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戦争ミュージアム探検!①ピースおおさかー大阪国際平和センター

みなさんこんにちは。
季節はもうすっかり秋🍂
寒くならないうちにお出かけしてみるのはいかがですか?

大阪にあるピースおおさか(大阪国際平和センター)
に行ってきました。
ピースおおさかは、大阪城公園のすぐ近くで、お散歩がてらにおすすめ!
外国人もたくさん来ておりました。🌏



ピースおおさかは1991年に開館し、その後2015年にリニューアルしました。
リニューアル後は、地域の身近な出来事として「大阪空襲」を中心に展示をしています。

最初の展示室(Aゾーン)

空襲で焼きつくされた大阪の写真のパネルが大きく展示されています。

現在の大阪との比較の写真もあります



空襲に至った背景としてなぜアメリカと戦争をしたのか日清・日露戦争から太平洋戦争までをたどります。





Cゾーン

なぜ大阪が大規模な空襲に見舞われたのか戦争当時の大阪の様子を伝えます。

戦前昭和期の大阪は、商業・紡績・金属などの産業が栄え大大阪とよばれました。
東洋一の規模を有した砲兵工廠や第4師団司令部の立地などから「軍都」という一面も有していました。

大阪砲兵工廠は、日本陸軍が使用した大砲とその砲弾のほとんどを引き受けた陸軍直轄の兵器製造工場でした。
明治以降、外国との戦争のたびに拡大し、日中戦争開始(1937年)直後の最盛期には、さまざまな職種を合わせ6万数千人が働いていました。
その敷地は広大な大阪城の東部一帯におよび、まさに「軍都」大阪を象徴する存在でした。




子どもたちの戦時下のくらしを実感できるようになっています。


当時の国民学校の机や椅子が再現されています。机はタッチパネルになっていて、当時の国民学校の様子や日々のくらしや遊びの様子を知ることができるようになっています。




戦時下の暮らしの様子を再現します。



Dゾーン

大阪空襲の実態を写真、実物資料、体験者の証言などにより伝えています。

大阪は8次にわたって空襲に見舞われました

特に3月13日から14日にわたった第一次空襲では、焼けた建物の数、約13万6千戸、被災者約50万人、死者約4000人となっています。





空襲は焼夷弾と模擬原爆、1t爆弾で行われました。





模擬原爆とは

原子爆弾の投下対象として日本を選んだアメリカは、原爆投下を成功させるための訓練として、模擬原爆を日本全土の都市に投下しました。
当時開発されていた原爆には広島に投下されたリトルボーイ型と、長崎に投下されたファットマン型の2種類がありました。
模擬原爆には火薬の詰め替えが簡単にできるファットマン型が使用されました。
本物とほぼ同じ形状で同じ弾道を描くように設計され、核物質の代わりに火薬を詰めた巨大なものでした(長さ約3.2メートル、直径約1.5メートル、重さ約4.5トン)その形から「パンプキン爆弾」とよばれました。
模擬原爆は日本全国で49発が投下されましたが、そのうちの1発が1945年7月26日、大阪市東住吉区田辺に投下されました。
死者7人、重軽傷者73人、消失・倒壊家屋486戸、被災者1645人と大きな被害が出ました。





防空壕体験ができるアトラクションもありました。
ちなみに段差などもなく、車椅子でも入ることができて模擬体験ができました。
模擬体験ですら恐い気持ちになりました。😥



防空法について

1937年(昭和12年)に施行された防空法は、国民に灯火管制(照明の使用を制限すること)などの義務を課しました。
太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)11月の改正により、都市からの退去禁止や空襲時の応急消火義務など国民に対する命令や権利制限が拡大されました。
このために多くの人が空襲時に退去せず消火活動をしたために逃げ遅れて亡くなりました。



空襲の被害の様子

壁面に記載された戎橋界隈のジオラマや床面へのプロジェクションマッピングにより空襲の様子を映写します。





空襲体験者の証言もきくことができます。



Eゾーン

戦後、GHQによる占領下から高度経済成長を経て発展する大阪の姿を伝えます。





1階の庭は「刻の庭」と呼ばれます

「刻の庭」は大阪空襲で亡くなられた方々を追悼し、平和を祈念する「場」として多くの方々の寄付により戦後60年にあたる2005年8月に完成しました。
犠牲となられた一人ひとりのお名前が「とき」の証人として「刻」まれ、平和を願う心が「刻」を超えて生き続けるようにとの願いから「刻の庭」と名づけられました。

庭中央にあるドーム型のモニュメント内部には、大阪空襲で亡くなられた方々の氏名を浮き彫りにした銘板が置かれています。
銘板に刻まれたウミガメは「平和のメッセンジャー」を母子像は「生命の尊さ」を意味しています。
鳴らせるような小さな鐘もあります。




感想✨
2015年のリニューアル以前には、日本軍による加害の歴史の展示があったそうですが今は見当たりません。

大阪空襲に焦点を絞っているからかもしれませんが、アメリカとなぜ戦争したのかその過程を紹介しているだけで、中国やアジアで戦争したことは書かれていませんでした。
これでは、戦前はアメリカと戦争した印象しか残らないなと思いました。
これは、大学の時に政治学の教授が批判していたことそのものでした。

大阪の師団が、大陸や東南アジアのどこに派遣されたのかの図はありました。
だったら、派遣された先でどのような戦闘が行われたのか説明があってもよかったと思います。
子ども向けにわかりやすく戦時下の子どもの暮らしの様子を紹介しているのは小中学校などの校外学習の場としてよいと思います。

戦時下のくらしについてもわかりやすく紹介していますが、当時の国民の生活が国家から監視され国民の自由が抑圧されていたことには触れられていません。
あたかも国家は日本の味方のようでした。

贅沢は敵だと言われ、弱音をはいたら叩かれ、国民からしたら日本政府もこわかっただろうなと思います。

空襲についてももう少しくわしく展示してほしかったです。

執筆者、ゆこりん、ハイサイ・オ・ジサン

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