□がわらっている(思いついたこと③)
こんにちはこんばんは。nostalghiaでございます。え、そのですね。体調を完全に崩してしまいまして、人様の書物を読むにも感想を書くにも少しばかり頭が回らないので、舌だけを回してこうして書かせていただいております次第でございます。
早速なんですけれども、みなさんこの⬇の□に入ることば、なんだと思いますか。(配点∞)
□がわらっている
この□に何を入れるのかが、私は現代詩の根本にあるもの、そのものなんじゃないかと思ったりもするわけですね。
現代アートと現代詩はとても似ています。
デュシャンいうところのアートとは、「選び」「配置し」「名付ける」とのことですが、それはそのまま「ことばをえらび」「ことばを並べ」「タイトルをつける」という詩そのもの、もっといえばコンセプトを重視する現代詩そのもののことだと思います。
何が言いたいのかと言うと、こういうことです。
□に入れることばで、あなたがどんな詩人なのかがわかります。
たとえば、こんなのはどうでしょう。
母がわらっている
凡庸そう。
にみえて、案外そうでもない。
私の母ではないどこかのおばちゃんが、ただにっこりわらっているのを想像すると、少しこわい。
短歌に
ひら仮名は凄じきかなはははははははははははは母死んだ
仙波龍英
というジェットコースターのような素晴らしい一首もあるので、「笑い」から連想される「はははは」というある種の洒落も、そうそう見過ごせないものではあります。
次はどうでしょうか。
街がわらっている
街……なんか、使っちゃいがちなことばですね。私は相当な理由がないと使わないことにしています。このことばは色んなことを意味していそうで、使いどころによってはとてもからっぽになってしまうから。
「詩は土地に根付く」というのはたしか「ワインズバーグ・オハイオ」というアメリカの田舎町を舞台にした小説を書いたシャーウッド・アンダーソンのことばでした。
街に、わたしはそこまで思い入れがありません、というか街ってなんなんでしょう。新宿? 歌舞伎町? みんなのイメージする街と、私のなかの街は、本当に違うものなのか? 同一なのであればわざわざ表出する意味は?
とか考えて使えなくなってしまいます。
次をみてみましょう。
たべるがわらっている
もはや主語の部分に名詞すら持ってこない、日本語の文法を解体する試みもできちゃいます。それが現代詩の面白いところですね。学校でこういうことすると間違いなく❌を喰らいますが、現代詩は懐が深いので受け入れてくれるひとが多いと思います。
意味はわかんないです。
こうなってくると、意味は二の次で、大事なのは「キマっている」かどうかです。(かっこよくなきゃポエムじゃない!)
詩を書くひとはみんな、ことばを並べるのが好きな人です。パズルみたいにことばを前に後ろに「配置」して、ひとりで「おお……」って言うのが好きなんです。そこで最っ高にぴったりくることばがみつかって、それが詩全体のなかでここしかない!って位置にしっかりと収まって(もしくははみだして)いるのを見て、心の底から満足する類の人々なんです。
そのための価値基準が、リズム、語感、メロディ、そういった言語全体のイデアというか、そのひとの譲れない美学そのものなのだと、わたしはかんがえます。
「それって、何か役に立つのでしょうか……?」
と言われそう、というか、常に現代詩に対する疑問ですよね。
「難解な詩ばかり書くな! もっと世に受けいれてもらえる詩を書け!」
と。
でもわたしは、最果タヒさんや、谷川俊太郎さんのような位置におられる方というのは、時代に選ばれた方だけだと思います。どちらも自分で望んでその椅子に座ったというよりは、先達の言葉を借りれば「時代のことばの泉」が湧き出たところがその方々だったということなんだと、そう解釈しています。
詩人が売れよう、有名になろう、という野心を抱くとろくなことにならないのは、先の大戦をみれば明らかですし、そのへんの嗅覚を鋭くしておくというのはとても大切なことなんじゃないかと思います。
売れちゃいけない、というよりは、わたしたちはこの現代詩を少なくとも「やめらんない!」と思いながらやってるわけですから、これからは現代詩のおもしろさ、楽しさ、こわさ、特別さ、そのもののもつユニークな面を色んなひとに知ってもらえる努力……向こうから来てもらうのではなく、こちらから呼び寄せる努力をしていくべきだろうと。
そんなことを考えています。
その為に、どうすべきか、具体的な案はひとつあるのですが、それはまた別の機会に……。
nostalghiaでした。
お読みいただきありがとうございます。
□がわらっている
もし思いついたものがあれば、みなさんもコメントなど残してみてやってください。