『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(5)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(1)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(2)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(3)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(4)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(5)
ある意味、今まで色々ホロコースト否定論について記事にしてきた中で、最もメンドクサイ作業をしているような気がしてならないシリーズの第5回目です。やり始めても終わらせられないことが多いので、とにかく終わらせることだけを意識しています。まさか、これほどまでにダラダラまとまりのない著述だとは思ってなかったし……。
「第5章 真の悲劇は何だったのか?」について
「ガス室大量殺人の科学的不合理」について
内容がないようなのでこの項目はパスです(笑)
「「ディーゼル・ガス室」の科学的不合理」について
この、歴史修正主義者のフリードリッヒ・パウル・ベルクに始まったらしいディーゼル・ガス室否定論は2000年頃を過ぎると、新たに台頭してきた反修正主義派の一拠点ともいうべき、おそらくアマチュア、またはセミプロ級のホロコースト研究者たちの集まりと思われるHolocaust Controversiesブログサイトによって、ディーゼル・エンジンではなくガソリン・エンジンであった可能性が高いという説に修正されることにより無意味になりました。すでに述べた通り、その説は主流の歴史家たちに受け入れられています。
西岡のこの主張に、私も基本的には賛同していたことは以前にも述べたと思いますが、歴史家たちは別にエンジンの種類にまではこだわっていなかった、だけの話です。歴史家たちは単に、自動車エンジンの排ガスは毒ガスを発生する、程度にしか思っていなかったのでしょう。それにもっと大きな理由があり、歴史家たちは無碍に証言を却下するようなナンセンスなことはしないので、ディーゼルエンジンだったとする証言が多いことから、その証言を事実として使ったのです。
しかし言われてみればその通りで、ガソリンエンジンの方がディーゼルよりも殺人にはるかに効率的なのに、ディーゼルエンジンを使う理由がわかりません。ソビボルに関してはガソリンエンジンだというのがとっくの昔に定説だったので、西岡(元のベルクと共に)の誤りなのですが、トレブリンカでは90万人近く、ベウジェツでは概ねその半分もの犠牲者を出したとされる絶滅収容所で、殺人に用いられたのがディーゼルだというのは納得できる話ではないのです。
しかし、修正主義者たちがすべきことは、「だからガス室はなかったのだ!」と結論することではなく、主流の歴史家たちが依拠したであろう証言のレベルに立ち返って、それら証言を精査すべきだったのです。しかしながらそれを実行したのがHolocaust Controversiesブログサイトでした。それが修正主義者なのだから仕方がないとは言え、せっかく修正主義者の希望通りディーゼルエンジン説は主流派側でも事実上誤りだと認められたにもかかわらず、修正主義者たちは、例によって例の如く、自説を修正しようとはしたがらないのでした。
「チクロンBの問題」について
この項にはいくつか誤りもあるのですが、すでに述べてきたことでもありますし、大したことは言ってないので、強調表示した部分だけ述べておきます。どうして西岡はサラッと息を吐くように嘘をつけるのでしょうか?
確かに、アウシュヴィッツで用いられた毒ガスの元がチクロンBであったと推定できたのは証言によるところは大きいのは事実ですが、「だけ」ではありません。例えば、否定派が「そんなものは害虫駆除用なのだから何の証拠にもならない」とする大量のチクロンBの空き缶が残っていたこともその証拠の一つです。
これらが全て殺人用に使われたものと誤解した人たちもいたかもしれませんが、そうだとしても証言によらない物証の一つではありました。また何度も何度も言いますが、西岡自身が所有していると豪語しているプレサック本は、ほとんど証言を使わずに殺人ガス室を立証しています。いくら西岡がプレサック本を読んでいなくとも、そのことを知らないわけがありません。
だから私は西岡は嘘をついていると断言しているのです。
「チクロンBは何時間、青酸ガスを遊離し続けるか?」について
西岡のように、フォーリソン流の科学的・技術的考察に全く無配慮な主張をする人は絶えた試しがありません。しかし、恥ずかしながら私自身も本当に初期の無学な時期は、同様の疑問を持っていたような記憶はあります。単純に「青酸ガスを吸ったら死ぬ」くらいにしか思っていなかったからです。
しかしながら、「致死濃度」という概念を知ることにより、そうした無学な考え方は誤りであるとわかりました。情報は色々あるのですが、最も単純なもので以下のような表があります。
他にも基準があることはすでに述べていたかと思いますが、西岡はこれらの量的なことに言及する気はどうやら全くないようです。またもう一点、チクロンBを扱う以上、シアン化水素ガス専用のフィルターを装着したガスマスクはあったのに、それも西岡は無視しています。西岡は本当に医者なのでしょうか?
