした解説を付けずにこの映像を見せるという手法を取っていますが、「ユダヤ人虐殺」を語る時に、見る側が、どう見ても病死者などとは思わず、「ユダヤ人虐殺」の犠牲者だと錯覚するようなやり方で、この病死者の映像が使われているのです。これが、湾岸戦争の「油まみれの水鳥」と余りにも似ていると思うのは、私だけでしょうか? 

西岡本

西岡氏とその同調者だけでしょう。何度も述べているように、ベルゲン・ベルゼンの大量遺体の写真もホロコーストの犠牲者に含まれます。

しかし、ベルゲン・ベルゼンの大量遺体写真が仮にガス室の殺害遺体だと誤って使われていたからとしても、ガス室が否定されるわけでもありません。すでに述べた通り、誤用はそれが説明する事実を否定するわけではないのです。あなたの写真を誤って別の人の写真だと誤用されても、あなたが存在しなくなるわけではないのと同じです。

「油まみれの水鳥」はその犯人はイラクではなくアメリカ軍ではありましたが、2024年1月現在も続いているウクライナ・ロシア戦争では散々フェイクニュースが流され、中でもブチャの虐殺をめぐるロシア側の報道は酷いものでした。いまだにあの時のロシア側の「ウクライナのフェイクだ!」という主張を信じている人がいますが、戦争ではフェイクニュースはよくある話です。全く情報操作をしない戦争があったら知りたいくらいです。


「眼鏡も靴も髪も物証ではない」について

また、眼鏡や靴がいくら山のように積まれていても、「ガス室大量殺人」があったことの証拠にならないことは言うまでもありません。それらの物の持主たちが、「ガス室」で殺された証明は何処にもないのですから。しかし、こうした物品を「証拠」と思い込んでいる人も少なくありません。これも、そうした物品に与えられる「説明」の効果ですが、こうしたことは、ちょっと冷静になればすぐに分かるのです。しかし、その冷静になることができないために、このような物品を「証拠」と錯覚している人は少なくないようです。

西岡本

アウシュヴィッツ博物館には、犠牲者の旅行鞄や靴が大量に展示されていることはよく知られていると思います。

確かにこれらは西岡の述べる通り「「ガス室大量殺人」があったこと」の直接的な証拠にはなりません。しかし一つ知っておいて欲しいことがあります。これらの靴や鞄などの「犠牲者の遺品」はただこうして雑然と展示されているだけではありません。これらの遺品は一つ一つ丁寧に記録され、修復され、できる限り状態を維持できるように博物館員の手によって作業が続いているのです。

https://apnews.com/article/auschwitz-holocaust-childrens-shoes-conservation-c82a8e54e60050fa3667302e610736ddより

これらの遺品は全て、確実にこのアウシュヴィッツに大勢の犠牲者がいたことを示す証だからであり、歴史的な遺産としてできる限り末長く残していかなければならないと考えたからに違いありません。心無いホロコースト否定者たちの中には、これらの遺品を捏造したものだと主張する人さえいますが、捏造されたものだという証拠こそ何一つありません。それどころか、アウシュヴィッツ収容所には強制移送されてきた人たちから奪った大量の荷物があったこと示す当時の写真さえ残っています。

https://collections.ushmm.org/search/catalog/pa8636より。

旅行鞄の写真をよく見て欲しいのですが、その多くには名前が書かれています。この名前を元に、犠牲者の特定作業も当然行われているのです。西岡を含むホロコースト否定派の人たちは、そこまで考えたこともないのではないかと思います。

実際には、これら遺品のほとんどは、ドイツ帝国へ出荷されてしまったため、アウシュヴィッツに残されている遺品はほんのわずかにすぎません。それでも残された遺品は間違いなく、そこにそれら遺品を実際に使っていた犠牲者たちがいた証なのです、それがたとえガス室殺人の直接の証拠になっていなくとも。

そして、やろうとさえ思うのであれば、例えば鞄の一つに書いてある名前から犠牲者を特定し、その人物が生存しているかどうか、あるいは囚人として登録されていたのかどうか等、調べることは否定派にも可能でしょう。否定派がそんな特定作業をしたとは聞いたこともありませんが(もししたとしても否定派は「鞄に書かれた人物はいなかった」などと嘘をつくとは思いますけどね)。

「「ユダヤ人絶滅」が命じられた証拠文書は発見されていない」について

この件については、しつこいくらい何度も言ってきたつもりなのですが、否定派の説明ではナチスドイツがやったユダヤ人絶滅=ホロコーストは、連合国やユダヤ人たちによって捏造されたもの、ではなかったのでしょうか?

