フィルムカメラで撮る意味はもしかして -Nikon F3-
こんにちは。
タイトルのようなニュアンス的なことについて、専門家的なことは言いませんし、言えませんが、自身の撮影してきた写真を通して少なからずだとは思いますが、目にとまって頂く方がいらっしゃると嬉しいと思っています。
若かりしころは写真を通して文章を紡ぐということが容易にできなかったように思います。
多分ですが、自分の持っている時間が若い時の方が多いですから一瞬一瞬に感じる重みが違う、ということもあるのかなと思っています。
写真は撮っても一枚の重みを感じ辛いとでも言いましょうか?どちらかというと自分の撮った写真で周りの人に評価されたい、コンテストで入賞したい、いいね!、て押してもらいたい。。。
「自分の撮った写真が人生を表している」ということを感じると、自分にとっていい写真とは、必ずしも映え写真的な構図や露出やタイミングが優れていて、いいねがたくさんもらえる写真ではないんだなと思います。
祖父は亡くなっていますが、家族で焼肉をした時にNIKON. F3で撮影した写真です。フィルムは忘れましたがフジの何かかな?
肉や野菜を焼いてみんなで食べた今思い返すと貴重な時間だったなあと思います。多くの方はそんな感じで思うのではないでしょうか。
その記憶が何とも記憶のトーンで描かれている写真になってます。不思議なもので、シャープさもホワイトバランス何もかも今使っているカメラより劣るのですが、じゃあこの写真を今のカメラで撮っていたかと考えると撮れてないかもしれません。
この写真で言えば1枚しかシャッターを切っていませんでした。単純にフィルムはノスタルジックに写る、ということでもないと思うのです。実際にこの写真はノスタルジックなトーンとは言えないと思いますが、記憶の中のトーンに近いのです。
こちらの写真を見ると胸がキュンとしますね。
恋愛のキュンではありませんが当時のショックの感情を思い起こします。
大人の階段でしょうか。こうやって誰かがやってしまったらその人が謝ってくれるものでもないのも世の中だよ、と。
そんな世の中ではないと思いますが、現実的にはありますよね。
写真的に言えば、そもそも傷にピントがシャープにいってません(汗)ただその時の感情を、この不鮮明でモニター越しにも柔らかい描写から思い出させてくれます。
写真てなんかいいですね。これは私の体験まじえての写真ですが、このような経験から写真を仕事にしてみたくなる人も多いのでしょうか。
それにしても目が疲れました。