ガス室内に投入されたシアン化水素ガスを発生し続けるチクロンBのペレットについて、どのように処理したかがはっきりわかっているのは、火葬場2、3であり、それらのガス室では金網導入装置を使っていたので、犠牲者を全員殺害したら、金網導入装置の内側にあったバスケットに入れられていたチクロンをその容器ごと天井から外へ引き抜いていたのです。従って、引き抜いた後は「チップからの青酸ガス遊離が終わらない」問題はありませんでした。
他の、火葬場1や二つのブンカー、火葬場4・5ははっきりよく知りませんが、死体をホースからの水で洗っていたとする証言もありますので、水をぶっかけられたらチクロンBに含まれていたシアン化水素成分は水に容易に流出してしまうので、毒性は低下したでしょう。しかし基本的にはガスマスクがあり、それら地上型ガス室は容易に大気中の空気をガス室内に導入可能だったので、シアン化水素ガスはその空気と混ざって濃度が下がり、大きな問題とはならなかったと思われます。
さらに、以降も同様の話になると思うので先に言っておくと、ガス室からの死体の搬送作業を行ったのは、どうせ殺される運命が定められていたユダヤ人囚人によるゾンダーコマンドであり、たとえ死人が出ても問題はなかったのです。従って、西岡が想定するよりもずっと早くから、死体搬送作業は可能でした。
「チクロンBの青酸ガス遊離は最短でも6時間」について
この項目のタイトルからして嘘・誤りです。以下の資料をご覧ください。
気温が-18℃以下なら西岡の主張もあり得ますが、氷点以上なら3時間程度で全て蒸発します。おそらく気温20℃くらいに達すると2時間もあれば全量が蒸発したでしょう。
そんなこと、NI-9912のどこにも書いてません。西岡は、薬の説明書をちゃんと理解しなければならない立場の医者のはずなのに、それすら出来ないのでしょうか? 本当に真面目に西岡が医師であることが信じられません。NI-9912にはこう書いてあるのです。
ここに書かれた「6時間」は、害虫駆除に適切に効果を発揮するには気温が高くても最低それだけの時間が必要、ということなのであって、ペレットからの蒸発時間ではありません。また細かい話ですが、西岡が書いている「摂氏15度」とは、NI-9912では「暖房設備のある部屋では、少なくとも摂氏15度以上でなければならない」と書いてあるだけであり、これは害虫駆除作業が終わってから室内を使用可能にするための条件であり、チクロンBからの青酸ガスの遊離とは何の関係もありません。西岡は一体どんな読解能力をしているのでしょうか? 何度も何度も西岡の確認不足の誤りを指摘しなければならないのは本当に馬鹿馬鹿しいことです。
「「ガス室」の換気に何時間かかるか?」について
違います。西岡が全然わかっていないのは、チクロンBは当時広範に使われた害虫駆除剤だったということです。
このように、駆除現場内部の構造が複雑で、さらに換気能力も十分でないような現場を想定した上での、如何なる健康障害も起きないような非常に安全側に配慮した換気時間を記述していただけなのです。企業がチクロンBのような危険な薬剤を市販するにあたって、当たり前の配慮と言えるでしょう。
それを証明するデータ(計算対象は火葬場2、または3のガス室)が以下です。
ガス室内に最初に入る作業者は、すでに殺されることが決まっているユダヤ人囚人のゾンダーコマンドであったことは既に述べた通りですので、何ら障害も起こさないほどの安全側には配慮する必要はありませんでした。グラフの見方までは説明しませんが、じっくり見れば大体わかると思います。つまり、安全濃度を300ppm以下とすれば、最短でユダヤ人ゾンダーコマンドは20分弱で作業を開始可能であったことになり、最長でも40分後には作業開始できたのです。繰り返しますが、彼らにはガスマスクもありました。
「「ガス室」から死体をどう搬出するか?」について
市民による監視の上で実施される厳正な司法的措置である米国のガス室による死刑と、ただ単純に大量殺戮を極秘裏に行うだけだったナチスの殺人ガス室を同列にして比べるのはナンセンスであるとは、既に述べた通りです。米国ではそれ故、過剰なまでの安全配慮を行ったが、ナチスドイツはそんな配慮はほとんどしなかった、必要なかったのです。何度も何度も言いますが、ガス処刑後に最初にガス室に入るのは「既に殺されることが決まっているユダヤ人囚人のゾンダーコマンド」であり、現場に数名程度いた親衛隊員も必要ならばガスマスクを装着していました。
誰の嘘か知りませんが、1980年代当時、ミズーリ州では死刑ガス室は稼働していませんでした。実はこんな記事を発見しています。