否定派は、ガス室として残っている部屋・建物は全て捏造されたものだと言ってますし、証言は拷問によって嘘をつくように強要されたものですし、ヤバい文書資料は全て偽造されたもの、例えばここで述べられているヒトラーのユダヤ人絶滅命令があったことを示す一つの証拠となりそうな、以下の文書などは否定派は断じて捏造との主張を譲りません。

ユダヤ人の再定住行動

アウシュビッツ収容所は、ユダヤ人問題を解決するための特別な任務を担っている。ここでは、最新の対策によって、総統の命令(Führerbefehls)をできるだけ短時間で、しかも大きな混乱もなく実行することができる。
<後略>

否定派が求めていたはずの原本が発見されたのに、それでも「捏造」説を撤回しないのです。

じゃぁ、それらが捏造されたものなのだとするならば、なぜヒトラーの命令書は捏造されていないのでしょうか? そんな不可解なことってあり得ますか? ガス殺の死体だってそうです、前述したクラスノダールの証拠はともかく、ガス室説を捏造したのであれば、それを証拠立てる死体の一つや二つ、捏造者はきっと捏造したに違いありません。なのに存在しないのです。

ホロコーストのような世紀の大犯罪を捏造するのに、瑣末な証拠文書を捏造しているのに、ヒトラーの命令書のような決定的な証拠になり得る(少なくとも否定派はそう言っています)文書が存在しないこと=捏造されていないことは、どう考えても不自然極まりないとしか思えません。しかもヒトラーの命令書って、以下のように非常に簡素なものです。

アドルフ・ヒトラーによる安楽死プログラム(T4作戦)承認書。実際には1939年10月に署名されたのですが、日付は遡って1939年9月1日となっています。:内容は「党指導者ボウラー氏と医師ブラント博士に、病気の状態が深刻で治癒できない患者を安楽死させる権限を与える。―アドルフ・ヒトラー(署名)」と書かれています。

この程度の文書、偽造できない訳がありません。私のこの疑問に回答できた人は今の所一人もいません。一方で定説側のヒトラーの命令文書が存在しない理由は簡単です。ユダヤ人の絶滅はとんでもない大犯罪なので、文書資料のような決定的な証拠を残さなかった、です。可能な限り証拠を残さないように努める行為は、犯罪者なら当たり前にやってることです。そこに不自然さは何もありません。

で、総統命令自体があったことを示すグリクシュ文書のようなものや、総統命令だとしてユダヤ人絶滅作戦のヒムラーからの指示があったことを記すヘスの回顧録、ハイドリヒから総統命令があったと伝えられたと記すアイヒマンの回顧録、あるいはヒトラー宛の51号文書など、命令があったと考えられる証拠は色々とあるのです。で、命令文書がないのであれば、口頭命令だったのだろうと推定することは当たり前です。それがヒトラーの命令の証拠を残さない方法としては最も最善です。

さて、西岡はここでこんなことを述べています。

「ユダヤ人絶滅に関するヒトラーの命令文書が存在しないのは事実である。しかし、ヒトラーがこの時点でユダヤ人絶滅を決定した事を立証する資料は存在する。おそらくそれは口頭で命令されたのであろう」(学研「歴史群像シリーズ」42)「おそらくそれは口頭で命令されたのであろう」とは、想像に過ぎないではありませんか(!)。しかも、その「ヒトラーがこの時点でユダヤ人絶滅を決定した事を示す資料」とは一体何を指すのでしょうか? (もしや「ウァンゼー会議議事録」のことでしょうか? )栗原教授は、何故か、この一番大事な点を言っておられないのです。

西岡本

あの、……「歴史群像シリーズ」って、どんな本かご存知の方もおられるかと思いますが、少なくとも学術的な文献と言えるものではないと思いますけど。参照すべきでないとまでは言いませんが。

