難聴治療を通じて身体のことがよくわからなくなった話
こんにちは。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。改めて言うのもなんですが、今から5年前に右耳が難聴になりました。今回はその時に感じたことを話したいと思います。
突然聞こえづらくなった耳
ある日の朝、突然のことでした。
片耳から
という音が鳴りやまずに聞こえるようになり、
代わりに、妻の話し声がよく聞き取れなくなりました。
その日のうちに休みをいただき、病院へ。
”突発性難聴”という診断をいただきました。
だんだんと耳鳴りが大きくなっていく恐怖。
家に帰って調べると、
という文章。まとめると
原因不明
3分の1は完治
3分の1は改善
3分の1は難治
早期治療がカギ
ということで、即日入院して、ステロイド治療を開始しました。
治らないのではないかと言う焦り
しかし、一向に改善の兆しは見られず。
一定の音に至っては、聴力検査の結果が悪化していきました。
という疑いを抱くようになっていきました。
診断も、”感音性難聴”というものに、いつのまにか変わっていました。
そして、たどり着いた答えは”とりあえずできることは全部やろう”というものでした。
実家の父母の協力も得て、様々な治療を受けてみたのです。
チャレンジ①:酸素カプセルを受けてみた
ごくまれに、脳の血栓や腫瘍などで難聴が起きるということから、MRIを受けました。結果は、脳に原因とみられるものは無いということでした。
また、血中の酸素が足りないことによる難聴もありえるということで、酸素カプセル治療を行いました。高濃度酸素カプセルの中に入って一定時間横になるというものでした。
火気があると一気に着火してしまうということで、治療着に着替えてカプセルの中に入ります。カプセルの中ではDVDを見ることができました。
おかげさまで、数回の治療を経てミッション・インポッシブルをすべて見終えることができましたが、聴力の回復は見られませんでした。
チャレンジ②:針治療を受けてみた
耳鼻科を退院して、まず受けてみたのは針治療でした。
針治療の特徴は、ある程度発症から時間が経過していても効果が期待できるということ。西洋医学では改善が見られないときに頼れるということが挙げられます。
耳周りの筋肉をほぐすのかと思いきや、針はお尻の周りを中心に刺されました。これはフルマラソンを走った後の針治療でもあったことなのですが、針治療は患部に直接針を刺すものではないのですね。
週に1回。1か月ほどの治療で、効果は少しありました。ただ、高額だったため、途中で治療を断念しました。
ただ、針治療自体はとても気持ちが良いもので、施術中はぐっすりと眠ることができました。
チャレンジ③:医大病院でセカンドオピニオン
入院した病院の主治医に、
と聞いたところ、セカンドオピニオンと言う手段があるということを提案してもらえました。
そこで、近所の医大で検査を受けることになりました。
あっさりと、メニエール病という診断をもらいました。
主治医によると、難聴の度合いは今後悪化することがあるということ。そして、強いめまいを伴うことも想定されるということでした。
この主治医の方の説明に、強烈なめまいを感じましたが、すぐに次の手を考えました。
チャレンジ④:関東の大学病院へ行ってみた
難聴治療で有名な関東の大学病院へ行ってみることにしました。
検査入院を経て、医師から言われたことは・・・
ということでした。
一日2~3リットルの水分補給で症状が改善する可能性があること、
排泄が近くなるため、カフェインやアルコールの摂取は控えることなど、栄養指導をいただきました。
チャレンジ⑤:関東の有名病院で診察を受けてみた
最後に、関東に来たついでに、もう一つ有名な病院を受診しました。
いくつかの検査を経て、医師から言われたことは
ということでした。
内耳には耳石というものがあり、それが平衡感覚をつかさどっている。ただ、その耳石が内耳にたまることがあり、難聴様の症状になることがあるということでした。
そのお医者さんから”治療体操”のようなもののレクチャーを受けて、診察を終えました。
まとめると
今考えると、しつこいほどに色々やってみたものだなと自分でも思います。ただ、自分の身体のことなので、自分以外に労われる人もいないと思い、当時は必死に治療に向き合ってきました。そして、一つの症状に対して
突発性難聴
感音性難聴
メニエール病
おしり周りの緊張
水分不足
運動不足
という様々な診断がついたのです。
自分の身体のこと一つなのに、分からないものだなぁと、逆に感心しました。
今の私は・・・というと、すっかり難聴治療に疲れてしまい、あるがままを受け入れる日々となりました。
身体の神秘と言うものは、そういうものなのかもしれませんね。
では、またね~!