「ウィリアム・アーモントラウト」とは「ビル・アーモントラウト」と同一人物のことだと思いますが、少なくともアーモントラウトは1987年にはガス処刑には関与していなかったことがこの記事から明らかです。関与していなかったのに、西岡本によると
と書いてあるので奇妙な話に聞こえます。上のUPIの記事から類推すると、どうやら1987年当時に死刑用ガス室の再稼働の話が持ち上がったようですが、調べても1965年以降、2024年現在まで再稼働した記録は見当たりませんでした。また、アーモントラウトについて調べている最中に見つけた当時の別の記事では、「アーモントラウトは(ガス)処刑を行なったことがない」とも書いてありました。同記事によれば彼が法廷で述べたのは、スタッフへの安全のことと技術的な側面についてらしいですが、いずれにしても当時ミズーリ州の死刑用ガス室は稼働していなかったとしか考えられないので、なぜ経験もないアーモントラウトが裁判に証人として出廷して証言しているのか?、わけがわかりません。西岡が述べているような事柄をアーモントラウトが述べていたとしても、当然それは自身の経験に基づくものではあり得ません。
米国ではそのガス室による死刑が復活しそうな気配もあるようです。現在死刑制度を残す州で広く実施されている注射による方法では、死刑囚が苦しむ場合があるのに対し、窒素ガスを使えば死刑囚は苦しまずに死ねるだろう、ということのようです。コストの問題がないとは言いませんが、死刑方法の最大の論点は死刑囚を必要以上に苦しませないことです。アメリカの死刑方法で議論となるのはほとんどこれだと思います。死刑を扱ったアメリカのメディアの記事をネットでいくつか読めばわかります。
しかしながら、アウシュヴィッツで処刑されたユダヤ人に対しては、ガス処刑は出来るだけ安楽死させるためという配慮もあったようですが、それ以上に過剰な配慮はしていませんでした。処刑時にガス室内から悲痛な叫びが聞こえたとの証言は多くあります。親衛隊はその叫び声を聞こえなくするために、火葬場の周辺にトラックなどを駐車させて空ぶかしをさせ、その騒音で誤魔化していたとの証言もあります。
しかしどういうわけか、否定派はそうした親衛隊なりの工夫を示す証言を提示すると途端に否定するのです。ガス処刑などなかったのだからそんなのは嘘だ、と。わけがわかりません(笑)
勝手にあり得ない想定をして、「だからあり得ない」と主張するのを、ストローマン(藁人形)論法と呼びます。
例えば、現代の民間航空機には極めて高度で多様な多くの安全対策が備わっています。しかし、そのような高度な安全対策のない何十年も前の古い民間航空機が物理的に飛べない、という理屈などあり得ません。実際にその何十年か前には世界中を飛んでいたのですから。米国の死刑用ガス室とアウシュヴィッツのガス室を比べるのはそれと同様のことであり、米国の死刑用ガス室に比べてアウシュヴィッツのガス室が極めて安全対策に乏しいからと言って、実際に使えなかったという根拠にはなり得ないのです。フォーリソンはだからバカなのです、そのバカを信じる信者だけを獲得出来たらそれでよかっただけなのでしょうけれど。
「「ヘス告白遺録」の描写」について
それが十分「あり得た」ことは既に示しました。但し、翻訳の問題かもしれないという気はしますが、換気装置の作動タイミングはドアを開けるよりも前でしょう。あるいは確か「すぐ」という表現がドイツ語独特の表現で、日本語の「即時」を意味せずもう少し長い時間を示す、という説もどこかで読んだことがあります。いずれにしても、それは表現上の些細なことでしかなく、「最短でユダヤ人ゾンダーコマンドは20分弱で作業を開始可能であったことになり、最長でも40分後には作業開始できた」ことは理論的に既に示しました。
これは西岡の間違いで、初出版はポーランド語で1951年に「ヒトラーによる犯罪調査のための中央委員会」報告書第7巻の中にあるものとして、です。詳しくは、1958年にドイツ語版を編纂・出版したマルティン・ブローシャートが序文を書いており、現在の日本語版である講談社学術文庫版に初めて訳出されて紹介されています。欧米の主流派の歴史学者ですら間違っている人もいるようで、ドイツ語版にしかどうやら序文が付いてなかったようですね。ヘスの回顧録は重要なのに、なぜかドイツ語版を参照しない人が結構多いようです。私は研究者じゃないのでもっぱら日本語版だけですが。
ちなみに、笑えるのは西岡は日本のAmazonで、この回顧録(講談社学術文庫版)に同じクレームをつけています。あなたが読んだのはサイマル出版会版だろw
