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【宇宙と底板】世界をより良い場所にするためには、哲学が必要だ

【宇宙と底板】

❤️西田幾多郎の「善の研究」の読書会の最終回に参加しました。昔から一度読んでみたいと思っていた本だったので、その本質の一端に触れることができて感無量でした。

❤️読書会が終わってもまだ何か余韻が残っており、じっくり西田の世界観を味わってみたいと思って投稿します。



❤️西田幾多郎の「純粋経験」という概念に初めて触れたとき、私はこれこそが世界を変える重要な発見だと思いました。この純粋経験とは、主観と客観が分かれる前の段階、つまり思考や言語が介在しない、純粋な意識の体験のようですが、この領域は、人種、文化、国境といったものを超越した、まさに普遍的な次元だと感じました。そこを足場にすれば、世界中の人々が共通の体験を持ち、理解し合えるのではないか、と私は思ったのです。

❤️さらに、西田はこの純粋経験の中で、私たちが宇宙と一体化していると述べています。この体験を通じて、人は自然と「善行」を行えるようになるというのでしたよね。この考え方は、分断や対立が広がる現代社会に必要な哲学だと信じました。

❤️しかし、いくらこの世界観に感動しても、それだけでは世界を変えることはできないことにこの読書会のおかげで、気づきました。また、哲学とは本来、検証可能で普遍的な原理を提示するものだという指摘も受けました。哲学の命は、鉄道の底板のように、すべてを支える確固たる本質や洞察を基に原理を提示することにあるのです。多くの人々が自己啓発やスピリチュアル、宗教に拠り所を求めて生きている中で、哲学の持つこの「底板」となる役割の重要性を、今回あらためて実感しました。



❤️宇宙との合一経験はおろか、宇宙の体験自体がない私は、少しでも西田の宇宙に近づこうと思って(現象学で言うと、西田幾多郎の確信の一端でも知りたいと思って)、単純かもしれませんが、立花隆の『宇宙からの帰還』を読み、宇宙飛行士たちの証言を通じて、宇宙にアプローチしてみようと思ったのです。結果、宇宙にはアプローチできませんでしたが、西田の「宇宙との合一」を具体的に想像することはできました。この本によると、宇宙飛行士たちは、宇宙空間で神秘的な体験をし、それを契機に人生観を変えたり、善行を行うようになった例(宗教家になったり、政治家になったり、慈善活動をしたり)が多くあります。一方で、宇宙から地球に戻ってきた後に心を病んでしまう人や、普通の生活に戻る人もいるため、「宇宙との合一が必ず善行をもたらす」と断言することはできませんでした。それでもなお、私は西田が宇宙との合一を強調した理由を考え続けました。



❤️調べるうちに、西田が3人の娘や妻と死別していたことを知りました。言葉や思考を超えた世界に行ってしまった愛する家族と再びつながりたい、話したいという思いが、彼の純粋経験という概念の背景にあったのではないかと思いました。それは、同じ娘を持つ父親として非常に共感できる部分でもあります。私自身も愛する人々との別れを経験し、その沈黙した次元に彼らがいると考えると、つながりたいという思いが湧いてきます。



❤️もちろん、これらは私の想像であり、確かめることはできませんので、哲学のテーブルに載せることはできません。しかし、哲学として成立しなくても、西田の世界観には共感し続ける価値があると信じています。そして、彼の思いを通して私が学んだのは、原理を持つことの大切さです。哲学は単なる思索ではなく、すべての人が検証できる普遍的な「底板」を提示するものであり、その原理が人々を支え、道を示すと思いました。

❤️私は教師として、この「底板」を常に意識し、生徒たちと向き合いたいと強く思いました。教育の現場でこそ、揺るぎない原理に基づいた言葉や行動が必要です。そして、その原理が生徒たちにとって安心の基盤となり、彼らの未来を支える道標となると信じています。西田幾多郎の哲学や彼の人生観に触れることで、この使命感をより深く自覚することができました。教師として、原理的に生きることを目指していきたいと、今、強く心にわきおこりました。



野中恒宏

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