見出し画像

山で撮った写真。


1日の終わりに山の中に入る道を下る。徐々に視界がひらけていく先にある、向かいの山をみて仕事が終わったことを実感していた。

轟々と燃えるものも良いが、食事時にみる静かに燃えるものも良い。

その熾火に煽りながら焼かれる地鶏を食べると尚いい。いい食事をすることは大切な時間。

ワイパーのゴムの取り替えが億劫で放置している。が、これはこれで良いなと思っている。待て、さぼるな、ハヤクトリカエロ。と彼は言っている。

朝は日が昇る方に向かっている。

車内からみていたフロントガラスを車の外から観察する。見るところが変われば見えるものも違ってくる。

いまの現場では主にスギが生えているが、まばらにヒノキも入っている。寒い冬に道に落ちているヒノキの枝を拾うと、やることは決まっている。

何度やっても爆ぜる音が心地いい。冬に花火をやっている気分になれる。

この状態は炭化といって良いのだろうか。燃え損ねた葉のデティールを観察している。

生えている葉が光を反射しているのをみると、落ち着く。それをみるとヒカリを吸収していることを考えるからだろうか。いままさにご飯を食べていますと言わんばかりの姿勢を感じるからだろうか。そうか、目の前でこれでもかとご飯を食べる子などの姿を見ているのと似ているのかもしれない。お腹を空かせながら書いているから、が優勢である。

その立場でなければ見えてこない部分が見えるようになると、少しだけ嬉しい。その少しだけを更新しつづけたい。

誰かがこれまでに何度も何度も、さまざまな角度から言われていることだけど、自然をデザインした者は素晴らしい。

何度も何度もやっていると、見え方が変わってくるんだな。ということを焚き火に勉強させてもらっている。

みているドラマにミステリーサークルを書く若者のくだりがあったので、それに釣られて撮った。この場合は故意ではない。

同じような写真ばかりフォルダに溜まっていく。同じだけど少しずつ違う。ひとつひとつの木と同じか。

そうか。見えなかった部分が見えるようになることが私が好きなことのひとつなんだ。

帰宅するとき、三日月が綺麗だったので路肩に車を停めました。

帰るときは日が沈む方に走っています。

いいなと思ったら応援しよう!

松田佳之
山のため、子のため、写真のために使わせていただきます。いつかお会いできれば嬉しいです。

この記事が参加している募集