既に述べた通り、それは西岡自身が色々と間違っているだけなのでした。それと気になることは、西岡はもしかして、修正主義者の間で物議を醸した「クラの柱」とも呼ばれた、金網導入装置のことを全然知らないのでしょうか? もしそうなら、西岡は否定説すら真面目に勉強していないことになります。
じゃぁ何で書かれるべきだったの?w 万年筆? タイプライター? どれでも捏造は可能なわけだがw しかしブローシャートのその序文によると、回顧録は筆跡鑑定も受けていて間違いなく本人のものだそうです。それに、重要なことはヘスの証言は調書から、宣誓供述書、回顧録、その他知られているものについて全て一貫した主張を行なっていて、ほぼ異同はないそうです。
「プレサックの著作の「処刑」スケッチ」について
修正主義者仲間であった小者のリンゼイ氏などどうでもいいのですが、多分既に示していると思うのですが、西岡は同じことばっかり何回も言うので、こっちの同じ引用を何回もします。何度も何度も言うように、西岡が所有していると主張するプレサック本からの引用です。これはガス処刑とは無関係なので、否定派も否定する理由のない証言です。今回はプレサック本にあるその箇所を全部引用するのでちょっとだけ長いです。
西岡が嘘つきのフランス人画家だと主張するダヴィッド・オレールの絵はこちらです。
西岡は、青酸ガスの存在する室内に裸の作業者がいるのはあり得ない、と主張しています。囚人のアンドレイ・ラブリンは、衣類の害虫駆除作業で裸でガス室内に入って作業をしていたと証言しています。それどころか、チクロンのペレットを手で触っていたとまで述べています。しかし彼が体調不良に陥って入院までしたのは、マスクの密閉不良でガスを吸ってしまった時だけのようです。
本当の嘘つきは誰なのか明らかです。
シアン化水素ガスが、いわゆる皮膚呼吸や、気体の状態から人体表面の汗に溶けて体内に侵入することはあり得ます。私は別にそれ自体を否定しているのではありません。しかし問題は、西岡は量的評価を一切行っていないことです。シアン化水素ガスの吸引に関しては既にいくつか量的(濃度的)指標を挙げています。それですら西岡は述べません。西岡は内科医だそうですが、患者さんに薬を処方する時に量は計算しないのでしょうか? もしそうならあり得ない医者だと思います。
皮膚呼吸等の皮膚を通じて体内に侵入する場合の毒性評価については私はよく知りません。100mgのシアン化水素が体内に入ると死ぬ、程度はどこかで見た記憶はありますが、その程度の量がどの程度の濃度のシアン化水素ガス存在下で、どの程度の暴露時間なら体内へ侵入可能なのかを、どうやって計算するのかなんて私は知りません。しかしそれを計算して示すのは、それを主張する西岡自身です。私はそんな主張はしておらず、プレサック本にある害虫駆除室での作業時の証言から、そんなの全然問題なかったはずであると立証しています。殺人ガス室ならば、これも何度も述べているように、作業者は殺されることが決まっているユダヤ人ゾンダーコマンドです。
西岡から出てくるであろう予想される反論は、「アンドレイ・ラブリンなる証言者は、ダヴィッド・オレールの絵を正しいと誤解させるために偽証しているだけだ」なるアクロバットなものかもしれません。ともかく、西岡は延々と何年もそのオレールの絵を使って、X(旧Twitter)ではずっと同じことばっかり言ってます。
「210平方がの「ガス室」に3000人が入るか?」について
基本的にはこの話、西岡はそれについて例に漏れず何の検証も確認もしていない、でお終いなのですが、それを語る前に、この引用自体が誤りだとすぐわかるくらい私はヘスの回顧録を何度も読んでいます。
「入れられた」が容量のことを言っているのなら誤りではありません。
明石花火大会歩道橋事故に関する明石市の報告書(技術解析)を読めばわかる通り、それが可能な密度であることは既に示しました。否定派がこの話をする場合に完全に見逃していることは、犠牲者には子供が多かったという事実です。子供は人数的な人口密度をアップさせる大きな要因です。
しかしながら、主流派の歴史学者ですら「210㎡に3,000人(14.2人/㎡)」を信じる人はあまりいない感じで、ほとんどの人は数字が誇張されていると見做しているようです。実際、群衆密度を調べた調査データーってなかなかな見つからないのです。たとえ見つかっても10人/㎡程度の上限値くらいのようです。しかし、2022年11月に起きた150人以上の死者を出した韓国・梨泰院(イテウォン)での雑踏事故では、最大で16人/㎡もの密集度があったそうです。11月ですからそこそこ着込んでいた状態で、です。アウシュヴィッツのガス室では全員裸でした。
