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極真空手の私的世界

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極真空手という少し特殊な世界で生きてきた私のこと。
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記事一覧

〜仕事と空手の両立・高校卒業後〜

〜2度目の審査会。橙帯編〜

↑のブログに書いたとおり、青帯に昇級したあとも、順調に審査を受審して、青帯→黄帯→緑帯まで昇級させていただき、この時わたしは高校3年生でした。緑帯となると中級レベルの技術を求められる立ち位置となります。
(指導もすることが増えてきます!)

高3となると進学or就職の時期ですよね・・!
私は地元のタウン雑誌出版社への就職が決まっており、卒業するまでは空手三昧試合三昧で

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〜初めての審査会。白帯編〜

〜初めての審査会。白帯編〜

審査会とは。
極真空手は入門したらまずは白帯を巻き、審査会でテストを受けて昇級して色帯をいただくようになっています。内容は普段の基本稽古や型、移動、基礎体力、組手技術を指導員が審査するものとなっています。

どこの道場もおそらく変わらないと思いますが、私の通ってた支部では3ヶ月に1回…年に4回の審査会がありました。所属道場の責任者の方に「受けたい」と言う旨を伝えて、オッケー丸🙆‍♀️だったら受審

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〜2度目の審査会。橙帯編〜

〜2度目の審査会。橙帯編〜

ぜひ一つ前の記事をお読みください(笑)
〜初めての審査会。白帯編〜

人生から消してしまいたいほどの思い出。それがオレンジ帯→青帯への審査会でございます。

白帯から無事飛び級で9級へと上がり、3ヶ月後の審査会へ向けて稽古を積んでいました。覚えないといけない技や型も増えてますますやりがいを感じながらほぼ毎日のように道場通い。私は何か目の前に明確な目標を立ててそこへ向かって進むということが大好きなの

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〜初試合。決戦の時〜

〜初試合。決戦の時〜

初めての試合は忘れられないものでした。

入門して1年ぐらいではじめて試合に出ることを決意。

あれだけ「オラ試合には出ねぇ!」って豪語していたのにこのザマです。

まんまと自分のことを試したくなってしまい、本来の自分というものが見えてきた気がしましたね。

この頃は青帯(7級 / 初級)で、ほぼど素人でしたが、県大会の体重・階級無差別の組手試合にチャレンジしました。ほんとよく決意したよな・・。

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〜陰キャ女子が道着に腕を通してみた〜

〜陰キャ女子が道着に腕を通してみた〜

中学時代はソフトボール部で泥まみれになってグランドを駆け回って、「ザ、スポーツ少女」だったのですが、非常に内向的で人間関係もうまくできない子でした。でも体を動かすことが大好きで高校に上がった時、やっぱりスポーツはしたいなァと思ってて。

ただ、時間に縛られて行きたくない時も練習に行って先輩の荷物持って気を使いまくる高校生活を送るイメージをしたときに、オェーって🤮えづいてしまったのでこりゃ部活は入

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〜【賞レースとは】自分の空手選手人生と重ね合わせてみたら。前半〜

〜【賞レースとは】自分の空手選手人生と重ね合わせてみたら。前半〜

お笑いの賞レースといえば「M-1GP」「THE W」「キングオブコント」「R-1ぐらんぷり」「ABCお笑いグランプリ」「上方漫才大賞」など…年間通して何かしらのナンバーワンを決める大会があり芸人さんはその称号を目指して心を燃やしていると思います。

また、M-1GPの特別審査員だった島田紳助氏は出場できるコンビとして結成期間を決めることで「夢を諦められるように」と人生に一線を引けるよう、という意味

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〜【賞レースとは】自分の空手選手人生と重ね合わせてみたら。後半〜

〜【賞レースとは】自分の空手選手人生と重ね合わせてみたら。後半〜

初めての全日本大会以降、拍車をかけて練習の虫になっていきました。
ほぼ道場に住んでいたと言っても過言ではないレベルで畳に頬擦りしたりできるぐらい愛してましたね。「今日も絶好調だね!」とか話しかけたりしながら稽古してました。(割とマジで)この時20歳ぐらい、危険すぎる!

1年間のスケジュールは、全日本と国際大会+地区大会というルーティンで約4つぐらいの試合へ出場していました。その間に昇段審査を受け

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