「怒り」という感情に隠れた本心とは
ある出来事をきっかけに「自分は何者なのかわからない」と思うようになり、そう思うようになってから、自分の中の空っぽな感じをたっぷり堪能したある日、ふと、【自分のことを自分自身で知る必要がある】と直感で思うようになる。ただ、自己評価を他人を介して行って生きてきたので、知る方法がわからない。なので、カウンセラーの力を借りることを決めたのが約2年前。
セッションでは、<印象にある出来事+もやもやした感じがする> のセットを前提として、検証や議論を納得いくまでカウンセラーとしまくってじっくり感情を理解するといった感じで行っていて、そこで「怒り」の感情について考える機会にたどり着く。
自分は突然ドカーン!!といった感じで爆発することがあった。今までは「本当に突然そうなってしまう・・・」「我慢しすぎたかな・・・」と思っていて、性格だからしかたがないと思いつつ、それが人間関係を破壊するほどのエネルギーであることもまた理解していたので、結果、自己否定が強くなるというパターンを繰り返してきた。そこで「怒り」の感情を掘り下げてみると、ある共通点が見つかった。
人から蔑ろにされたときに「怒り」という感情表現をする
である。腑に落ちる瞬間であった。過去を振り返ってみても、ほぼ間違いないからである。
これ、「自分が自分自身を蔑ろにしていること」を相手に映して教えてくれていたのかなと考えてみると、鏡の法則って言っていいものかわからないけど、大事な気づきの機会であったんだと思う。誰も悪いわけじゃないけど、自分自身をそこまで卑下しなくてもいいんじゃない?って感じで。
「何やってもうまくいかない」とか「褒めてくれてるけど何か裏がありそう」とか、「どうせ自分は○○だし」とか・・・悲劇のヒーロー・ヒロインなんて言ってる場合じゃない!
とはいえ、じゃあ自分を大事にしましょうと言われてもピンとこないんだよなぁ~なんて思っていたけど、今のところはこう思っている。
このままでいいや
えっ、感情を理解する、自分を知るなんて結構深入りしてそれ?!って感じではあるけど、自分の存在を蔑ろにされてなんとも思わないほうが逆に怖いなって。ちょっと話がズレている気もするけど、まわりまわって自分のこと大事にしてるから、蔑ろにされる行為に怒りまくるんだって思うと、こういう自分でもいいかなって思えるようになっている。以前までの自分だったら、人間関係を破壊する行動や言動は慎まないといけない!!って必死だったろうな。
上述で突然発生する「怒り」は、実は突然ではなくトリガーが存在すると認識できたことで、なんか漠然とではあるがホッとした気持ちになった。対処ができるようになったからである。
「自分がわからない」をきっかけに「自分を知る」ことに結構時間を費やしている現状だが、わからないのではなく、実はパーツは既に揃っていて、後は紐づけ(リンク)させていく段階なのかなと思うこの頃。
何より、辛抱強く付き合ってくれるカウンセラーに感謝しかない。