とは言え、数字を誇張されたものだと受け取ったとしても、ヘスの証言の全体を嘘だと見る主流の歴史学者はいません。ガス室の密集人数を多少間違える程度、十分あり得る話だからです。もちろん、私自身はむしろヘスの述べた3000人は上限値として合っていると考えますが、もし間違っていたとしても、それを理由に証言を嘘と見なすことはできません。西岡はアブラハム・ボンバの記事のブログ版の方で一つを除いてほか全部、ガス室の面積をボンバの述べた実際の面積の4分の1に誤って記述していました。西岡自身が人間が誤ることがあるという事実を実証しています。
西岡はやはり、金網導入装置を知らないようです。火葬場2と3ではこの金網導入装置がチクロンから発生するガスをガス室内に均等に行き渡らせる役割を果たしたのです。どのような装置かについては、例えば以下を。
ロバート・ヤン・ヴァン・ペルト教授は、アウシュヴィッツ収容所の研究者としてよく知られた人物で、建築史家でもあります。デヴィッド・アーヴィングvsデボラ・リップシュタット裁判でもリップシュタット側の証人として出廷し、法廷ではアーヴィングと長時間の議論を戦わせました。
この動画でヴァンペルト氏が解説している金網導入装置の再現モデルは、これを作ったと言われる囚人のミハエル・クラの証言を元に、ヴァンペルトの解釈を加えて制作されたものです。クラの証言は詳細ではありますが、証言のみでは不明な点も残していて、ある程度は推測が必要です。このような金網導入装置が火葬場2と3のガス室に各4本ずつあったとされます。
ガス室天井の外から、金網導入装置の内側に配置されたワイヤー付きのバスケットの中にチクロンが投入され、バスケットごとゆっくりガス室に下ろされていきます。缶から取り出された状態のチクロンは、シアン化水素ガスを蒸発し続けているので、天井から床まで下ろされる間に大量のガスを放出させていることになります。こうして金網導入装置からシアン化水素ガスが室内に拡散されていくのです。
西岡がそのようなガスを室内に行き渡すようにする装置がないと言っているのは、ロイヒター・レポートの受け売りでしかありません。しかし、金網導入装置は別として、ロイヒターにしろ西岡にしろ、生きている人体は発熱源でもあるという事実をすっかり忘れています。ガス室に大量の裸の人間を詰め込んだら、その大量の熱により、室内の空気は対流を起こして自然に循環することになるのです。西岡は人体が拡散を阻むなどという訳のわからないことを言っていますが、気体なのですから、狭い隙間でも自由に行き来できます。例えば風船を膨らまして針で突けばほとんど一瞬で風船の空気を抜くことができます。針の穴のような極めて小さな隙間でさえもそうなのです。なぜ西岡はもうちょっと真面目に考えようとはしないのでしょうか?
あんまり指摘しすぎると、本当にいつまでも終わらなくなってしまうので、文中にある「注釈」番号はほとんど無視しているのですが、ふとその16番目を見てみました。
私はそのプレサック本を全翻訳してネットで公開しているのですぐ確認できます。そのリンクは以下です。
このページ、西岡のその文章に何か関係あるのですか? 本当はどう書くべきだったかまで調べませんけど、いくら何でも杜撰すぎやしませんか?
で、「殺虫用ガス室には、チクロンBを加熱し、かつ、ガス室内部で空気を循環させる装置」ですけれど、アウシュヴィッツの害虫駆除室には導入されませんでした。
「当時当たり前に使われていた」なんて出鱈目をどこから仕入れたのか、西岡は何も書いていません。
「他にも不合理な説明がたくさんある」について
一応、ヘスの自伝の記述を確認しておきましょう。
西岡は、意味がわかっていなかったのだと思いますが、重要な部分(「炉の各室に三人まで入れられた」)をカットしたのです。アウシュヴィッツの火葬炉では、あまりに処理すべき遺体が多すぎるので、一つのマッフル(レトルト)の中に、普通なら一体しか遺体は入れられないものを、複数体同時に詰め込んで火葬していたのです。したがって、ヘスの述べている平均20分とは、計算上の一体あたりの火葬時間のことであり、実際には例えばヘスの証言に沿うと、三体の遺体を同時に一つの炉で1時間で火葬していることを意味します。アウシュヴィッツ親衛隊(建設管理部)自身の想定は、ビルケナウの火葬場では計算上の一体あたりの火葬時間を15分としています。
