見出し画像

【ネタバレ注意⚠️】チ。の最終話が示したメッセージの静かですさまじい普遍性

この1週間、私は『チ。―地球の運動について―』に夢中になっていた。本当に最後の最後まで感動しっぱなしだったが、物語の結末の「最後の最後の最後」で、まるで頭を殴られたような衝撃を受けた。

それは何かというと、この物語における地動説をめぐる人間関係は、基本的に「教会側」と「異端者」の対立構造の中にあった。しかし、どちらの立場の人々も「何か大切なものを信じ」、そして「その対極にあるものを疑う」という、極めて真摯な姿勢を取っていたのだ。私はその行動原理に気づいていたつもりだったが、この作者はさらにメタな視点から、「信じること」と「疑うこと」そのものを問い直していたのだと、最後の瞬間に気がついた。

つまり、人間は「正しい」と思っている考え方も、「間違っている」と思っている考え方も、ただ信じるだけではいけないし、ただ疑うだけでもいけない。信じることと疑うことの間で揺れ動きながら生きるしかない、ということが、物語の結末で強調されていたのだと私は解釈した。

これは、教師としても、人間としても、心に刻みたいことだ。私は日々、子どもたちに対して、自分が正しいと信じていることを教えている。しかし、それを「信じるだけ」ではなく、「疑う姿勢」も必要になる。一方で、国家が定めるナショナル・カリキュラムに対しても、ただ疑うだけではなく、その中に信じられるものもあるはずで、それをしっかりと見極めることが求められるのではないか。

これは単に教育の現場に限った話ではなく、私たち個人、社会、そして世界についても言えることではないだろうか。私たちは、自分が信じるものを「ただ信じるだけ」では、それを信じない他者との間に線を引き、分断や対立が生まれてしまう。一方で、他者に対してただ疑っているだけでは、関係を築くことも、前に進むこともできない。つまり、人間は「信じる」と「疑う」の間を行ったり来たりしながら、迷いながら、それでも生きていくしかないのだ。そして、物語の中で、女性研究者であり活動家であるヨレンタさんが言っていた「迷いの中に倫理がある」という言葉の本意も、そこにあるのではないかと思った。

それはまるで、この作品の中でも描かれていたように、惑星の運動が一方向に進んでいるように見えたかと思えば、ある瞬間、逆方向に動き出す「逆行」のようなものかもしれない。惑星の逆行は、地動説が確立される前、天動説の枠組みでは説明が難しい現象だった。しかし、それをただ「信じる」か「疑う」かのどちらかだけで捉えるのではなく、より高い視点から見つめ直すことで、やがて地動説という新たな視座が生まれた。同じように、私たちも「信じる」と「疑う」の間を行き来しながら、より本質的な真実を探し求めていくのではないか。私はこの物語の結論部分に、そのようなメッセージが込められていると感じたのだった。



#チ#地動説 #信じること #疑うこと #哲学的思考 #ヨレンタの言葉 #信疑の間 #迷いの中の倫理 #惑星逆行 #人間の生き方 #対立と対話 #知の探求 #境界を超えて #思考の旅 #信念と柔軟性 #歴史と科学 #信じるだけではダメ #疑うだけでもダメ #チの世界 #人生は迷いの連続

いいなと思ったら応援しよう!