まぁ、またいずれ、栗原優氏の『ナチズムとユダヤ人絶滅政策』でも確認してみましょう。

そういう命令文書がないので、何か代わりの文書を提示しなければ、ということなのでしょう。「定説」論者の中には、「ウァンゼー会議議事録」と呼ばれる文書とか、ゲーリングが一九四一年七月三十一日に書いた手紙、またはヒムラーが四三年十月四日に行なった演説の「筆記録」とされる文書などを引用して、それらの中で「ユダヤ人絶滅」が間接的な形で言及されている、と主張する論者もいます。
(21)(22)。しかしながら、原文を読めば分かることですが、これらの文書の内容は、「ユダヤ人絶減」を語ったものなどでは全くないのです。例えば、今挙げた「ウァンゼー会議議事録」という文書は、戦後、連合国が「発見した」として発表した文書で、ベルリン郊外のウァンゼーという場所で開かれた秘密の会議を記録した文書ということになっています。

西岡本

太字で強調した部分ですが、これはヒムラーのポーゼン演説(ポズナン演説)と呼ばれるもので、西岡は知らなかったようですが、録音記録が残っています。

この最後に私自身で若干の意訳を含めて、問題の部分を全文繋げて日本語訳を示していますが、それのどこが間接的なのでしょうか? 明確に、

つまり「ユダヤ人の疎開(Judenevakuierung)」のことであり、ユダヤ民族の絶滅(Ausrottung)である。

と述べています。他、多くの身内を処刑した長いナイフの夜の話や、死体の話をしたり、敵を殺すのが義務だったと語ったり、「話すことはないだろう」などと決して口外しない行為について語っているのに、いったいどうやってそれを「ユダヤ人の強制移送のことだ」と読めと言うのでしょうか?

もちろん、ドイツ語ネイティブのホロコースト否定派たちは、ユダヤ人絶滅と読める(読むしかない)ことを十分わかっていて、解釈によってそれを否定しようとします。例えば、実際にユダヤ人の絶滅の具体的証拠がない以上(註:否定派の主張です)、ヒムラーは単に自らの願望を述べただけであり、強制疎開によってユダヤ人が滅亡してしまうことだけを考えていたのだ、とか。ものすごく無理矢理としか言いようがありませんけど。

西岡は私との旧Twitter上での議論で、「Ausrottungとは根絶やしを意味するだけだ!」の主張をずっとし続けましたが、ドイツ語ネイティブな否定派でさえもそれが英語の「extermination」を意味すると認めているのですから、話になりませんでした。


「「極秘の絶滅計画」を演説で語ったというのは不合理」について

例えば、ヒトラーの著作『わが闘争」の中に「ガス」の話とユダヤ人の話が並んで出てくる箇所があり、それを「ユダヤ人絶滅の予告」と見なす論者がいますが、これなどは、『わが闘争」の該当箇所を前後の文章とともに読めば、その意味が分かります。即ち、その国所は、「ガス室によるユダヤ人絶滅」などに言及しているのではなく、第一次世界大戦でドイツ兵が敵の毒ガスに苦しめられていた時、ユダヤ人たちは何をしていたのか、といった意味の文章の一部に過ぎないのです(30)。

西岡本

そう見なした論者が誰なのかを書くべきだと思うのですが、それはさておき、そうしたヒトラーの著述はヒトラーの思想・考え方を示すものではあります。ヒトラーの思想からホロコーストを読み解く人たちのことをどうやら意図派と呼ぶようです。ヒトラーの意図があってこそのホロコーストだろうと考え、その意図をさまざまな面から読み解いていく訳です。そうすることによって、ホロコースト(ユダヤ人絶滅)がなぜ起きたのかを考えるのです。それに対し、1960年代ごろからフランスを中心に発展してきた構造主義的な考え方でホロコーストを読み解いていく考え方を、機能派と呼んだりします。意図派と機能派の説明は私には高度なのでこれ以上は説明はしませんが、機能派にしてもヒトラーが「ユダヤ人の絶滅」的な考え方を持っていたこと自体を否定してはいません。だって、はっきりそう演説してるんですからね。

この日、私たちドイツ人だけでなく、他の人々にとっても記憶に残るようなことをひとつ言っておきたい:これまでの人生の中で、私はしばしば預言者であり、そのために嘲笑されてきた。私が権力闘争に明け暮れていた頃、私がいつか国家の指導権を握り、それとともに全国民の指導権を握り、そのときにはユダヤ人問題を解決してみせる、と言ったとき、私の予言をただ笑いながら受け止めたのは、第一にユダヤ民族だった。彼らの笑いは騒々しかったが、ここしばらくの間、彼らは顔の裏側で笑っていたように思う。今日、私は再び預言者になる:もしヨーロッパ内外の国際的なユダヤ人金融家が、諸国民を再び世界大戦に陥れることに成功すれば、その結果は地球のボリシェヴィゼーション、ひいてはユダヤの勝利ではなく、ヨーロッパにおけるユダヤ民族の消滅となるだろう!