民生用火葬炉では、死体を一体ごとにしか焼くことはできません。遺骨を遺族に返却しなければならないからで、他の人の遺骨が混ざることはあってはなりません。しかしアウシュヴィッツでのユダヤ人絶滅ではそんな配慮は不要でした。
ここで挙げられている注釈番号18を見ると、
アウシュヴィッツの火葬場と、民間の火葬場は似て非なるものなので、民間火葬業者に証言させても意味はありません。しかも「アイウァン・ラガース」は、「一日一八四体」と、あり得ないほど処理数を低く見積もっていて、話になりません。一炉あたりたったの4体/日です。つまり一体、6時間もかかると言っているのです。なお、そこで述べられているヒルバーグの「一日四四○○体」は、上で示した当時の親衛隊書簡の値(から火葬場1を除いたもの)であり、ラガースの値は親衛隊公式数値よりも二十倍以上低いものなのです。
ラガースの主張するように、アウシュヴィッツでガス殺後のユダヤ人の遺体を、火入れ〜一体ごとに焼却〜遺骨・遺灰の取り出し〜火葬炉の冷却、のように作業していたのかどうか、イメージしてみてください。あり得ないのです。ちなみに、火葬の記録が残っているマウトハウゼンの副収容所であったグーゼンでは、一炉で日あたり平均で26体の火葬を行っていたことがわかっています(「アウシュヴィッツの遺体処理(4):火葬炉の能力」)。このことからもラガースの証言は何の根拠にもならないことがわかります。
遺体を複数入れて一緒に焼いたところで火葬効率が上がるわけではない、とするのがマットーニョですが、トプフの火葬炉は一般の火葬炉とは異なったある特徴がありました。遺体が装填される箇所のことをマッフル、あるいはレトルトなどと呼びますが、トプフのクルト・プリュファー技師が開発したナチスの収容所で使う火葬炉は、隣り合うマッフルを内部で連結した構造になっており、例えば第2・3火葬場では、三重マッフル炉がそれぞれ5基設置されていました。「連結」とは隣り合うマッフルの間にある隔壁に穴を数箇所開けて熱が行き交う構造にしてあることを意味します。そうすることで、燃焼中の遺体から発生している熱を隣の炉で使うことができるのです。従って、複数の遺体を同時に燃焼させるとその分発生する熱量が増えるため、効率が上がるという仕組みです。このような多重マッフル炉の技術は、トプフ社の火葬炉以外にはないため、マットーニョがいくら当時の火葬炉の文献を調べたところでわかるわけもないのです。
参考:「最終解決」の技術者たち.pdf(ダウンロード・リンク)
注釈20をみると
とありますが、まさか西岡が1923年のそんな本を実際に読んでいたとは信じられませんね。ネットにアップされているのを見つけたのでダウンロードして読んでみようかなと思ったのですけれど、あまりにも大きなサイズのpdfファイルで、とてもじゃないが無理と判断して諦めました。
さて、一体の死体を野外火葬する場合は確かにたくさんの薪が必要なようです。
しかしトプフの火葬炉運用の中で述べたように、これが何十〜何百と遺体が積み上げられまとめられた状態であれば、遺体自身も燃料となるのではないでしょうか? 否定派は、遺体を焼却する、ということの意味を理解できていない人が多いようで、西岡にしても例外ではなさそうです。焼却するということは、遺体は燃えるということを前提としており、燃えるのですから燃料になるわけです。従って、焼却すべき遺体が多くなればなるほど、それに比例して薪の量も多くなる、のではなく、むしろ一体あたりに必要な薪の量はどんどん少なくなるでしょう。
ところで、ここでもまた西岡はちゃんと読んでません。何が「それを、ある時期、連日(!)行なっていたというのです」なものか。ヘスの自伝の当該箇所は以下のとおりです。
これのどこに「連日」と書いてあるのでしょうか? 文章を読む限り、「薪木の山の上」の後で行った、「壕内では、ひっきりなしに、従って昼夜をとわず焼却がつづけられた」と書いてあります。西岡の誤読っぷりには油断も隙もありません。こちらは、手垢がつくほどヘスの自伝を読んでいたからすぐわかったけど、西岡はどうしてちゃんと読まないのでしょうか。
では西岡は、広島原爆の被災地で行われたことまで否定するというのでしょうか?
このような証言は探せばいくつもあるようで、当時広島では、大量の遺体を穴を掘って埋めるか、上のように穴の中で燃やすかのいずれかの方法を取っていたようです。しかし西岡論法ではこれらの史実さえも否定されることになります。西岡はマットーニョの調査をただ鵜呑みにし、全く検証しないで、広島のこれらの実態を疑問視するというのでしょうか?
