「裸眼思考」というもう一つのレンズ

荒木博行氏の『裸眼思考』という著書は、変化の激しい現代のビジネス社会において、従来の固定観念から脱却し、新しい視点でビジネスを構築することの重要性を説いています。たとえば、「書店は本を売る場所である」という固定観念を捨て、「知的出会いの場」として再定義することで新たなビジネスモデルを構築した蔦屋書店のような例は、本書が提唱する発想の有効性を示しています。

しかし、「裸眼思考」という概念には、以下のような原理的な問題が存在します：

1. 認識論的な矛盾

- 「レンズを外して考える」という発想自体が、新たなレンズをかけることに他なりません
- つまり、「レンズをかけない」というレンズをかけているという矛盾が生じます。例えば、「先入観なく物事を見る」という態度自体が、一つの先入観となってしまうのです

2. 現象学的な限界

- 人間の意識から思考や欲望、目的を完全に切り離すことは不可能です
- 私たちは世界内存在であり、自己と世界を完全に切り離して思考することはできません。例えば、スマートフォンを見るとき、私たちは「通信機器」としてだけでなく、必然的に「生活必需品」や「社会的ステータス」としても認識してしまいます

3. 社会文化的な視点の欠如

- 人間の思考は歴史的・社会的・文化的に構築されてきたものです
- 「裸眼思考」という概念は、この重要な側面を見落としかねません。例えば、「効率性を重視する」という考え方自体が、近代産業社会の産物であることを見落としがちです

4. 知識と権力の関係

- 社会学的観点から見ると、知識には必然的に権力性が含まれます
- いかに「裸眼」で考えようとしても、この権力性から完全に自由になることはできません。たとえば、「データに基づいた客観的な判断」という発想自体が、特定の専門知識や技術を持つ人々の影響力を強める結果となり得ます

結論

このように考えると、「裸眼思考」を絶対的な解決策とするのではなく、以下のような姿勢が重要ではないでしょうか：

- 「裸眼思考」を多様な思考法の一つとして相対化する
- 様々な視点（レンズ）を使い分け、組み合わせる
- 状況に応じて適切な思考法を選択する俯瞰的な視点を持つ
- 異なるレンズの間を意識的に行き来し、多面的な理解を深める

例えば、新規事業を構想する際には、まず「裸眼思考」で既存の枠組みにとらわれない発想を生み出し、次に「マーケティング的レンズ」で市場性を検討し、さらに「社会学的レンズ」で社会的影響を考察するという具合に、複数の視点を組み合わせることで、より深い洞察が得られるでしょう。

このような多角的で流動的なアプローチこそが、複雑な現代社会をより正確に理解し、より良い解決策を見出すことにつながるのではないでしょうか。

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