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山で撮った写真。

このところ、『山で撮った写真。』というタイトルでnoteを書くことが増えた。書いていくうちに、このタイトルはほとんど『無題。』と遜色のないタイトルだということに気づいているが、続いている手前、やめるのもなんだか愛着が出てきてやめられない。

増えたので、いっそマガジンにまとめておこうと思っているのだけれど、寝かしつけとともに寝落ちに寝落ちを重ねる日々の中で、やりきれていないというのはただの言い訳になるので、こういうことはあまり言わない方がいいことなんだろう。

まわりくどい言い訳をしたところで、今回の『山で撮った写真。』とは。

木肌をみると落ち着く自分がいることを確認する。スギやヒノキばかりをみていると、その他の樹木の凹凸をみるとより落ち着く。その凹凸の中に、生きものの特徴がみえるようなことがあれば、木々も生きているのだ。ということをイメージしやすいからなのか、落ち着く。

とはいえ、普段好きなだけみているスギやヒノキにもみていておもしろい部分はたくさんある。言葉にするのは難しいが、沢沿いに立つそれらにコケなどが伴走していると、心地よく感じる。

崩れた道のえぐれた部分に宿っているものたちもいる。人間の蓄えたものは、始まれば一瞬で飲み込まれていくのだろうとおもう。が、こちらも生きるために必死だ。災いの少ない日々を送りたい。

歩いていると、むしられた羽根だけがのこっている現場をみた。それ以外の血や肉などは跡形もなく綺麗さっぱり無くなっていた。余すことなく堪能したのだろう。生きている実感ができるのが良い。

道が崩れた先にある観音さまに調査がてら立ち寄った。あたりの状況をみて、どなたかが綺麗に整頓されている様子。ありがたいと念じながら参拝をした。道は大きく崩れてクルマは通れず、人も近寄りがたいところなのだけど、いったいどんな方がいらしたのだろう。

雪が降る日の曇り空を介した光が美しい。と思った。

このところ、列島に寒波がやってきている。降り積もらない雪に対して、妻が気合いが足りない。と嘆いている。子と雪遊びをするためにはもっと雪が必要だそうだ。

ヒラタケのようにもみえるけれど、きのこには明るくない。食用のものくらいは、明るくなりたいものだ。

平地では、やる気のない雪も山地となれば嬉しそうだ。

普段は、素通りするものでも雪が化粧をしてくれている。

蜘蛛の巣にも雪は積もるんだな。と思いながら撮った。できれば虫がいいよね、クモ的には。

うねるように、枝を張り巡らせ、太陽の光を受け取るために無数の葉をつけている。枝の分かれ目に水が溜まれば、そこから菌が侵入し、腐ってもいくのだが、カニの脚のように、トカゲのしっぽのように切り離して生き延びていく。

寒すぎて、言葉にならない。
この時ばかりはちょっとやる気を出さないでほしい。と思った。

朽ちていくものの中に、生きている雰囲気をみる。

こちらも、雪が降ってなければ撮っていないだろう。人でも、動物でも、植物でも、山の中にある生活感をみるのがおもしろい。雪だけに。

天気予報に反して雪はそれほど積もらないらしい。大袈裟に注意するくらいがちょうどいいのだろう。せっかくならば、20cmほど積もってほしいと温暖な地域に住む私は思うのであった。

というわけで、『山で撮った写真。』は続けていきたい。

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松田佳之
山のため、子のため、写真のために使わせていただきます。いつかお会いできれば嬉しいです。

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