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✓同志少女よ敵を撃て

▽あらすじ
独ソ戦が激化する1942年、
モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマ。
日常は、突如として奪われた。
急襲したドイツ軍によって、
母親のエアチェリーナほか
村人たちが惨殺された。
自らも射殺される寸前、セラフィマは、
赤軍の女性兵士イリーナに救われる。
「戦いたいか、死にたいか」
そう問われた彼女は、イリーナが
教官を務める訓練学校で
一流の狙撃兵になることを決意する。
母を撃ったドイツ人狙撃手と、
母の遺体を焼き払ったイリーナに
復讐するために。
同じ境遇で家族を喪い、
戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに、
訓練を重ねたセラフィマは、
やがて独ソ戦の決定的な転換点ともいえる
スターリングラードの前線へと向かう。
おびただしい死の果てに、
彼女が目にした“真の敵“とは?

▽印象に残ったフレーズ

「いざ戦地に赴き、敵を撃つとき、
お前たちは何も思うな。何も考えるな。
…考えるなと考えてはいけない。
ただ純粋に技術に身を置き、
何も感じずに敵を撃て。
そして起点へと戻ってこい。」

復讐を遂げるという目標によって
生きる理由が生じる。
復讐を果たすという動機が、
戦争という莫大なエネルギーを
必要とする事業を成し遂げ、
それを遂行する巨大国家を支えているのだ。」

死者の考えを推し量り、
言葉の意味を考えることは
生者の特権であり、何を選ぼうと、
死者がその正否を答えることはない。

▽感想
戦争に身を置く女性たちに焦点を当て、
この地獄の中で、彼女たちは
また武器を持ち戦う人たち、
人を殺す人たちは何を考えているのか。

心を殺して自分を殺して
ただ目の前に襲い掛かる人を
殺し続ける。
今はないこの感情を文字だけで
描いているのに
映画でも見ているかのような話だった。

男性と同じ役割、同じ戦績、それ以上なのに
“女性“というだけで扱いが違う。
戦争に、男女の差異に、自分自身に
疑問を持ち続けたセラフィマの生き様が
熱く書かれている。

復讐を果たすという動機が
国家を支えているのなら、
戦争を始めた人たちは、
その人たちよりも重い動機だったのだろうか。

同志少女よ敵を撃て/逢坂冬馬/早川書房

↳試し読みもありますので、ぜひ

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