映画感想文「異人たち」 これからのためのファンタジー
映画館で現在公開中の「異人たち」を鑑賞しました。
感想を書いてみようと思います。
と、今回は少し解説めいてる気もします。
お付き合いいただけると幸いです。
※ネタバレあります。気になる方は退避してくださいませ。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、この作品の原作は日本の脚本家・山田太一さんの小説。
そして1988年に大林宜彦監督「異人たちとの夏」として、一度映画化されています。
小説は未読ですが、大林版も今作も大きなテーマは「孤独とそこからの再生」といえると思います。
ただ両作を較べると、向いてる方向は違うのかなと感じました。
自分は大林版をうん十年前に観たので細かいところは覚えてません。
残っている印象をかき集めると、大林監督の作風もあって、懐かしい感じ。郷愁というか。
作品が公開された1988年ってバブル期ですよね。
主人公は山田さんを反映した脚本家で、いわゆるマスコミ関係の人。そういう人たちがブイブイいってた時代ですよね。
大林版はどこかそれを告発している気がしました。「このまま突き進んで大丈夫?一度立ち止まって考えた方がいいんじゃない?」。
もっといえば「日本ってこんな国だったっけ?日本人ってこんな人たちだっけ?」。
大林版は時代の流れにストップをかけてる感じなんですよね。
簡単にいっちゃうと、「ちょいと過去を振り返ろうよ」って。
一方、今作の「異人たち」は「これから(未来)」を見ている気がします。
あらすじにあるように、主人公が少年期に両親を事故で亡くすという大枠は両作とも同じ。主人公が脚本家という設定も一緒。
ただ今作の主人公はゲイです。
大林版は幼い頃に両親を亡くしたことによる孤独が主人公の傷になっていたけど、今作は主人公が性的マイノリティによる孤独と、プラスして両親にそれを打ち明けられなかったことがさらに傷を深めています。
大林版は、(幽霊となった)両親と昔の名残りがある浅草でもう一度子供時代をやり直すことで主人公の孤独が癒されていく。
一方「異人たち」では、主人公は両親に再会してゲイだということを打ち明ける。
母親は激しく動揺し、父親は相談にのってやれなかったことを後悔する。
でも最後、息子の全てを受け入れ、同性パートナーと共に人生を歩むことを後押しする。
主人公もそれによって、同性パートナーを心の底から受け入れることを決意する。
主人公は両親に打ち明けられなかった・そして受け入れられなかったことが、ずっとしこりになっていたんですよね。
ゆえにどこか他人を信じられなかった。ゆえに自身も人を心底愛することができなかった。でもその気持ちが溶ける。
「異人たち」はノスタルジーもあるんだけど、それだけで終わってない。
両親に代弁させることで、「過去に反省させて」いるんですよね。
過去との接し方がより主体的というか。
中年の息子と、自分と同年齢ぐらいの母親がひとつのベッドでどうやって暮らしてきたか語るとこなんて、とても不思議な画なんだけど自分はグッときた。
ラストシーンも未来志向だし、これからの時代のためのファンタジーだと思います。
両作ともゴールは「主人公の再生」なんだけど、辿ったルートは全然違うんですよね。
まあ制作された時代が違うし、舞台が日本とヨーロッパという違いもある。作風も違う。
どっちが良いという話ではなくて、今書いてきたように目指している方向も違うと思うので、それぞれに良さがある。
ご覧になった方の気持ちがどちらに合うか、って感じですかね。
ここで自分の話を少しすると、両方分かるんだよなあ。
子ども時代を(言葉ではなく)追体験することで傷が癒されていくのも分かるし、はっきり言葉として「自分は○○なんだ。助けてほしかった」「分かってやれなくてすまなかった」というやり取りで救われるのも分かる。
大林版は振り返ることでホッとする一方、「異人たち」には前向きなメッセージがあって、人生には両方必要ですよね。
どのタイミングで観るかで、作品の響き具合が変わる気がします。
最後に、両作に共通したキーワードを挙げると、「受け入れる」ってこと。
目を背けずに傷を傷として「受け入れる」、他者を丸ごと「受け入れる」。
これはいつの時代も大切なのかも。
でもこれって、なかなか難しいですよね。簡単じゃない。
でも両作ともファンタジーで包むことで、優しく導こうとしてくれてます。
自分はその余韻にできるだけ長く浸ろうと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?