あなたは花の名前をきめて寝ていい(詩)+忘れたくない(エッセイ)
不安で眠れない。不安で眠れない夜は…花の名前にもたれかかると、いい。それは、いいことなのか、どうか、わからない。わからないけれど…やってみることは、いいこと、なのかもしれない。なにがいいことなのか、わからないけれど…。
花の名前をきめるのは、いい、ことだと思う。すべての名前のない花は名前をつけてほしがっている。名前をつけてほしがっている花にはかたちがない…花の名前がつけられていないすべてはかたちをもたない…それはこわい。こわいことは、なるべく、少ないほうがいい。
だから、名前をつけたほうがいいんじゃないかな…名前をつけたほうがいいんじゃないかなって、思う、思います。そう思うことは、悪いことじゃない。悪いことじゃないと、いつも思うけれど、みんなはどうなんだろう…こわい。こわいことは悪いことじゃないけれど…みんなのことはわからない。いつも…。
ガーベラ…いい…ハルジオン…いい…オルレア…いい…サンザシ…いい…いい詩なのかもしれない、名前は…レインリリー…いい…たんぽぽ…パンジー…アネモネ…詩、なのかもしれない、もしくは歌のことばなのかも、しれない…と、思う、思います。わからないけれど…みんながどう思うか、
わからないけれど…。
いろんな、ひとが、いろんな位置から、いろんな、花の、いろんな、名前をつけると、いい…それは、いい、それは、とてもいい。とても許されている。きっとしていい、もっとしていい、もっともっとしていい、それはいい。きっといい。それは許されている…とても、許されている…みんながどう思うか、
わからないけれど…
特に書くことがない。
なんで書くのか。
なぜ書こうとしているのか。
書かないといけないという気持ちがある。
私は忘れたくない。けれど、私の体はこれからどんどんと衰えていく。
忘却だけではない。ある種の感情は目の前のひととの幸せだった記憶も掻き消してしまうことがある。こどもの愛しさも、妻のやさしさも、唐突な憂鬱や怒りのなかではなにもおもいだせなくなる。
私は忘れたくないけれど、心はどんどん鉛のように鈍化していく。
魂にも脂肪がつく、といったのは誰だったか思い出せないけれど、まさしくその通りだ。
私はメモ魔で付箋魔だ。読んだ本の内容もきっちりインプットしないと気が済まない。それから私は、相手との過去のできごとを何度も確認してしまう。
「あんなことあったね、こんなことあったね、楽しかったね」
ときにはうるさいと言われてしまう。その通りだろう。
他者にとっては、些細なことでも、私は忘れたくないと強く思ってしまう。
もしかすると、と思い当たる。
私は忘れるのが怖いのではなく、忘れ去られるのが怖いのではないだろうか。どれだけすばらしい記憶があっても、それを他者とシェアできないのであれば、それはなかったできごとと同じなのかもしれない。
忘れられることを受け止められるようになりたい。
そうすれば、私が忘れることも、許せるはずだ。
私は忘れたくない、とは思わないはずだ。