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『妹の恋人』 大切な人のため、どれだけ歩けるか?

映画館ではなくビデオで観たおぼえのある『妹の恋人』を30年ぶりくらいに観賞して、素敵な作品だと改めて胸打たれた。語り継がれるおとぎ話には人生への教訓が含まれているもので、『妹の恋人』もそうした種類の作品であり、かつ、めでたしめでたし、で終わるから大好きだ。


『妹の恋人』あらすじ

幼いころに両親を亡くしたことをきっかけに精神を病んでしまった妹のジューンと、彼女の面倒を見ることに自分の時間を捧げる兄のベニー。ふたりでの生活を送る兄妹は、それぞれの可能性について希望を持ったりせずに、いまできることを懸命にこなしていくことで、日々を乗り越えようとしている。

ある日、ポーカー仲間との賭けに負けたことから、兄妹はサムという青年を自宅に招き入れ、しばらくのあいだともに暮らすことになる。サムは読み書きができず、奇矯な振る舞いを見せるのだが、映画を愛するサムはチャップリンやバスター・キートンの真似を見事に演じてみせるだけでなく、お気に入りの映画のセリフを一言一句漏らさず暗唱してみせたりもする。

当初の戸惑いはすぐに払拭され、兄妹はサムの魅力を理解する。やがてサムとジューンのあいだに恋心が芽生え、一方で兄のベニーも自分の人生があることをどうにか受け入れていこうとするのだが、人生の半分を兄妹だけで生きてきた事実は、そう簡単にひっくりかえらない。

サムとジューンが思い合っていることを知ったベニーは、その関係を許すことができず、二人の仲を裂こうとする。その判断がより悪い方向へと運命を変えていくとは思わずに。

兄の目に見えたもの。

日本での公開は1993年10月だから、すでに30年以上も前の作品である。

原題は『Benny & Joon』で、兄と妹に焦点をあてている一方、邦題は『妹の恋人』なのでサムに焦点があたっている。つまり、ジョニー・デップに。出世作である『シザーハンズ』が1991年で、言葉を通じてではなく愛を深めていくという経緯から、本作のサムとシザーハンズをひとつながりの線で捉える評も少なくないし、広報としてもジョニー・デップを前面に出すのは当然だろうから、この邦題に不思議はない。

それに実際、鑑賞後にもっとも強く印象に残るのはサムだ。『妹の恋人』という言葉は兄の目線に立っている。そしていったい誰がこの作中で最も変化したか、最も救われたのか、といえばベニーである。

ベニーは自動車整備工場で働きながら、妹の心配ばかりしている。自分が働きに出ているあいだに面倒を見てくれる人を雇うが、ジューンはなかなか他人と馴染もうとしないし、雇われた側もジューンの面倒は見きれないと言い残して辞めていく、そのくりかえしだ。ジューンの主治医からは、妹を施設に入れてはどうかと提案されるのだが、ベニーはその提案を拒む。仕事以外の時間のほとんどを妹のために使うベニーの姿は、自らを罰しているかのようだ。

ジューンと同じく「まともな人間ではない」という扱いを受けてきたサムを通じて、おそらく、ベニーは初めて妹をひとりの人間として見る。自分とは別の存在として見るようになる。

周囲の人々から見れば、ベニーもまた、まともではない。もっと自分の人生を生きろと言われても頑なに妹を守ろうとする。ひょっとするとベニーは、サムの向こうにジューンだけでなく、自分自身をも見たのかもしれない。

ただ誰かのためだけでなく。

ジョニー・デップの美しさと存在感は出色で、これは彼の代表作ではないだろうけれども、こんなふうにイノセントを演じられる俳優は、なかなかいない。無声映画のまねごとを通じて人々を笑顔にする場面は、それ自体がユーモラスで楽しいものであると同時に、映画製作者たちによる映画への全幅の信頼を感じさせるものでもある。

今回、およそ30年ぶりにこの作品を観賞したのだけれど、ベニーが思いを寄せる女性を演じているのがジュリアン・ムーアだったり、ちょい役でウィリアム・H・メイシーが登場していたりと、そういう面での驚きもあった。それ以上に、十代のころにはさっぱりわかっていなかった感覚もつかむことができた。二十代、三十代で観賞していたら、ベニーの苦悩を等身大で受け止めることもできたかもしれないが、僕自身が既に親世代になってしまっていることもあり、子供たちを見る気分でいた。

映画のラストシーンは愛情に満ちた、マジカルな強さを感じさせるもので、現実を引き合いに出せばジューンとサムの未来が明るいとは言いきれないものの、やはりここでも観客は兄の目線に立っているわけで、私たちにできることは見守ることであり、ただ誰かのために生きるのではなく、自分を生きながら他者とのつながりを模索していくしかないのではないか、と思わせられる。映画はこうでなくっちゃ、とも言っておきたい。

500マイル歩く

『妹の恋人』をひさしぶりに見直すことになったきっかけについても書いておきたい。

イギリスの俳優デイヴィッド・テナントが昨年に続き今年もBAFTA(英国アカデミー賞)のMCを務めた。そのオープニングで披露したのがスコットランドのバンド、ザ・プロクレイマーズによる楽曲「I’m Gonna Be(500Miles)」だった。その様子はこちら。

シンプルに名曲。で、これ何の曲だったっけなと調べたら『妹の恋人』のオープニングとエンディングで流れていたのだった。

YouTubeに同曲と映画映像を組み合わせたものもあったので、えーと、公式ではないだろうけれど、よかったら。

そのような次第で、この曲を聴かなければ『妹の恋人』を再び観る機会にも恵まれなかったかもしれないし、映画の魅力について考えることもなかっただろう。どこにどんなきっかけが待っているかわからないものである。

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