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負の歴史も伝えよう!「記憶の場」という世界遺産の新しいカテゴリー

一昨日、韓国に戒厳令が突然出され、軍が国会に入っていき、パニックになりました。
戒厳令が出されたのは1980年ごろ、市民を弾圧し市民に銃を向けた光州事件を思い起こされます。

いつも明るくよく観ている韓国のyoutuberが、とても不安そうにライブ配信をしておりました。
これだけ市民を不安にさせ混乱させる大統領はひどいなと、外からではありますが怒りを抱きました。


韓国はかつての弾圧の歴史、つまり負の歴史光州事件を映画化などもされるくらい丁寧に引き継いでおります。
光州事件は、まさに闘いの歴史です。


戦争や内戦、虐殺など負の歴史を伝える戦争or平和をテーマにしたミュージアムが世界各地にあります。

ユネスコの世界遺産の中にも、アウシュビッツ強制収容所や原爆ドームなど負の歴史を伝えるものがあります。
これらに加えて「記憶の場」という新しいカテゴリーの遺産が生まれています。
それはどのようなものでしょうか?


今年の夏インドで開催されたユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会では「佐渡島の金山」の他にも23件の資産が世界遺産に登録されました。

南アフリカの資産は昨年導入された新カテゴリー「記憶の場」による登録でした。
「記憶の場」という新しいカテゴリーはどのようにしてうまれたのでしょうか?

きっかけは2017年、フランスとベルギー両政府が「第一次世界大戦(西部戦線)の慰霊と記憶の場」を世界遺産の候補として推薦したことでした。
しかし、ユネスコの諮問機関は難色を示しました。なぜなら、負の歴史に関する資産は国家間の争いを生みかねないからです。

諮問機関は20年、歴史認識問題に関わるような資産について、国際強調を重視する世界遺産条約の趣旨に「適合しない」という見解を出しました。
しかし、ルワンダ虐殺に関する遺跡など負の遺産を推薦しようとする国がでてきました。

そこでユネスコはワーキンググループを作って議論を続け、22年に新カテゴリ-「記憶の場」に関する原則を出しました。
「国家や国民、コミュニティーが記憶することを望む出来事が起こった場所であり、記念的側面を有し、近年の紛争の犠牲者を追悼する物証を伴う場、または景観的特徴を持つ遺跡」などと定義しました。

「紛争」は虐殺や差別、抵抗運動などと幅広く定義しました。
さらに他国が記憶の場に関する資産を推薦しようとする際、世界遺産条約の締約国は意義を申し立てられるようになりました。
各国間で歴史認識の合意がないと登録は難しくなりました。


23年の世界遺産委員会で第一次大戦やルワンダ虐殺に関する資産などが登録されました。
24年には「人種・解放・和解・ネルソン・マンデラ遺産群」が登録されました。
反アパルトヘイト闘争を率いたネルソン・マンデラの生きた跡を記録に残すため、マンデラが収監された施設や抗議デモの参加者が虐殺された場所などで構成されています。

今後は第二次世界大戦の激戦地であるフランス・ノルマンディーなどが登録される可能性が高いでしょう。

日本からも登録をめざす動きがあります。
岡山県瀬戸内市の長島です。
日本初の国立ハンセン病療養所「長島愛正園」などがあり、患者の隔離政策や強制的な断種が行われました。
コロナの世界的な感染で明らかになったように、病気による差別や偏見は今も根強く存在します。
ハンセン病療養所を世界遺産にすることは、そんな現状へのメッセージとなるでしょう。



世界遺産をめざすNPO法人の事務局長は言います。

「二度と繰り返してはならない権力による人権侵害。それにも関わらず人間性を失わずに闘った人たち。これらの記憶は世界に伝えていく意義があります。」



人間性を蹂躙した苦難の歴史とそれに抗する人間の闘いの記録を、後世に伝えていかなくては人類の未来は開けないでしょう。


参考文献
朝日新聞12月2日付け記事


執筆者、ゆこりん、ハイサイ・オ・ジサン

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