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流動体としての僕

・僕の自我は、基本的に流動的だ。
性別も、心も、感性も、一つの形に定まらない。場所や環境によって色を変え、形を変え、そこに適応していく。
意に反して周りに流されているわけではないし、自分の中の芯が無いわけでもない。信条はちゃんとあるし、どうしても対応できない形だってある。飽くまで同じ軸を中心に、僕の外側に表出するものが色や形を変えているだけだ。

・就活は途中で挫折してしまったが、もし面接まで進んで自分をアピールしろと言われたら、強調すべきはこの柔軟性だなと今では思う。

・僕の信条の一つに、「思ったことはポジティブな内容であれば(ネガティブな内容なら状況に応じて)すぐに言葉にする」というものがある。
例えば恋人に対して、好きだと思ったところがあればすぐに伝えるようにしていたり、自発的に与えたいと思ったものは可能な限りすぐに与える、といった具合だ。

・これには明確な理由がある。
人はすぐに死ぬからだ。簡単に死ぬ。そしてその時がいつ来るのか、その時が来るまでわからない。この前まで生きていた人が次の週にはもうこの世に存在しないといったようなことも充分ありえる。
実際、大学の仲の良かった先輩が気づいたら亡くなっていたということを僕は経験した。
未だに実感が無いので実はどこかで生きているはずと思っているが、メッセージが一向に返ってこないことを鑑みるに、その可能性は低いのかもしれない。

・「自分のことを大切にしてくださいね」と僕に言ってくれたその先輩は、恐らく自分で命を絶ってしまった。小説を書いていた彼の作品を買って、「読んだら感想送りますね!」と言っていたのだが、伝える前に彼はどこかに行ってしまったらしい。

・後悔で昼夜問わず泣いた。言葉は自分が本当の意味で生きているうちは無尽蔵に湧く。自分の外側に出る人と出ない人がいるが、少なくとも自分の内側には湧いているはずだ。人間はほとんど、言葉を生み出す半永久機関のようなものだと言えるんじゃないだろうか。
けれど、誰かにあてて生み出された言葉は、その人に届かなければ「その人への言葉」としてのアイデンティティを失い、行き場も失う。幽霊だ。宙に浮いて、自分が死んだなんてことにも気づかず、生み出す側だって虚しいだけのただの言葉になってしまう。
そんなの、悲しいだろ。

・僕はちゃんと人に言葉を届けたい。虚しい言葉の幽霊を生み出す人間にはなりたくない。
だから誰かに想いを伝えるし、こうして言葉を書いている。

・しかし、ガチガチに型にはまって形を変えられない言葉は届く人が限定されてしまう。人によって言葉の扱い方や受け取り方に差があるからだ。
僕は僕の好きな人たち全員に自分の想いを届けたい。そう考えると、流動的な自分でいて、あらゆる形でものを感じ、それに合わせて言葉や気持ちを表出させられた方がいいのだ。

・いろんな形になってその場所に自分を馴染ませ、より多くのものを受け取れるようにし、様々な形でアウトプットしていく。
流動的であること。
それがきっと、僕の形だと思う。

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