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映画紹介「ウーマントーキングー私たちの選択」。自分の手で未来を取り戻そう!

皆さんこんにちは。
先日、今年も世界ジェンダーギャップ指数が発表されましたね。
日本の今年のランクは……じゃらららら


125位😭😭😭😭
やばたにえん。



昨年はいくつだったかなと思い調べたら、2022年は116位。
めっちゃ落ちてるやん😭
昨年が良く見えるくらい感覚が麻痺しそう😭

日本は男性が決定権や権限を持ちすぎ。
自分たちのことは自分たちで決めるのが民主主義の基本なのでは。


女性たちが自分たちで話し合い、生きる道を決めたこんな映画を紹介します!



「ウーマントーキングー私たちの選択」

ブラッドピッドがプロデューサーであるプランBが制作に携わっています。
監督はサラ・ポーリー。


2011年南米ボリビアのキリスト教メノー派のコミュニティ内で実際に起こった出来事に着想を得た小説を原作にしています。

知らない間に性的暴行を受けたことで、今後の人生をどう歩むのか女たちだけで話し合って決めることになりました。
しかも、与えられた時間は、強姦者たちが保釈され家に戻るまでの2日間。
女たちは自分の手で未来を取り戻そうとするのです。


あらすじ

2010年、自給自足で生活するあるキリスト教一派の村。少女たちが朝目覚めると、寝る前にはなかった痣がしるされています。
恥部に残る血痕。
家畜用の麻酔薬で眠らされた女たちは次々にレイプされていたのです。
しかし、女たちの訴えはコミュニティの男たちから「迷信」「作り話」「悪魔の仕業」とされて相手にされませんでした。

ある晩、寝室に忍び込んできた青年に気づき、少女が声をあげたことで事件は明るみに。
男たちは逮捕されその保釈までの2日間、女たちは納屋に集合し、今後の方針を話し合うことになりました。

「1,何もしないで赦す」「2,残って闘う」「3,立ち去る」という3つの選択肢で投票が行なわれます。
その結果1は却下。2と3が同数となります。

解決のための時間は限られているので、決定は二つの家庭のメンバーによる話し合いに委ねられることになりました。
残って闘うのか、立ち去るのか、コミュニティ内で教育の機会を奪われ、読み書きもできない女たちが、初めて男の支配からのがれて自分たちの運命を自分で決めるのです。

今まで、コミュニティしか知らず外の世界をまったく知らない女たちでしたが、新しい世界へ向けて一歩を踏み出そうとします・・・

映画パンフレット



立ち去ることは信仰を捨てることにならないのか?
残って闘いたいといっても、これまで男たちに頼み事すらしたことのない女たちがどれだけ闘えるのか?

白熱した議論がたたかわされます。
議題は、女たちを強姦した若い青年たちへの怒青年を駆り立てた男たちのヒエラルキー、見過ごしてきたリーダー、やがてそういった男たちを容認してきた自分たちへの怒りへと向かうことも。

これまではキリスト教の信仰から男たちを「赦し」てきました。
しかしそれは決して『許可』ではないと気づくのです。


この映画は、閉鎖的な宗教コミュニティという特殊な世界の出来事として描かれていますが、それは私たちの生きている社会で家父長制的な構造がいかに女性の虐待や抑圧につながっているか、そしてこうした支配の構造が宗教や伝統あるいは教育を通じて再生産され根強く社会に残っていくかへの問題提起であります。

映画では、ただ一人の男が記録係として納屋の話し合いに参加を許されます。
彼は一度コミュニティを出て、大学で学んだ後、子どもたちの教師として帰郷しました。

その男性は女性たちの話をじっくりと聞いています。
話し合うこと、それは何かを言うことよりも彼女たちの声を聞くことの方が大切なのかもしれません。


残された少年たちの教育は彼に委ねられます。
既存の価値観を捨て去り新たな価値観を学ぶことが期待されます。


映画の最後で、主人公が生まれてきた娘に言います。「あなたの物語は違う」と。
違ってくれればいいのですが、物語を変えることができるのか……私たちに問いかけてきます。


映画は、今も日本の一部の映画館で公開されています。


執筆者、ゆこりん、ハイサイ・オ・ジサン

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