寿司を食え(詩)+読書嫌いの読書会(エッセイ)
寿司を食え
誰にも迷惑をかけずに
寿司を食うと
おまえはたぶんまた責められる
けれど恐れずに寿司を食え
おなかいっぱい食え
食って忘れろ
寿司を
寿司は甘い酢飯が使われていて
高額の寿司屋では
たいていの暖簾や看板に
「鮨」と書かれ
くずし字で印字され
ひとりの寿司職人が
ふんわりと空気をふくませた酢飯を
いつも握っていて
それを食え
寿司を
寿司は回っているものもあって
ベルトコンベアのレーンを眺めていると
ああ家族だ、家族なんだな
私と妻と子供は家族だ、私と父と母と兄も
押し黙る祖父とさわがしい祖母も
家族だ
レーンの果てからは
壮年の男性がブイサイン
ブイサインで流れてくる
にっこりと笑っている、歯を見せない努力をしながら
近づいてくる
脇に置かれた字が明確になってくる
家族みんなで行儀よく見つめている
「本マグロ! 本日限り一皿百円!」
なるほどすばらしい
恐れ入る
預言のとおり本マグロの赤身が皿に載って流れてくる
私たちは男性のブイサインを見送り
脂ののった本マグロを見送る
レーンの果てまで
牛も食え
寿司屋と同じ敷地内には韓国の焼き肉屋があって
牛タンはいったい牛のどこの部位なんだ
俺はどうしてもわからないから食わない
いいや食え
焼肉は牛タンで始めるもんだ
レモン汁に漬けろ
もっとだ
沈めろ
これからもっとこってりとした脂をお前は
摂取するんだ
まずは牛タンを食うべきなんだ
父はだれにも肉を触らせない
家族みんなで行儀よく
肉が茶色くなるのを見届けている
寿司を
食え
だれかの迷惑なんて気にするな
魚も牛もよろこんでいる
店員も大将もブイサインだ
ブイサインでこっちに近づいてくる
魚も牛もブイサインだ
だからここに座って
座りにきて寿司を食え
読書嫌いで育ったから、「本を読むのが好きなんですね」と職場で言われたりすると、私はななめに頷く。
「う、うぅぅん…ソウデスネ」
子供のころから本が嫌いだった。
こうやって物書きのおままごとをしているくせに、今でも本を読むのは腰が重いときがある。
もちろん、小学生のときには星新一とかは読んでたし、「キノの旅」は大好き、中学生になると西尾維新の「戯言シリーズ」にドはまり、高校生になるくらいで伊坂幸太郎にはまったりするのだけど、大学に入ってからはたぶん、4年間で20冊くらいしか本を読まなかった。小説家になるための学科に入っているのに、授業で扱う本以外読もうとしなかった。
面倒くさいのである。
未だに覚えているけれど、夏休みの読書感想文が苦痛で苦痛で仕方がなかった。そもそも本を読まなきゃいけないし、そのうえで「あらすじを書くな」と禁止事項を言い渡されたうえで原稿用紙を五枚も埋めなければならない。地獄だった。
読書感想文で賞をもらったりしているひとたちは、どこでそんなに面白い本を見つけてくるのかと聞きたいくらいだった。聞いても、どうせ、読まないのだけれど。
そんな私が、月1回の読書会に参加している。
大学を卒業するとき、友人二人に誘われて読書会を立ち上げた。毎月1冊決められた本(全員未読の本)を読み、集まって感想を言う。みんなそれぞれ、小説家やら詩人やらを目指している人間として、本を読み続けれなければならないということはわかっていた…地獄のような読書生活の始まりだ。
3人のうち、面白い本(エンタメ系)をもってきてくれるのは一人のみである。彼はH君。ミステリー作家を志望しており、「有名どころのミステリー小説はだいたい抑えた」というくらい、その道の人間である。彼の選ぶ本はほぼ間違いなく面白い。しかも、全然有名じゃない本のなかから、素晴らしく面白い本のにおいを嗅ぎ取ることができる。書店員とか編集者になるべき人だと思う。
なぜか地獄のような苦痛を持ち込んでくるのがM君。彼はいつも「面白くないのはわかっているし、たぶん読み通せる自信もないんだけど、これを読む」といってウンベルト・エーコ「薔薇の名前」とか池澤夏樹「マシアス・ギリの失脚」とか、あと哲学関係の本とかを選書する。
自分ひとりで苦痛を味わえばいいのに、「どうせなら」と他人も巻き添えにしないと気が済まないのである。
けれど、そのおかげで多くの素晴らしい文学や哲学に触れられた。自分ひとりで書店に行っても絶っっっっ対にふれることのない本の世界を見せてくれるのは、有難いとしか言いようがない。
私はふたりにとってどう見えているだろうか。
H君は根本的に読書大好きなひとなんだと思う。どんな本でも読んでくるし、「白鯨」を扱ったときは二回読んでから読書会の会合にやってきた猛者である。
M君はたぶん読書が好き……だけど、根本的には「こんなに面倒くさい知識の吸収方法はない」と思っているんじゃないかと思う。それでも読み通してくるし、誰よりも芯を突くような意見や発問をする姿には尊敬しかない。
読書会を始める前までは、私も「面倒くさい」としか思わなかった。
けれど、どんなに果ての見えない本でも、今現在、いっしょに苦しんでいる友達がいるのだと思えば、乗り越えられる。最悪、ソファーに寝転んで読んでもいいのだ。自分が読み落とした箇所は二人が補ってくれる。
だから私は安心して、年明けの会合で「次は夢枕貘の『神々の山領』にしよう」と告げることができた。「ぜったい嫌だ~」というM君の悲鳴を聴きながら、私は自分に訪れる苦痛を想像しながらも、笑っていた。
次の会合が楽しみである。