【読書感想】『生殖記』読書を通して新たな体験を。
朝井リョウさんの『生殖記』を読んだ。
今まで読んだことのある朝井リョウさんの作品は数年前に読んだ『正欲』だけ。
『正欲』はかなり自分にとってかなり衝撃的な作品だった。読む前と読んだ後で同じ自分ではいられない。読む前の価値観には戻れない。そういう力強い物語だった。
そんなわけで今度の新作もとてつもない衝撃が待ち構えているのではと思って買ってみた。あと、本の見た目がカッコよかった、表紙に書いてある全てのことが気になった、というのも買った理由。
表紙の「生殖記」の文字、キラキラ光ってカッコよくないですか? 何色なのか、何という印刷の仕方なのか、そういうことは全く分からないけどこの本はハードカバーで買うべきだと思って即買いした。
ハードカバーは本のデザインが魅力的なものが多くて、ついつい買ってしまう。文庫本の方が安いのだけれど。
そして、表紙や帯に書いてある言葉、全てが気になる。
どういうこと? 誰が話してるの?
あの正欲並みの衝撃があるの!?
誰が誰に向けて言ってるんだろう。主要人物が少なくとも2人いる?
尚成というのが主人公? 〇〇目線って何のことだろう。誰も読んだことのない文字列の集積って、どういう意味? 小説でもないってこと??
様々な疑問が湧く中、その疑問が興味へと変わり、気づけばこの本を手に取っていた。
ここからは読んだ感想なので多少のネタバレがあります。
この本、凄い。何が凄いって引き込み方が凄い。
なんと、1ページ目からしばらくは誰が話してるのか分からない。尚成という男性を中心に話が進んでいくんだけれど、語り手は尚成ではない。登場人物以外の第三者というわけでもない。
一人称視点でも三人称視点でもない。尚成自身の視点にしては他人行儀過ぎるし、全てを俯瞰する神視点にしては尚成に近過ぎる。そんな不思議な視点と語り口で物語が進んでいく。
「誰も読んだことのない文字列の集積」ってこういうことか!! と思って、他ではみたことがない文章に一気に引き込まれた。
20ページほど読み進めたところで語り手が生殖本能であるということが明かされる。「なるほどね」と納得しつつ、その発想や言葉通り人間離れした(語り手が人間じゃないので)語り口がどれも新鮮で圧倒された。
もうその時点で正欲に匹敵する、もしくはそれ以上の衝撃を受けた。それくらい独特な、独特過ぎる文章で面白かった。
そこからはただただ淡々と尚成の行動が生殖本能目線で書かれていくだけだった。特に面白い出来事も衝撃的な事実も発覚しない。強いて言えば尚成の個性がマイノリティ側という事実があったけれど、今の時代の流れや流行りからすれば大して珍しいことでもない。
この本の特徴の一つはこの『何も起こらなさ』だと思う。
尚成という1人の成人男性の生活を記しているだけ。もちろん多少のイベントは発生するけれど、それは普通の人間が普通に生きていれば起きる程度のイベントで、言ってしまえばわざわざ書くほどのことでもない。
それなのにも関わらず、尚成の一挙手一投足に注目して読んでしまう。それは『生殖本能目線』という今までの人生で持ったことがない視点で尚成のことを見ているからだと思う。
今までに経験したことがない視点だから、普通の生活をしている尚成が普通じゃなく見える。今まで注目したことのない行動や部位にも自然と注目してしまう。
本を読んでいるこちら側も、今まで立ったことのない新たな場所に立って物事を見ているような感覚に陥った。
読書を通し視点が変わるという新たな体験ができた。価値観が変わるとかではなく視点が変わる。正欲は読む前の価値観には戻れない物語だったけれど、生殖記は読んでいる間自分のいる位置が変わる。そんな本だった。
そして、そんな本だから読むのにとても時間がかかった。
尚成がやっていることを、生殖本能目線で説明しながら、生殖本能の経験や価値観を交えて話す。
そういう文体だったから常に二つのストーリーを並行して見ているような、まるで二人から同時に話しかけられているような、そんな感じがした。
普通の小説を読むのとは違う脳の部位を使わなきゃいけないような気がして読むのに時間がかかる。でも、その経験が新鮮で読み進めてしまう。
そんな魅力的な本でした。
マイノリティの話とか、今の社会についてのこととか、そういう大きくて深刻な問題のことも書かれていたけれど、そういうことよりこの本の主役・主な魅力は、ユニークな文体と表現だと思う。流石朝井リョウさん。
読書を通して新たな体験をしたい人におススメな本です。
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