【エッセイ】#11 あの日観たレイトショー
中学生の頃、ショッピングモールが嫌いだった。特に日曜日は最悪だった。
まるで儀式のように買い物に訪れる人々、夕方に近づくにつれ倍速で動くような忙しなさ。あの空間にいると、ハリボテの幸せを浴びるようで辛かった。
みんな一生懸命幸せを見出そうとしている、そんな自分も家族に連れられここにいる。家族の幸せを壊したくなかったからだ。
広いはずの世界でなぜこんな場所にいるのだろう、
みんなこの場所で何を見出して今、笑顔でいるのだろう。
親の目を盗んでWOWWOWにハマっていた映画小僧は、映画で観た世界と現実の差に絶望していた。ショッピングモールは、それはもう大変居心地の悪い空間だったのだ。
ーーーただし、ある夜を除いて。
ある土曜日の夜、なぜか両親が「レイトショーを観に行こう」といった。
レイトショー? となりながらも自分はとりあえず両親について行くことにした。辿り着いたのは、いつものショッピングモールだった。
いつもと違うのは、土曜日の夜であるということだけ。
そこには自分が知らない空間が存在していた。
ほとんどの店が閉店を迎えていつもより暗めのフロア。まばらな人。吹き抜けになっているフロアの手すりに頬杖をついて考えごとをしている人もいた。唯一営業している本屋とビレッジヴァンガードの灯り。何やら大きな本や、CDを買って帰りがけの人。
あらゆるものがハリボテには見えなかった。ただそこには当時の中学生風にいえば "自由" が存在していたのだ。そんな自由に、しばし目を奪われていた。そして、目に焼き付けた。
ほとんどのフロアは封鎖されている中で、本屋とビレヴァンの階以外にもう1つ営業しているフロアがあった。両親はそこに向かうべく、エスカレーターを上がっていった。
一緒になってエスカレーターを乗ると、ふとあの匂いが降りかかる。一瞬で心を上向かせるポップコーンの匂い。映画館に来たのだった。同時に、自分はレイトショーの意味を悟った。
この時の高揚感は今でも忘れられないだろう、夜に訪れる映画館は普段とは違う輝きを放っていた。チケット売り場も、フード売り場も、グッズ売り場も全てが自由を纏って煌めいていたのだった。
フロアを見渡せば同年代はもちろん少ない。大体は夫婦か、若いカップルだった。そこに一緒にいる自分は少しだけ、映画の主人公のような特別感を感じていた。
「SUPER 8 を観よう」
両親が口を揃えてそう言った。
もちろん作品の内容は知らなかったのだが、別に異は唱えなかった。もう何でも愉しめる気がしていた。そして、この人たちが観る映画なら間違いないとさえ思っていた。
SUPER 8は スター・ウォーズ/フォースの覚醒 で知られるJ.J.エイブラムス監督による スティーブン・スピルバーグのSF映画にオマージュを捧げた作品である。今風にいえば、Netflix のストレンジャーシングスのようなジュブナイル要素のあるSF作品だ。
SUPER 8はまさにレイトショーで観るには、うってつけの夢見心地な作品だった。あの映画を観ている時間の幸福は、今でも少し思い出せる。
あれから10年以上経った今でも相変わらず、日曜のショッピングモールは好きになれない。それでも、今ショッピングモールに行ったとしても、あらゆるものがハリボテなんかには見えないだろう。
そこにはきっと自由と煌めきがあるはずで、それを教えてくれたのはあの夜のショッピングモール、そしてレイトショーだった。
自由を浴びる夜があってもいい、そんな人生の過ごし方を教わったのかもしれない。今さらながら、両親に感謝を覚える今日この頃です。
#映画にまつわる思い出