有名な、1939年1月30日のヒトラーの演説ですが、この一度きりではなく、この後に何回か同様の演説をしていますが、ともかくこの演説について西岡は以下のように述べます。

また、ヒトラーが一九三九年に、もし今度、世界大戦が起きたら、それはユダヤ民族の滅亡に終わるぞ、という意味の演説をしたことを引いて、「ユダヤ人絶滅計画」が存在したことの証拠であるかのように言う論者もいます(31)。しかし、これもおかしい。確かに、そういうひどい演説はありましたが、これですら、仮定形で述べられているのであって、そんなことを決定したとか、命令したとかいう発表ではないからです。

西岡本

確かに命令ではありません。しかし、これはヒトラー総統の意思の表明に他なりません。彼は演説の中で「私は再び預言者になる:もしヨーロッパ内外の国際的なユダヤ人金融家が、諸国民を再び世界大戦に陥れることに成功すれば」と述べた上で、「ユダヤ民族の消滅となるだろう!」と述べたのですから、実際に第二次世界大戦となり、その総統の預言どおりに事を進めようと、ヒトラーの配下が思ったとしても不思議ではありません。

そもそも、演説とは、誇張やハッタリが日常茶飯事に使われるもので、その中の表現を行政命令などと同様に解釈することは、全くもって間違っています。減税などする気がないのに「減税をする」と演説する政治家など枚挙にいとまがないことは、皆さんもよくご存旬の通りです。また、戦争をする気がないのに「戦争をするぞ」と言うこともあれば、戦争をしようとしながら、「戦争はしない」と演説することもあります。その上、その場の雰囲気などによって、著しく誇張された表現が使われることも枚挙にいとまがありません。一例を挙げましょう。第二次大戦末期にアメリカ軍が沖縄に上陸した際、アメリカのハルゼー(Halsey)大将は、アメリカ兵たちに向かってこんな演説をしています。
「日本人を殺せ、日本人を殺せ、もっと日本人を殺せ(KillJaps!KillJaps!KillmoreJaps!)」(学研「物語日本史」10『日清日露・太平洋戦争」高村児「太平洋戦争」)
おぞましい演説です。また、沖縄では、現に多くの民間人が殺されています。しかし、ハルゼー大将がこう演説したからといって、アメリカが「日本民族絶滅」を計画していたと言えるでしょうか? 言うまでもなく、この演説から、そのような計画があったことは立証できません。演説とは、このように、その場の雰囲気によって、誇張された表現や言葉が使われるものだからです。

西岡本

それにしても西岡は学研が好きですね。「学研「物語日本史」」でググると、AIは「学研の「物語日本史」は、全14巻の児童書です。オールカラーのまんがで歴史の大きな流れをつかみ、DVDでポイントをより深く理解できる歴史学習まんがです」と答えてくれたのですが……。

確かに、一つの演説に「ユダヤ人絶滅」が語られているからと言ってそれ一つで証拠になるわけではないのはおっしゃる通りですが、だからと言って無視して良いものではありません。私たちは歴史を見る場合、その経緯・推移を観察する必要があります。「「減税をする」と演説する政治家」がいたとして、その政治家が政権党の党首となって実際に減税政策を実行したのであれば、その政治家は一貫して減税派であってそれを実行したとみなされます。現実には、嘘つきの政治家は多いですけれど、そうでない場合もあります。小泉純一郎は「郵政を民営化する!」とずっと主張し続けて、自分が首相になったら実際にやってしまいました。これを有言実行と言ったりします。

西岡らのホロコースト否定派たちと、定説側が決定的に異なるのは、ユダヤ人絶滅が実際に起こったことを認めているか否かです。西岡自身の考えはいまいちはっきりしないところがありますが、ホロコースト否定派の大半は、ヒトラーを高く評価していた筈です。なのに、否定派はヒトラーは嘘つきであり、有言実行しなかったとでも評価するのでしょうか? 否定派は本当におかしな人たちだと思いますけどねぇ。


