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ビキニ環礁水爆実験から70年。「グローバル・ヒバクシャ」は世界各地に。

今日は3月11日、2011年の東日本大震災から13年です。
東京電力福島第一原発事故で12市町村に国から避難指示が出されました。
すべての市町村で避難指示は解除されましたが、放射線量が比較的高い「帰還困難区域」が7市町村に残され、居住率は平均で3割です。
県の発表だけでも約2万6千人が故郷に戻れていません。
放射能被害の影響は今も続いています。


70年前の1954年3月1日、アメリカは太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を行いました。
破壊力は広島原爆の1000倍。
巨大なキノコ雲が上がり、白いサンゴが放射性降下物となって降り注ぎました。
当時爆心地から東160キロの地点で静岡県焼津市のまぐろ漁船「第五福竜丸」が操業していました。
船員23名は「死の灰」を浴びて被曝。半年後に無線長の久保山愛吉さんが40歳で亡くなりました。

これをきっかけに原水爆禁止を求める国民運動が起き、広島・長崎の反核運動につながりました。
その訴えは世界中に広がり、核兵器禁止条約を生みました。



「第五福竜丸」が被爆した当時、周辺海域には日本の漁船や貨物船が1000隻近くもいて『死の灰』を浴びたといわれています。
しかし、第五福竜丸以外の被害はほとんどわかっていません。
政府は米側からの見舞金で政治決着を図り、被曝の影響を否定して調査もしませんでした。

1985年、高知県の教員と高校生が、課外研究で地元の元漁船員らに聞き取りをして埋もれていた「被曝」の存在を明るみに出しました。
高知県の元船員らが国に補償を求める裁判はいまも続いています。




マーシャル諸島の島民たちも放射能による健康被害に苦しんでいます。

アメリカは1946年~58年、国連信託統治領だったマーシャル諸島で計67回の核実験を実施しました。
福竜丸の被爆時、ビキニ環礁の180キロ東に浮かぶロンゲラップ島(環礁)には86人(うち胎児4人)がいましたが、3日後に米軍が救援するまで放置されました。

島民のほとんどがやけどを負いましたが、米政府は「地元の住民が予期せず若干の放射性物質を浴びた」とし、やけどはなかったと主張し、治療もせず、症状を観察しました。
その後も米政府の医師団が定期検診で訪れました。
医師団は「安全だ」と言い続けましたが、子どもたちには甲状腺障害や脳障害が発生。
女性には流産・死産が多発しました。
「子どもたちの未来のために」と島民325人全員が、200キロ南の小さな無人島メジャト島に脱出しました。
マーシャルの被爆者たちは日本の被曝者と同様に差別を恐れて周囲に口を閉ざしてきました。

12年に亡くなった女性は、8歳の誕生日にビキニ水爆実験による放射性降下物を浴び、甲状腺異常や乳がん、7回に及ぶ流産に苦しみましたがその体験を娘にも語りませんでした。


核兵器は原料のウランの採掘から製造、実験、使用そして核廃棄物の処理まで放射線による被害を生みます。
広島・長崎だけでなく世界中のいろいろな場所がその犠牲になっています。
そのほとんどが先住民族の土地です。
世界中に「グローバル・ヒバクシャ」を今も生んでいるのです。



戦争で使われるかどうかという狭い視野ではなく、人権侵害や環境汚染という視点で核問題を考えるべきです。
だから核兵器は禁止しなくてはなりません。
広島・長崎で原爆の被害に遭い、ビキニ環礁で水爆実験の死の灰を浴び。
東日本大震災で原子力発電所の放射能漏れ被害に遭った日本こそが核兵器禁止条約を批准すべきです。

そんな日本と、ウクライナ紛争、ロシアとの核戦争の危機にあるヨーロッパ諸国が率先して反核の声をあげ一刻も早く停戦を実現するよう努力すべきです。



執筆者、ゆこりん

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