うつらうつら
最近の鬱の話
・とんぼが風に煽られながらもなんとかホバリングしているのを見た。こんなふうに生きられたらどんなに良かっただろう。僕は彼よりこんなに大きいのに、そよ風に飛ばされている。
・台風の後の晴天は殺人的で、みんながみんな喜ぶものでもないのだということを、鬱になってから理解した。
・ここ数日、心身共に不調が続いている。
不安の発作が毎日あって、仕事もままならない。
お盆休みで実家に来てみたが動悸が止まらず、抗不安薬を飲んで効くのを泣きながら待っていた。実家なのに常に自分を守るために戦っている。
もしこのまま仕事ができなくなったら、僕はどうしたらいいんだろう。実家にも居場所は無いし、まだ社会人1年目で貯金も無いし、本当に死ぬしかないかもしれない。
ああ、こういう人が自ら崖に飛び込むのだと痛感する。
・「もづちゃん(僕)ってすごく明るい子だと思ってたから、うつ病だったのちょっと意外だった」と、大学の時の先輩が言っていた。
明るく楽しそうに見えているのならよかったと、心の底から思う。本当に楽しいから。
楽しいのに楽しくなさそうに見えている方が嫌だ。
・日焼け止めを塗る習慣が無いせいで、そのまま外を歩いてしまうから、肌がどんどん日に焼けていく。それ自体は全然気にしていないのだが、左の手首から肘の関節近くまで、腕の内側にあるリストカットの跡が目立つようになった気がして悲しい。こんなに痕が残るなんて当時は考えもしなかった。もう4年も前のことだ。
ちなみにこの傷は同じ場所を切ってももう全然切れない。痕が残るほど深く切れた場所に復活した細胞はめちゃくちゃ強い。
心もそうなればいいのにな。心は一度傷ついた場所が傷つくほどに弱くなって、同じ場所ばかりが壊れている気がする。
・スーパーが苦手だ。背の高い棚が所狭しと並んでいて閉塞感があるし、人がたくさんいて、彼らの声と店内アナウンスの声と、売り場ごとの販促音声が全部はっきり聞こえてしまって耳を塞ぎたくなる。
これがあるから普段はイヤホンで音楽を聴きながら店内を見るのだが、この間はイヤホンを忘れてしまって地獄を見た。
オフピークのスーパーしか行きたくないが、オフピークのスーパーは変な老人の巣窟なのでそれはそれで近寄りたくない。
ネットスーパーでもいいが、僕は実店舗での買い物が好きなんだよな。思わぬ発見があったりして、散歩のようなものだと思っている。知らないうちに開催されてる全国うまいもの市みたいなフェアが大好きだ。いつも六花亭のバターサンドを買ってしまう。
・僕は一体何がこんなに苦しいんだろう。
仕事は確かに大変だけど、楽しいと思ってるし、勉強も好きだし、不満なんて全然無い。
それなのに毎日満遍なく調子が悪くて、毎晩発作を起こして泣いている。
記憶もちょっと怪しい。一緒にいる人が誰なのかわからなくなる。記憶がなくなるというわけではなく、論理的に考えたらちゃんとわかるのだが、それに対しての実感が湧かない。この人は一体誰なんだろう、どうしてここにいるんだっけ、と思うことが増えた。
そして僕が僕である実感も無い。
・精神的な助けを誰かに求めることができなくなった。
鬱の人間を助けようとするのは、火の中に取り残された人間を助けようとそこに入っていったり、溺れてる人間を助けるために自分も水の中に飛び込むといった行為と変わらない。
僕はその火や水の中に大切な人を引き摺り込んでしまったことがあるから、もう同じことは繰り返すまいと誓っている。
生きるのが下手くそだな。
・実家から東京に帰る時、新幹線の中から遠くに見えた夕焼けが異様に綺麗だった。