「押収されたドイツ公文書は何を物語るか」について

さらに重要なことは、先ほども触れたように、戦後、連合軍が押収したドイツ政府の公文書の中に、どう読んでも、「ユダヤ人絶滅」とは両立しない命令や決定を明記した文書が、多数。発見されているという事実です。即ち、ただ「ユダヤ人絶滅」の命令文書がないだけではないのです。「絶滅」とは両立しない決定や命令が為されていた証拠が、押収されたドイツ政府公文書の中に多数、存在しているのです。
例えば、一九四二年八月二十一日のドイツ外務省の文書には、総統(ヒトラー)は、ユダヤ人を戦後、ソ連領内に強制移住させることを決めている、という意味の記述があります(33)

西岡本

へー、それはどんな文書なのだろう? と思って、この注釈33を見ると、

Nuremberg document NG-2586-J. NMT green series,Vol.13, cited in['Auschwitz: Myts and Facts" by Mark Weber,(Institute for Historical Review)]

とあったので、それが引用されていると書いてあるマーク・ウェーバーその論文を検索で引っ掛けてみたのですが、不思議なことにその脚注に記された文献に「Nuremberg document NG-2586-J」は見当たりません。西岡は脚注文献の書き方が極めて杜撰な場合があることを経験で知っているので、

もしかして?、と思っていたら、またやらかしていることがわかりました。探してみたら多分これだろうというのを見つけたのです。

https://cdn.preterhuman.net/texts/unsorted/IHRLeaflets.pdf

西岡は本当に杜撰です。これは、IHRが配布していたリーフレットであり、いくつかの論文を集めたものです。その5番目の論文が「Auschwitz: Myts and Facts」なのです。しかし、「Nuremberg document NG-2586-J」を用いているのは6番目の論文である「The Holocaust: Let's hear both sides」なのです。西岡はちゃんと確認するという普通の習慣はないのでしょうか? なぜこうも杜撰というか雑なのか、困った人です。「脚注が本当の勝負」って学術界隈ではよく言うそうなのですけど、私ズブの素人なのですけど、西岡はほんとダメな人ですねぇ。

ともあれ、マーク・ウェーバがなんと書いていたのかを以下に訳出します。

鹵獲されたドイツ文書

第二次世界大戦末期、連合国はドイツの戦時中のユダヤ人政策に関する膨大な量のドイツ文書を没収した、これは公式には「最終的解決」と呼ばれることもあった。しかし、絶滅計画について言及したドイツの文書は一つも見つかっていない。それどころか、ドイツの「最終的解決」政策が、絶滅ではなく移住と国外追放であったことを、この文書は明確に示している。

たとえば、1942年8月21日のドイツ外務省の機密覚書を見てみよう(脚注4)。「現在の戦争は、ドイツにヨーロッパのユダヤ人問題を解決する機会と義務を与えている」覚書にはこう記されている。

「(ヨーロッパからの)ユダヤ人の疎開を、親衛隊全国指導者(ヒムラー)の機関と最も緊密に協力して推進する」という方針はまだ有効である。

メモには、「このようにして東方へ追放されたユダヤ人の数は、労働力を賄うには十分ではなかった」と記されていた。

この文書には、ドイツのリッベントロップ外相の「この戦争が終われば、すべてのユダヤ人はヨーロッパを去らなければならない。これは総統(ヒトラー)の揺るぎない決断であり、この問題を克服する唯一の方法でもあったし、 グローバルで包括的な解決策しか適用できず、個別の対策ではあまり役に立たないからだ。」という言葉が引用されている。

覚書は、「(ユダヤ人の東方への)強制送還は完全解決へのさらなる一歩である……(ポーランド)総督府への強制送還は一時的な措置である。ユダヤ人は、そのための技術的条件が整い次第、占領された[ソ連の]東部領土にさらに移動させられる」と結んでいる。

ホロコースト絶滅説を支持する人々によって、この明白な文書やそれに類する文書は、日常的に抑圧されたり、無視されたりしている。

脚注
4. Nuremberg document NG-2586-J. NMT green series, Vol. 13, pp. 243-249.

