ガンディーの非協力運動―カーディー運動―
1921年、ガンディーら国民会議派は組織を挙げて政府に協力しない「非協力運動」を展開しました。
イギリス製品の不買運動、
禁酒運動。
警察・役所・軍隊などに勤務する者の辞任。
大学の学生や高校の生徒の自主的な退学、弁護士による政府関係の仕事の停止。
公共交通機関のボイコット。
農民の地租不払い運動など、多種多様な運動が実践されました!
そのなかで、特にシェアしたいのが、カーディー運動です!
カーディー運動
ガンディーは帰国して以来、イギリス式のシステムに抵抗するために、白いインドの服を身につけていましたが、チャンパーランで上半身裸、下半身にはドーティーという白い布を巻くだけのスタイルに変わりました。
1920年に非協力運動が開始されると、「スワデージ運動(国産品愛用運動)」が提唱され、イギリスの工場製品の衣料を燃やし、インド製の服を着ようという運動が広がりました。
ガンディーは「自分の着物のすべてを自分自身の手で生産した布で作ること」を目標とします。
その実現のためには、インド産綿、伝統的な手紡ぎ車や手織り機、そしてそれらの道具を使って実際に綿を紡いだり、布を織ったりできる職人が必要でした。
インド市民が各々で作るために、技術を学ばなければいけなかったからです。
ガンディーらはインド中を探しました。
奇跡的に原料も道具も職人も見つかり、ガンディーが考えていたような、混じりけのない手製の原料で糸を紡ぎ布を織ることが可能になったのです。
こうしてできあがったのが、カーディー(Khadi)の衣装でした。
このファッションは瞬く間に全国に流行し、白い帽子は「ガンディー帽」と呼ばれて、団結の象徴になりました。
カーディー(カディ)とは、手紡ぎ手織り生地の総称です。
当時、インドでとれた綿や原料でイギリスが衣服を制作し、それをインドの人々も着ていました。
ガンディーはイギリスの帝国主義への抵抗だけでなく、インド人の自立や誇りを持つという意味でもこのガーディー運動を行いました。
それだけでなく、インド人の雇用の場や技術の向上、インドの地域活性化という狙いもありました。
ガンディーの展開するサッティヤーグラハ闘争や非協力運動、カーディー運動などにより、これまで英語を話す知的エリートだけで行われていたナショナリズム運動に、農民も含めた多様な民衆が参加するようになりました。
インド独立運動の裾野は大きく広がったのです!
当時、イギリスの洗練された機械で作られた衣服と比較されバカにされるような意見もあったようです。
イギリス製品と比べて時間もかかり、ムラも多い。。。
でもこのカーディー運動、今こそ見習うべきではないのでしょうか?!
格差拡大や環境保護の面から大量生産・大量消費が見直されている昨今です。
地産地消をしていこうという運動も活発だったりします。
機械で作られた均一的なものではなく、ひとりひとりの手で作られたものの温かみや息づかいの価値は今も健在です。手縫いって良いですよね。
ガンディーのやったことは、まさにSDGsなのではないでしょうか?!
カディとGoogle検索をすれば、たくさん衣服のページがヒットしました。
このカーディー運動で生まれた文化は、今も愛されているのです!!
参考文献
「ガンディー自叙伝」東洋文庫
「サッティヤーグラハの歴史」東洋文庫
「ガンディー 平和を紡ぐ人」竹中千春著 岩波新書
「ガンジーの実像」ロベール・ドリエージュ著 文庫クセジュ
「ガンディー『知足の』の精神」森本達雄編訳 人間と歴史社
「ガンディー魂の言葉」浅井幹雄 太田出版
執筆者、ゆこりん、ハイサイ・オ・ジサン