ケニアで受けた二つの差別
こんにちは。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。
今日は、私がケニアで受けた二つの差別についてお話をします。
ケニアに行った話
今から7年前。まだアメリカの大統領がオバマだったころ。
私は初めての海外、ケニアに行きました。
詳しくは上の記事にも載せました。上の記事のほかにも、
ビルの屋上でマサイ族の方々に囲まれる
5時間遅刻したツアーガイド
今でも連絡を取り合う、現地でできた友人たち
など、初めての海外はドキドキと興奮の連続だったのですが、初めて差別を感じたのもケニア旅行でした。
私は、大きく分けて二つの差別を受けました。
整った街、ナイロビの裏側
ナイロビは想像以上に整った町でした。
腕の無い子ども、象皮症の老人が、空き缶を前に物乞いをする姿、
鶏をじかにぶら下げた手押し車など、日本では見られない光景もありましたが、
舗装された道路。二世代くらい前のTOYOTA、SUZUKI、HONDAの車たち。
さだまさしの”風に立つライオン”を想像していた私は、
と少し悲しく思っていました。
それでも、ナイロビの一歩路地を外れ、ダウンタウンに入ると
様相が変わります。大きな建物は少なくなり、砂地の地面があたりを覆っています。
①言葉での差別”チョンチーチョンチー”
ダウンタウンでは、多くのケニア人が私たちを囲みました。
若い男性たちが、私と友人を囲んで、こう言います。
叫んでいる男性たちを、女性がニヤニヤしながらたしなめています。でも、本気でその言葉を止めようとする様子は見られませんでした。
ケニアで活動している友人に尋ねると、この”チョンチー”という言葉は、中国人や韓国人への蔑称だということでした。
この蔑称は、比較的広く使われているようで、ナイロビから離れた田舎の店で豆料理を食べている時に、わざわざ店内に入ってきて、”チョンチー”を連呼する若者もいました。
最初は異国の男性たちに囲まれて叫ばれるという異様な光景に恐怖を覚えましたが、少しずつ慣れていく自分がいました。言葉がそれ以上分からないというのが大きかったかもしれません。
②それよりも悲しかった差別”アクセス権”
それよりも悲しい差別がありました。
ケニアの少し大きめのショッピングモール内のカフェでチャイを飲んでいた時のことです。
私は、同僚の結婚式に電報を送らなくてはいけないことに気付き、店内のWifiを利用しようと思いました。しかし、Wifiの説明書きが見つかりません。レジに行き、店員に聞いたのですが、ニヤニヤしながら
と言われました。レジでは店員同士私の方を見て笑っています。
とも言われました。
最終的に女性の店員が私にWifiの説明用紙をくれたのですが、同じ国の人であれば当然のようにアクセスすることができるWifi。それを理不尽な理由で使用することができないという経験は、恥ずかしながら人生で初めてのことで、ショックを受けました。
当然の権利が履行できないということ
それでも、振り返ってみると、そのようなことはとても多いように感じます。
私の知人のアメリカ人は、日本のホテルに宿泊する際にIDカードの提示を求められたと言います。IDカードの提示に法的根拠はありません。この事案は、ただ、外国人だからと言うことで警戒されているということを表しています。日本人はIDカードの提示を求められることなく宿泊することができるからです。
また、私の職業も同じようなことが考えられます。
様々な(理不尽な)理由で、学習権と言う大きな権利にアクセスすることができない人々がいます。
私の差別は小さな差別でした。それでもとてもイヤな思いをしました。それは、Wifiを使えないだけではなく、”自分は人として見られていない?”と言うような不快感だったのを覚えています。
多くの当たり前の権利を阻害されている人々を前にしたとき、ニヤニヤしていた店員側になるのか、それともそうではない人間になるのか。
それでも、人々は心を一つに出来る!
オバマ大統領がケニア初訪問の日と重なっており、飛行機で隣の席の男性が
と興奮気味に教えてくれました。
機内は騒然としました。
と私の手を引いてくれる人がいました。
飛行機の中は、素人目に見ただけでもたくさんの人種が乗っていました。それでも、小さな飛行機の窓から、できるだけ多くの人たちがエアフォースワンを見られるように、譲り合っていました。
私は、
と思いながら、長く続く滑走路を眺めていました。
では、またね~!!