その件についてのマットーニョの論文については以下で既に論じています。
簡単に言えば、マットーニョの論文はよく読めば論証に失敗しているだけ、となります。適切に排水が行われていたのならば、十分な深さの穴を問題なく掘ることができたのです。
それが笑止千万であることは既に述べたとおりです。
「「ガス自動車」と「安楽死」について」について
一部の修正主義者は、欧州の多くの国でホロコースト否定を法的に規制していることについて、「ホロコーストの検証を禁止しているのはおかしい!」と主張してきたらしいです。これがいつの間にか「欧州ではホロコーストの検証が禁止されている」になり、果ては「欧州」が取れて一般化されてしまうこともあります。誰が言い始めたかなんてもはや調べようがないんですけど、そうした修正主義者たちは、自分たちはホロコーストを否定しているのではなく検証しているだけだ!、と言いたいらしいです。
そんなのは、単なる詭弁・言い逃れの屁理屈です。しかし西岡はこうした卑怯な論法を多用します。その別の一例が「私はガス室は信じないがユダヤ人の迫害は認めている」のようなものです。極めて酷い偽善者に思えてなりません。
殺人ガス車については、多数の文書証拠や証言により十分過ぎるほど立証されています。
「「ガス自動車」で殺された死体も、前述したヒルバーグ教授の言葉(四九ページ参照)からすれば、全く確認されていない」と西岡は述べていますが、ヒルバーグはそこではクリスティ弁護士にアウシュヴィッツでチクロンBで殺された死体について語っただけであり、「ガス自動車」については何も述べていません(確認はこちら)。さらにガス車による死体が存在したことは、そちらで述べています。再掲すると、
「家畜運搬用のトラック」ですが、これは過去、『対抗言論』のサイトで山崎カヲル氏から西岡が思いっきり馬鹿にされていた記事を記憶しています。私自身は、山崎氏の議論には大筋で賛同はしていますが、細かい点まで同意しているわけではありません。結局のところ、色々と自分自身で調べた場合に、山崎カヲル氏の反応が適切でないと思うことも少々あります。
例えば、山崎氏は、ガス車の写真は2枚ほどあると述べていますが、私の方で調べた結果、その写真はおそらくガス車ではないと判明しているらしいことを知っています。
しかしこの手紙に関する議論は山崎氏と同意です。西岡が「家畜運搬用トラック」としか読めなかった手紙は、「10.) 1942年6月5日のウィリー・ジャストのメモ。「3台のバンを使って9万7000人を処理した」、「COを迅速に分配するため」、「後ろのドアが閉まって中が暗くなると、荷物がドアを強く押しつける」についてのメモ。」のことだと思いますが、この手紙を家畜運搬用のトラックについてとしか読めなかったとするのであれば、西岡の目は本当に単なる節穴なのだと思います。この手紙に関する議論は以下。
この手紙の一枚目には、「Geheime Reichssache!」(国家機密)のスタンプさえ押されていることがわかります。一体全体、国家保安本部の手紙の内容が、家畜運搬用トラックについて書かれていて、さらには国家機密のスタンプが押されるなどというナンセンスなことがあり得るかどうか考えて欲しいものです。さらには、例えば家畜運搬用トラックが、どうして一酸化炭素ガスを充填させなければならないのでしょうか?
西岡は、これもまた山崎氏に思いっきり馬鹿にされていたと記憶しますが、一体西岡はどこでそんな話を読んだというのでしょうか? 私はまだまだT4作戦までは勉強できておりませんが、それでもT4作戦で「病院の一室を一酸化炭素で充満させ「ガス室」の代わりにした、などという方法」を採った話など聞いたこともありません。
この程度の話ならば、今の時代、ネットで簡単に確認することができます。
西岡が「信じることができない」と言ってる病室をガス室代わりとして使った方法は、信じることができない以前に存在しません。西岡がそこで挙げている参照文献は以下のとおりです。
ゲッツ・アリーもヘンリー・フリードランダーもホロコースト史学では著名な歴史家であり、西岡のような狂ったことを述べているわけもありません。西岡の注釈表記が杜撰すぎることは既に述べてきたとおりですので、こうした文献も西岡はちゃんと読まずに「それっぽく見せかけるため」に表示しているだけなのだと思われます。
「発疹チフスとは何か?」について
「チフスの悲劇」について
以上二つの項目については、ホロコースト否定派の単なる慣習的な口癖に過ぎないものでしかなく、反論する価値すらもありません。曰く「第二次世界大戦中、強制収容所やゲットーでユダヤ人がたくさん死んだのは事実だが、そのほとんどはチフスなどの疫病だった(餓死を含むこともある)」と否定派は決まり文句として宣います。
しかしながら、少なくとも西岡は本の中でチフスなどの犠牲者総数を全く述べていません。やたらと、チフスでたくさんの犠牲者が出たに違いない的に印象論的に述べているだけで、データは出していないのです。戦争末期、特に1945年に入ってからは、ドイツ国内の強制収容所で疫病による犠牲者が大量に発生したのは事実です。有名なベルゲン・ベルゼン収容所では1945年に3万5000人の疫病・餓死による死亡者が出たと言われています。
しかし、第二次世界大戦中に犠牲になったユダヤ人の総数は、600万人と言われていることは周知の事実です。この犠牲者総数については、終戦直後から現在までほぼ変わることなく認められている数字なのです。西岡お得意の「話が変わっている!二転三転している!」がユダヤ人犠牲者数については成立していません。
もちろん、600万人ものユダヤ人犠牲者の全てをチフスの疫病や餓死によって説明する人はいません。おおさっぱに区分すると、そのうちの約300万人はガスによって殺され、概ね200万人くらいは銃殺によって、残る100万人程度は疫病や餓死によって死亡したと説明されます。その数字や細かい内容については異同はあるものの、大筋では変わりません。西岡は単に、欧米の修正主義者の主張を鵜呑みにしたことによる自身の誤った認識と、ガス室についての誤った知識や認識、無理解によって、ガス室を信じないとしているだけなのです。こうして西岡は大雑把に言えば、ユダヤ人犠牲者数の半分を否定しているのです。これを「死者への冒涜」と呼ばないでなんというべきなのでしょうか?