その文書はマルティン・ルターっていうドイツ外務省の外務次官によるもので、あのヴァンゼー会議にも出席した人物の一人であり、このルターの持っていた議定書のコピーが唯一、ヴァンゼー議定書として現存していたものでした。

で、そんな覚書文書が、「本当はユダヤ人絶滅ではなく東方(ソ連地域)に移送して生かすのがナチスドイツのユダヤ人問題の最終解決の中身だった」の証拠になんてならないのです。だって、言い換えてるんだから。あのコルヘア報告に書かれた、「東部地方からロシア東部へのユダヤ人の輸送」は、ユダヤ人絶滅を意味するとしか読みようがないことははっきりしています。

そもそも、総督府やヴァルテガウの収容所を通過してソ連地方に移住させられたユダヤ人なんて一人も確認されていないんだから。一体、否定派はユダヤ人が強制移送されていただけであるという「物的証拠」を一度でも示したことはあるのでしょうか? 本当に否定派はお笑い種でしかないのです。


「ユダヤ人虐待を理由に処刑されたドイツ人がいた」について

このタイトルの件、つまり、

例えば、ブーヒェンウァルト収容所の司令官だったコッホというドイツ人は、そうしたユダヤ人への虐待を理由に、当時のドイツ当局によって死刑に処せられています。ドイツのユダヤ人政策の目標が「ユダヤ人絶減」であったとしたら、一体なぜ、「ユダヤ人虐待」を理由に、ドイツ人が、それも収容所の司令官が、死刑に処せられなければならなかったというのでしょうか? これは、不条理としかいいようのないことです。

西岡本

この西岡のデタラメ論をいまだに主張する人がネットには絶えないのですが、これは山崎カヲル氏の以下の反論でとっくに終わっています。

ユダヤ人を虐待しなかった親衛隊?

2024年1月現在、日本語Wikipediaにも書いてあります。

1943年8月、コッホは反抗行為及び運営怠慢そして横領と偽造の罪でゲシュタポに逮捕された。これは、1941年からコッホの不正を内偵させていたヨシアス・ツー・ヴァルデック=ピルモントの差配によるものであった。彼は収容所の処刑者記録に、以前おできの治療をしてもらった政治家出身の囚人ヴァルター・クレーマー(獄中で看守や囚人の医療を行っていた)とその医療助手カール・パイクス(Karl Peix)の名を見つけた。両名は1941年11月6日に、脱走を計ったとして処刑されていた。

親衛隊法務官コンラート・モルゲン(de:Konrad Morgen)博士により裁判は進められた。調査と裁判の結果、コッホはクレーマーとパイクスの殺害を命じたと認定された。殺害の理由は、2人がコッホに梅毒治療を施しており、彼らが外部にその事を漏らさない為の口封じだった。コッホには極刑判決が下り、アメリカ軍が到達する一週間ほど前の1945年4月5日ブッヘンヴァルト強制収容所において銃殺刑に処せられた。

日本語Wikipediaより

その他の件は、本当に私は散々他で述べてきたことで今更めんどくさいのですけれど、簡略化して説明すると、例えばアウシュヴィッツに病院があったのは、一旦囚人にしたユダヤ人(ユダヤ人以外もいましたが)は労働力確保のため貴重だったから治療出来たならしただけのこと(ただし囚人たちの多くは病院に行きたがらなかった。なぜなら選別を受ける可能性が高かったからである。選別とは治療の見込みなしとして殺されることを意味する。)。強制収容所ならどこでも病院棟くらいあったと思います。ただ、着いたその日のガス室送りになったユダヤ人(概ね7割以上)に対しては、病院などなんの関係ありませんでした。

それから、これはあまり知られていないことですが、アウシュヴィッツに収容された人々の中には、一旦、収容所に入れられた後、ドイツ当局によってそこから出ることを許された者が多数いたことが、ドイツ側の記録から判明しています(43)。考えてもみて下さい。もし、アウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)などが「極秘の絶減収容所」だったとしたら、一体ドイツ当局は、そこに収容した人間を再び解放したりしたでしょうか? そんなことをしたら、解放された被収容者が、そこで起きていることをしゃべってしまうのは火を見るより明らかなことです。それなのに、アウシュヴィッツを管理していたドイツ当局は、現にそんなことをしていたのです。

