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アンソニー・ホロヴィッツの「カササギ殺人事件」はぜんぜん面白くないけどアラン・コンウェイの「カササギ殺人事件」はすごく面白かったんだよ!!という話(読書感想文)

以下「カササギ殺人事件」ネタバレあります


けっこう嫌なこと書きます。

上巻ではいわゆる「作中作」が語られる。だいたいの小説の場合、作中作は抄訳されたり断片だけ提示されたりするが、この本は違う。本当に全部載せてくる。

上巻まるまる「アラン・コンウェイ」という架空の作家が書いた「カササギ殺人事件」というミステリー小説が載っている。

これがすごく面白い!

いや「まるまる」というのは言いすぎた(し、すごく面白いという感想ものちのち変わっていく。「面白かったんだけどね…」というくらいだ)。このミステリー小説は完結していないのである

犯人あての結末、いわゆる「解答編」だけすっぽりと抜け落ちて上巻は終わる。

じゃあ下巻は? 下巻でその結末が語られるのか?

語られる。

しかしその前に、もうひとつの殺人事件が語られる。

「カササギ殺人事件」の作者、「アラン・コンウェイ」の死についてである。主人公はこのミステリー作家の担当編集者であるスーザン。冒頭、彼女は途中で途切れてしまった「カササギ殺人事件」の原稿を置くと、こう語る。

「こんなに腹立たしいことってある?」

ほんとうにそうだ。

ほんとうにそうなんだよ!!!!!!

さっきまで読んでた探偵小説はどこに!?

オチは!? 犯人は誰なんだ!??

って感じで下巻が始まるわけです。

つまり入れ子構造なんですね。上巻は編集者スーザンが上司から渡された未完成原稿そのまま(冒頭にスーザンの語りがちょっと入るけど)。

下巻は現実のスーザンが、カササギ殺人事件についての謎を追っていく。すると、殺害されたミステリー作家「アラン・コンウェイ」の身の回りのことが少しずつ「カササギ殺人事件」にリンクしていく……。

面白かった。面白かったけど、正直、もうちょっと頑張ってほしかった

具体的にいうと、そこまで入れ子構造にする必然性を感じなかった。

いや、逆効果なのだ。

私はアラン・コンウェイの「カササギ殺人事件」だけ読みたかった!!

がんばってほしかった点として、たとえばアラン・コンウェイの実生活や作品の制作過程が見えてくるなかで上巻(「カササギ殺人事件」)の犯人推理にも繋がって来るような仕掛けが欲しかった。

なんでそう思うのか?

下巻があまりにも退屈だったからだ。

作者としてはちょっと面白い仕掛けで書いてみたのだろうが、私としては

「2作品ミステリー小説を読んだなあ……しかも途中で邪魔されたなあ…」

としか思わないのである。効果としては、下巻を開いたときにびっくりするくらいなものである。

出オチである。

あとは360頁分「特に推理力のない探偵」があれこれ推理を繰り広げ、偶然のなりゆきで「特に同情のしようもないめちゃくちゃ嫌な被害者」が「特に意外性のない真犯人」に殺されたことを知るだけである。あとはいかにして「カササギ殺人事件」を書いていたアラン・コンウェイという作家が盗作もやるし不倫もするし人を小馬鹿にするしのすんごい嫌なやつかが語られるだけだ。

で、ようやく上巻の謎解き部分の原稿を主人公が見つけて、読者もそれを読むことができるのだけど、その頃には私は疲れ切っていた。どうして上巻の素敵なミステリーの結末を読むためにこんな幕間話を延々と読まされなきゃいけないのだろう、と。

例えるなら、名探コナンを楽しくテレビで視聴していたら途中でアニメ制作会社のごたごたが放送されたようなものだ。そんなのどうでもいい。せめてちょっとは魅力的に書いてくれ、と望むばかりだった。だって、それを見たって本編の魅力が深まるわけではないからだ

もちろん、最初から「カササギ殺人事件」をそのままアンソニー・ホロヴィッツが発表してもどうしようもない。そもそもこれは「アティカス・ピュント」という探偵のシリーズものの最終作として書かれているわけだし。

じゃあ、下巻の「アラン・コンウェイ殺人事件」だけを書けばよかったのか? それのほうがまだ面白かったと思う……そうだ、清涼院流水が昔やったみたいに、ふたつの作品を読むと初めて謎が解けるみたいな、あれをやればまだよかったのではないか上下巻じゃなくて、別々の小説として発表すれば……いや結局内容がリンクしていないんだよ!! そんなことやったって両方とも特にかかわりのない別作品であることが露呈するだけだよ!!

じゃあ、なんで作者はわざわざこんな入れ子構造にしたのか? 

たぶん、面白いと思ったからだろう。たしかに面白かった。下巻を開いたときの驚きは前例がなかった。けど、それだけなのだろうか? 本当はここにもっと大きなテーマがあるのではないだろうか??

そう考えると、ここまで私が書いてきた「このすごく面白いカササギ殺人事件の結末を早く読ませてくれよ!! ……え、作者死んだの? え、作者めちゃんこ嫌な奴だったの??? ……なんか、カササギ殺人事件の読み方もかわっちゃうなあ…あ、これがカササギ殺人事件の結末ですか?……ああ、なんか、いろいろ知ったうえで読むとちょっと、ねえ……なんか……素直に面白いとは言えないな……」というこの感覚こそがマーク・ホロヴィッツの伝えたかったことなのではないか?

下巻ではとにかくアラン・コンウェイが嫌な奴として書かれる。その周辺にいる奴らも大体ろくなやつじゃないし、欲望丸出しである。その結果、主人公は出版業界が嫌になって最終的には見切りをつけてしまう。

つまり作者は「お前ら読者が読んでる面白おかしい物語なんて、結局はこういう欲深くて嘘つきでひどい作家や編集者が作ってるんだよ!……という前提で読むと、このアラン・コンウェイが書いた『カササギ殺人事件』っていうミステリー、どう思う? 本当に面白い?」って読者に訊きたいのだ。

私は答える。

「お前がそんなこと言いだすまではめちゃくちゃ面白かったわ!!!!!」

以上です。

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