この程度の、基礎知識にすら欠けた西岡の認識はもちろんずっと以前から知っていますが、130万人(ユダヤ人がほとんどだがユダヤ人以外も含む)もアウシュヴィッツに移送しておきながら、囚人登録者数は約40万人しかいなかったという事実を西岡たち否定派は無視します。西岡は、差し引き約90万人をどう考えているのでしょうか?
また、アウシュヴィッツでは強制移送者の到着時に「選別」が行われたことも常識であり、概ねその25%は労働力として囚人登録されています。
さらに、西岡の言う「ソ連軍がアウシュヴィッツに迫った時」にアウシュヴィッツから囚人を大量に移送した事実については以下のとおりです。
「死の行進」だって、かなり有名な歴史的事実のはずで、あの史実的間違いも多いとされる手塚治虫氏の名作『アドルフに告ぐ』にだって出てきます。
西岡が「死の行進」を知らないとは思えず、ダンマリを決め込んでいるのだと思います。
このような、強制収容所からの囚人の避難の目的は以下のようなものであったとされています(Holocaust ENCYCLOPEDIA: DEATH MARCHS)
SS当局は、捕虜が生きたまま敵の手に落ち、連合軍やソ連の解放者にその話をすることを望まなかった。
SSは可能な限り軍備の生産を維持するために捕虜が必要だと考えた。
ヒムラーを含む一部のSS指導者は、ユダヤ人強制収容所の囚人を人質として使えば、ナチス政権の存続を保証する西側での別個の和平を交渉できると不合理に考えていた。
西岡は「「ユダヤ人絶滅計画」があったのならユダヤ人は殺されなければならないはずなのに、移送してまで生かすのはおかしいじゃないか?」と主張しますが、そもそもその西岡の考え自体が誤っていることは既に述べています。ナチスドイツはユダヤ人問題の最終解決のために、ユダヤ人絶滅を企てたのであって、その逆ではありません。そして、さすがに戦争末期の敗戦不可避の状況になると、それどころではなくなってしまったのです。もっとも、終戦末期までにナチスドイツ支配下のユダヤ人の大半を殺してしまっていましたが。
これも修正主義者の言い分を西岡は鵜呑みにしています。しかし、例えば悪名高いイェーガー報告書を読んで「パルチザンと混同した」などと言えるでしょうか?
「「ホロコースト」とは何だったのか?」について
私はホロコースト否定に興味を持ち出した最初の頃から、ホロコースト否定派を「否定教信者」と読んで小馬鹿にしてきましたが、西岡もその呼称に相応しい信者っぷりです。西岡が主張する否定論の根拠こそ、不合理極まりないものばかりであり、それはヒトラーの命令書が存在しないという事実によっても強調されます。ホロコーストが捏造であるならば、その命令書が存在しない(=命令書を捏造しなかった)ことは考えることが非常に困難だからです。西岡の主張は、嘘と誤りに満ちた出鱈目ばかりであることは、ほぼ全項目にわたって西岡本を反論・批判してきたとおり、それらの指摘に明白です。
「死者を冒演しているのは誰か?」について
語るまでもなく、お前が言うな!ですね。そして西岡は最後に以下のように述べます。
アンネ・フランクがチフスで亡くなったのは、アンネがベルゲン・ベルゼンに移送され、戦争末期の困窮した時期に収容量を何倍も超えるほどの囚人をナチスドイツが詰め込んだ上、衛生管理が不可能となって、極めて劣悪な環境に成り果てたからです。ある意味、ベルゲン・ベルゼン収容所の囚人バラックは病原菌が毒ガスの代わりに満ちた殺人ガス室のようなものだったのです。従って、アンネ・フランクも間違いなくナチスドイツに殺されたのです。
修正主義者が本当に卑劣であることは、修正主義者はアンネの日記が捏造だのなんだのと散々文句をつけておきながら、一方ではこうして否定論にまで利用することに象徴されています。これほど卑劣な精神の上でホロコースト否定論は展開されているのです。