西岡本

これも山崎氏から反論されてます。私から言えることは、アウシュヴィッツ収容所は、司令官のヘスがヒムラーから「脱走病を治せ」と注意を受けるほどには脱走者も結構いたので、若干の解放者がいてもどうってことはないと思うのですけどね。西岡がわかってないのは、アウシュヴィッツは三つの主要な収容所とおよそ50箇所の副収容所からなる巨大な強制収容所複合体であり、絶滅機能は、その中の第二収容所であるビルケナウが受け持つ機能の一つに過ぎなかった、という事実です。うち、流石にユダヤ人絶滅に直接関わっていたユダヤ人ゾンダーコマンドが解放されたという話は聞きません。

アウシュヴィッツからの釈放者

あとは例えば以下などを参照ください。


「「ユダヤ人絶滅」のための予算は計上されていない」について

これも西岡が日本で有名にした否定論の一つですが、欧米の否定派の多くも同様かと思いますが、理解が雑すぎるのです。それを言ったのはホロコースト史家ではある意味最も有名かもしれないラウル・ヒルバーグだからです。

単純にヒルバーグは、ユダヤ人絶滅のための特定の予算項目はなかった、と言っているだけです。多くの収容所があったことを否定する人はいないし、虐殺は別としても、ユダヤ人を大量移送していた事実を否定する人もいません。東部地域でのアインザッツグルッペンを中心とした活動を否定する人もいないし、特定の予算項目などなくとも、さまざまな予算措置で実働可能だったのです。私は大して細かい文書資料は知らないけれど、ヘウムノシリーズを翻訳していてそれなりの文書資料があることを知ってます。

否定派はこうした資料が示されると、途端に話をすり替えて「それのどこがユダヤ人絶滅の証拠なのだ?」と抜かしやがります。いやそうじゃなくて、金の話をしてるんだろ?と。

例えば、アウシュヴィッツーピルケナウで今日「ガス室」として公開されている地下室の設計図を見ると、たくさんある図面のどれを見ても、それらの地下室には「死体安置室(Leichenkeller)」という書き込みがあるばかりで、それらの地下室が処刑用ガス室として設計されたことを示す図面はないのです(同)。そのため、「定説」側論者の一人は、「これらの部屋は、当初はただの死体安置室として設計され、後からガス室に転用されたのだ」等と説明しているのですが、そんな証拠は何もありません(後述)。それに、仮にその仮説が正しいとすると、その収容所が建設された当初は、その「ガス室」を作る予定がなかったということになります。つまり、「ガス室」を作る計画がない段階で収容所そのものは建設されていたことになるわけですが、これはおかしくはないか。何故なら、二つに分かれたアウシュヴィッツ収容所の内、後から建設された第二アウシュヴィッツ(別名ビルケナウ収容所)の方は、最初から「ユダヤ人絶滅」の目的で作られた、とするのが、「定説」側のこれまでの説明だったからです(46)。それなのに、もし第二アウシュヴィッツ収容所に、建設当初は処刑用ガス室を作る計画自体がなかったというのなら、この収容所(第二アウシュヴィッツ)が建設された目的が、「ユダヤ人絶滅」ではなかった、ということにもなりかねないわけで、これは、「定説」側がこれまで主張してきたアウシュヴィッツ(ビルケナウ)に関する説明を根本から書き変えるものです。それどころか、問題の「ユダヤ人絶滅計画」の実在にすら疑問が投げかけられかねない話なのです。

西岡本

この件に関しては、ジャン・クロード・プレサックの『アウシュヴィッツ ガス室の技術と操作』を斜め読み程度でもいいので、読んでおく必要があると思います。一応私の方で日本語訳を公開しています。なかなか膨大な情報量の本であり斜め読みも難しいかもしれませんが。

ナチス親衛隊は、図面に「殺人ガス室」と書いて証拠を残すような馬鹿なことはしなかったのです。ほんとに、フォーリソンをはじめとする西岡らのような否定派の難癖は馬鹿馬鹿しすぎます。それでも、図面の変化や文書資料を読み解いていくと、ビルケナウの火葬場に殺人ガス室を併設するように設計変更したことがわかったのです。その変更はヘスが自伝で説明した事実に一致していました。これも私は何度も何度も書いてきたので、詳細を説明するのはここでは端折ります。


