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「レナードの朝」鑑賞文 - 主観的現実と対話の重要性



映画「レナードの朝」は、一見すると珍しい病気と闘う患者たちの物語ですが、実はもっと深い、私たち全ての人間に関わる問いを投げかけています。それは、「現実とは何か」「お互いをどう理解するか」という根本的な問いです。


1. 現実は主観から始まる


主人公レナードの「わたしが話しかけたらドクターが応えてくれたので夢ではないとわかった」という言葉に、重要な気づきがあります。普通、私たちは「物事が存在するから、それを認識できる」と考えがちです。しかし、実はその逆なのです。自分の意識の中で何かが起こったから、それを現実だと認識できるのです。

これは難しく聞こえるかもしれませんが、要するに、私たちの現実は、まず自分の中で感じたことから始まるということです。外から決められた「絶対的な現実」というものはないのかもしれません。


2. 身体の変化も主観から


映画の中で、患者たちは自分の意思とは関係なく身体が変化していきます。私たちも、年を取るにつれて体の変化を感じます。しかし、その変化を認識するのも、まずは自分の中の感覚からなのです。

例えば、私の母は背中が曲がり、歩くのに苦労しています。母自身が望んでいないこの変化を、彼女はどのように感じているのでしょうか。「我の変化を感じる、ゆえにわれの体に変化あり」と言えるかもしれません。


3. 夢と希望


この映画では「夢」という言葉が二つの意味で使われています。一つは現実離れした幻想、もう一つは未来への希望です。患者たちや私の母が「またあることがしたい」と願うのは、後者の夢です。

外から見ると、その夢が現実離れしていると思えても、その人の中ではとても大切な思いかもしれません。本人の意識の中でそう感じていることは否定できません。


4. 対話を通じての理解


ここで重要なのが、対話です。人間は原理的に主観の外には出られません。客観的事実や絶対的真理に到達することは難しいのです。だからこそ、お互いの思いを伝え合い、理解し合おうとする努力が必要なのです。

「どんなふうに私は生きたいのか」という各自の思いを出発点にして、対話を重ねることで、共に生きる道を見つけていくことができるのではないでしょうか。自分だけが正しいという独善主義も、何でもありという相対主義も避け、お互いの理解を深めていく必要があります。


5. 結論:深い人間理解へ


「レナードの朝」は、単なる感動物語ではありません。この映画は、私たちに「現実とは何か」「お互いをどう理解するか」という深い問いを投げかけています。

他者とのコミュニケーション、自分の限界との向き合い方、希望を持つこと。これらはすべて、自分の中の感覚から始まり、そして対話を通じて他者と共有されていくものです。

高齢化が進む現代社会で、この映画の問いかけはますます重要になっています。私たち一人一人が、自分の思いを大切にしながら、同時に他者の思いにも耳を傾ける。そうすることで、お互いを理解し、共に生きる社会を作っていけるのではないでしょうか。

「レナードの朝」は、そんな深い人間理解への扉を開いてくれる、稀有な作品なのです。この映画は、私たちに自分自身と周りの世界との関係を見つめ直す貴重な機会を与えてくれます。それは単に感動を与えるだけでなく、人間存在の本質について考えるきっかけを与えてくれるのです。

現代において、孤独を感じている人が増加していることが社会問題として注目されています。孤独を感じている人は色々な形で話しかけています。しかし、それが虚しく風にかき消されてしまうような想いをしている人って多いのではないかと思います。私も人生の中で何度もそう感じてきました。まるで自分が存在しないような空虚な感覚が沸き起こってきました。夢の中を漂っているような感覚です。

しかし、そんな時にこちらの呼びかけに少しでも反応してもらえると、それは一気に自分の輪郭を取り戻したような、夢から覚めたような感覚になります。レナードが「わたしが話しかけたらドクターが応えてくれたので夢ではないとわかった」と言ったことと本質的には同じ体験ではないかと思いまで。

つまり、実は私たちの多くも、冒頭で紹介したようなレナードと同じような経験をしているとも言えるかもしれません。



野中恒宏




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