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弾丸日帰り広島旅

昨年10月のこと。それまで夏休みがとれていなかった僕は、遅めの休みをとり、広島へ行ってきた。
きっかけは特になく、なんとなく「そういえば西の方、行ったことないなあ」と思い、「行くなら広島行ってみたいなあ」という、ただの思い付きで、広島に行くことにした。
本来であれば、しっかり宿をとってじっくり休暇をとりたいところだった。だが、その時は何故か「行くなら日帰りだな!」となり、日帰りで、新幹線で行った。

思い付きのノープランひとり旅のため、スケジュール感などはゼロ。東京を出たのが10時くらい、新幹線なので約4時間を要し、広島駅に着いたのは午後2時ごろ。日帰りで、旅行先に着くのが昼過ぎなんて、本来ならテンションが下がるようなことだ。
しかし、そこがノープランひとり旅のいいところ。計画を全く立てていないため、そもそも遂行するスケジュールもないので、ガッカリもくそもない。とりあえず、広島と言えば…ということで、一度は絶対に行ってみたかった、原爆ドームに行くことに決めた。

広島駅から、Googleマップを使い、約30分ほどかけて徒歩で向かった(後で気付いたのだが、シャトルバスらしきものが出ているらしい)。
原爆ドームと言われれば誰もが思い浮かべる、有名なシルエットは、歩いていたら急に現れた。第一印象は、「思ったよりも街の中にあるんだな…」というものだった。
周りには、おそらく社会科見学で来ているのであろう小中学生や、僕と同じように観光できている人が多かったが、特に海外からの観光客がかなり多かった。

間近で見ると、その迫力に圧倒された。爆心地がすぐ近くだったということも踏まえてみると、ここまでの形を保って現存しているのか…度肝を抜かれた。
何というか、言葉で表現することがなかなか難しいな、と思った。それくらいの大迫力かつ、存在感があった。”何か”を訴えかけてくるような、気のせいかもしれない、いや気のせいではなく確かに”何か”が、そこにはあった。普段、”何か”を感じることなんか一度もないのに、その時だけは”何か”を感じる、そんな不思議な感覚。

原爆ドームの周りをあらかた散策した後、あらかじめ調べて見つけていた、「おすすめ観光ルート」なるものに沿って、平和記念公園に向かった。平和公園には「原爆死没者慰霊碑」というものがあるが、正面から見ると、抜けに原爆ドームを見ることが出来る。
後に調べてわかったことだが、この設計は、建築家・丹下健三氏の構想によるものらしい。丹下氏は、原爆ドームから平和公園に対面する道路に向かって一本引いた軸を中心として、慰霊碑と平和記念資料館を配置するという提案をしたという。
当時は、「撤去するべき」という意見が多数だった、原爆ドーム。記念の塔を造ることで完結するような提案がほとんどの中、原爆ドームを中心に据えた設計をしたのは、丹下氏だけだった。
「原爆の悲惨さを伝えるため、人類が二度と原爆を使用しないため、シンボルとして残すべき」。そう必死に訴え、どんなに反対されても信念を曲げなかったという。

慰霊碑を通しドームへの祈りをささげた後、丹下氏が創造した軸に沿い、資料館へ。平和記念資料館は、史実を元に作られる「〇〇館」の中では珍しく(僕がそもそも行ったことない場所ばかりということもあると思うが)、フラッシュを焚かなければ撮影OKとなっていた。珍しいな、と思い撮影する気満々で入場したのだが、入って「これはとれないなあ」と、構えていたスマホのカメラをすぐに下ろした。

自分がいかに、”紙の上の出来事”として捉えていたのだろうと、思ってしまった。
あまりにも、現実世界とかけ離れていて、現代日本からは想像できなくて、だけどこれは、過去に実際起こったことで。非現実的に思えてしまうが、現実だったことで。展示されているものたちから、目が離せなかった。鳩尾に、不思議な熱さを感じた。

この旅で私は、ずっと”何か”を訴えかけられ、食らいっぱなしだった。その”何か”というのはなんなのか、未だに表現するのが難しい。
いわゆる”パワースポット”的なところや寺社仏閣に行っても、そんなにパワーを感じることはないが、この時は、”パワー”とは違う”何か”だった。これが私の持ち合わせている語彙力で伝えられないことが悔しくてたまらない。
この感じを、言葉で表現できるときはくるのだろうか。いつか、”何か”がわかるように、表現ができるように、自分の感受性を磨き、そして歴史と目を合わせていきたいと思った、そんな一人旅だった。

#わたしの旅行記 #一人旅 #広島 #原爆ドーム
※写真はみんなのフォトギャラリーより

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