「ドイツのユダヤ人政策は不当だった、しかし・・・」について

ドイツのユダヤ人政策は、もちろん、不当なものでした。しかし、そのドイツといえど、ユダヤ人を「絶滅」することまでは計画していなかったのではないか。私には、そうとしか考えようがないのです。ただし、これは「否定」ではないので、もし「いや、「絶滅」が計画されたのだ」とおっしゃる方があり、その証拠を示して下さるなら証拠が示されれば、です私は、いつでもそれを受け入れます。

西岡本

要は、ロベール・フォーリソンの言葉をそのまま西岡なりに言ってるだけであり、この主張すら西岡のオリジナルなどではないのです。西岡は単に、ほとんどの日本人が当時知らなかったであろう欧米のホロコースト否定論を発見して、酔い痴れてしまっただけなのです。西岡が信じているらしい地球温暖化否定論も、やたらと同じ本ばっかり紹介しているのを見ています。彼にはそれが本当に正しいのかどうかを検証する気など全くありません。この記事内で示した、脚注文献紹介の杜撰さがそうであったように、確かめるということをしない性格なのでしょう。彼がやったのは単に、定説の主張と否定論を読み比べて、定説は否定論には答えていないと判断した、だけだったのです。当たり前です、否定論は定説への反論ですが、定説は否定論への反論ではないからです。

今回はめちゃくちゃ長くなりましたが(次回以降もかも知れない…)、最後に脚注にある一箇所だけをやっつけて今回は終わります。

注9 そのツンデル裁判だが、この鼓判は、前述したカナダ在住のドイツ人エルンスト・ツンデルが配布したパンフレットを巡って発生した前代未聞の裁判である。
<中略>なお、カナダ最高裁は、前述のように、九二年、サイトロンと彼女を支援するユダヤ人グループの期待に反して、ツンデルに無罪判決を下している。しかも、その際、サイトロンたちが裁判の拠り所とした、カナダ刑法における「虚偽情報」流布の禁止条項自体を、言論の自由を保障したカナダ憲法に違反するものと判断しているから、裁判自体について言えば、サイトロン側は大敗したと言うべきである。ただし、カナダ最高裁は、ツンデルを無罪とした九二年のその判決の中で、「ガス室」を始めとする歴史的事実に関する判断は、結局避けている。

西岡本

いやはや、ツンデルが無罪となったからツンデル側の大勝利だった!と主張する人はいくらでも見たけれど、まさか西岡はサビーナ・シトロンの大敗だと思っていたとは知らんかった。シトロンやカナダ検察当局が「ツンデルは刑務所に放り込むべきだ!」と思っていたのであれば、一応、刑務所だか拘置所だかは知らないけれど、第一審と第二審の有罪判決でツンデルは何ヶ月かは勾留されているので、目的は果たしてます。ただ、最終判決を有罪にすべきと願っていたのであるならば、西岡の言う通り敗北ではあるのでしょう。そこがはっきりしない限り、「大敗」云々は分かりません。

でも、「カナダ最高裁は、ツンデルを無罪とした九二年のその判決の中で、「ガス室」を始めとする歴史的事実に関する判断は、結局避けている」は嘘です。最高裁判決には以下のように記述されているからです。

対照的に、控訴人(註:ツンデル被告)は偽りの問題を提起している。この問題は、実際には証拠に基づくものではなく、虚偽表示や純粋な捏造に基づくものであるため、まさに同じ証拠の相反する解釈を調整することによって解決することはできない。控訴人の主張と正統派ホロコースト史家の主張との矛盾は、理性的な議論によって解決されるものではない。正統派の歴史家は自説を支持する資料を挙げるが、控訴人をはじめとする「修正主義」の歴史家は、存在しない、あるいは彼らが主張するようなことが書かれていない文書を挙げる。『600万人は本当に死んだのか』というパンフレットは、現実の一部ではないので、受け入れられている現実観には合わない。知識の完全性の名の下に、控訴人は知識のメカニズムに混乱をもたらす権利を要求している。

https://scc-csc.lexum.com/scc-csc/scc-csc/en/item/904/index.do

明確に、現実観に合わない、と判決は主張していますが、これを「歴史的事実に関する判断は、結局避けている」と判定可能でしょうか? 西岡は最高裁判決など読んですらいないのは確実だと思います。

ではまた次回。

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