身体中の細胞は、私の人生を一瞬一瞬記憶している。今この瞬間も。
今日は心のこと。
私の中で、心がざわざわして軸が乱れる時って、世界が色を失ったように見える。薄っぺらくて偽物みたいなのに、それが不安をかきたてる。
今この瞬間に恐るべき事が怒っているわけではないのに、「今」ここに心を置く事が、怖い。不安。居ても立っても居られないざわざわ感。。。
毎日が同じに感じたり、物事に興味が薄れるわりに、スマホを手にとって情報で気を紛らわそうとしてしまう。
きっとみんなそういうときあるんだろうけど、私はこんな感じになるよ。
ここ一週間くらいも、心がざわつく出来事が多くて、軸がブレれていたのを感じていた。しかも子供と寝落ちして、日課の瞑想が出来てない日が続いていたから、余計にざわざわ。
今日は瞑想やだな。。。全力で逃げたかったけど、このままではどんどんブレてしまうぞ。って事で何日か振りに座ってみる。
ゆっくり呼吸しながら、目を閉じる。
思考が洪水のように流れていく。それがうるさくて持っていかれそうになりながら、何度も帰ってきて、ようやく体の感覚がクリアになり始める。
色んな瞑想の仕方があるんだろうけど、私はキネステティックに(体感で)物事を理解するタイプだからか、いつも瞑想のはじめは体の感覚に集中すると一番入りやすい。
単純に、自分の服が皮膚に触れている感覚とか、血液がどくどく皮膚の下で流れている感じに意識を向けていくと、次第に思考が一時停止した状態になる。(聴覚で入りやすい人は、聞こえている音に集中したりするらしい。)
そして体がぼわーっと全体的にあったかくなって、この空間に、そのぼわーっとあったかいものとなった自分が存在しているだけ、となる。この時、すごく居心地がいい。
どんなにざわざわしてた日でも、ここに到達できると、いつまででも瞑想していられるような気がするくらい、満ち足りた気持ちになる。
このあったかくて居心地のいい場所に漂うだけの時もあるし、自分の中でゴールをもって瞑想をすることもあるけれど、時に予測していなかったアイディアや、言葉が降ってくことがある。
今回はふとこんな考えが浮かんだ。
身体中の細胞は、私の人生を一瞬一瞬記憶している。今この瞬間も。
あ、そうなんだ。そうだったんだ。そういえば、ドイツの研究で、水は置かれる環境によって変化するというのがあったな。私たちの体は60%以上水なのだから、そういうのも関係しているのかもしれない。
そしてなぜか「やっと思い出した」という気持ちになる。
核心に迫る言葉に出会うときって、新しい知識を手に入れるという感覚より、「どこか遠い所に置いてきた事実を取り戻した」という感覚が強い。
まるで、心の奥ではずーっと知っていた事を思い出したかのように、ストンと落ちる言葉たちでした。
私が経験することすべて、感じることすべて、私の細胞に響くように伝わって、彼らは変化し続けているんだ。と、納得をすると、瞑想が深くなっていった。一つ一つの細胞と自分の意識がより繋がっていくように感じ、体が熱くなって、体の奥からエネルギーが湧いてくる。
そして自分の体のなかにある、たくさんの意識たちを、愛しく感じた。
その瞑想から数日過ぎて、繰り返し思うことは、一瞬一瞬どんな思考を選んでどんなものを感じて生きたいかということ。
どんな影響を、自身の体をつくっている細胞たちに与えて、日々生きたいかということ。
どうせ生きるなら、平和、愛を、調和を選んで満たしてあげたい。
怖れや罪悪感や妬みよりも、感謝や喜び選んで全身に伝えながら、なるべく生きていきたいな。それができない時も、自分のことを受け入れて、寄り添っていられたらいい。
そして、私たちの意識と体と共存している多数の意識と、互いに影響しあいながら、共鳴しながら、流動的に変化して生きていきたい。
そんなこと考えています。
読んでくれてありがとう。