アンドリュー・カーネギーの『富の福音』(監訳者:田中孝顕)を読了したので記録を残します。 表紙を捲ると、「富を持って死ぬ者は、真に不名誉である」と記載があります。こちらが一番のメッセージです。
『富の福音(The Gospel of Wealth)』 Amazonリンクhttps://www.amazon.co.jp/%E5%AF%8C%E3%81%AE%E7%A6%8F%E9%9F%B3-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%AE%E3%83%BC/dp/4877712747
本書の概要 富の福音 2011年2月25日第一刷発行 著者 カーネギー,アンドリュー 1935年、スコットランド生まれ。1848年、家族とともにアメリカのピッツバーグに移住。12歳から紡績工場を皮切りに懸命に働く。1862年、27歳でキーストン・ブリッジ会社を設立。1881年、46歳でアメリカ最大の鉄鋼会社を設立、「鉄鋼王」となる。1891年、ニューヨーク市にカーネギーホールを寄贈したのをはじめ、教育振興財団、国際平和基金、カーネギー工業大学などを設立し社会に貢献した。1919年、満84歳で死去。 監訳者 田中孝顕1945年1月生まれ。国学院大学法学部卒。総理府(現・内閣府)事務官(公正取引委員会事務局(現・総務省/公正取引委員会))。東急不動産(株)企画部、総務部を経て、1973年4月、SSI人材活性研究所を設立。1979年2月、(株)SSI人材活性研究所(商号はその後、(株)エス・エス・アイに変更)を創業し、代表取締役社長・最高経営責任者に就任。2007年株式会社エス・エス・アイ退任、現在、同社最高執行顧問となる。『SSPSシステム』を開発、『ナポレオン・ヒル・プログラム』その他、各種プログラムを翻訳・開発した。
本編に入る前に、監訳者まえがきがあります。 今回読んだ『富の福音』は1901年(明治34年)に出版されたものを翻訳したものです。1世紀以上前の本ということに驚きです。 富と人生について考えるきっかけになれば幸いと結ばれています。 またこちらの本では監訳者の補足説明が所々に入っています。「※」で表します。 本書は原書の書籍としての「富の福音」ではなく、純粋に文章としての「富の福音」を訳したもので、原書タイトルは「The Gospel of wealth and other timely essays」らしいですが、「other timely essays」なしの「The Gospel of wealth」のみということです。
目次 序章 実業家への道 9 第1章 富の福音 35 第2章 富に対する誤解 87 第3章 トラストに関する幻想 117 第4章 労働問題と経営者の見解 145 第5章 アメリカの興隆と帝国主義 167 あとがき 216 アンドリュー・カーネギー年表 217
序章 実業家への道 序章の内容はカーネギーが62歳になる年に発表されたもの。カーネギーの経歴なので興味深く読めます。キーワードを抜粋します。
「何をしたいのか?」ではなく「自分のできる仕事は何か?」が出発点。
転職を決めた理由は、「不満がないことが恐ろしかった」
最初の財テクは働いて貯蓄をしそれを頭金にして自分の家を月賦で買い、支払いが終わるとその家を担保に入れて堅実な株式投資を始めた
寝台列車の会社に投資した時もまず時代の流れを読み取る積極果断な性格と会社創立前から顧客を確保するという慎重さの組み合わせでその投資を成功させている
技術開発にも熱心で販売革新にも力を注いだ時代の先覚者だった
スコットランドからアメリカに移住し、貧しい移民の子が歩んだ実業家の道。 なぜ実業家となったか?は生活費を稼ぐため。「何をしたいのか?」ではなく「自分のできる仕事は何か?」が出発点。 子供の将来のために、自分の将来を犠牲にして新大陸に移住することを決意した父や母の深い愛情を知ったとき、心から誇りに思った。 ※カーネギーは物心がついたころの一家は貧乏のどん底にいた。正規の学校教育を10歳までしか受けていない。これは松下幸之助も同じ。 その中で周囲の環境や自分の運命に甘えることを拒絶した強い精神力を見ることができる。 ピッツバーグの対岸の町、アレゲニーに着き、父と同じ紡績工場に、週給1ドル20セントの見習いとして就職した。12歳で初めての給料を手にしたとき、どれだけ自分を誇らしく思ったかは言い表すことはできない。家族や社会のために役に立っているという自覚ほど少年を大人にするものはない。自分の権利と義務の遂行を、自分の責任と判断で行うことを許された、小さな大人だと考えることは、私にとって、毎日の労苦を支えるために大変楽しいことだった。13歳に満たないが親戚の友人の紡績工場に転職し地下室のボイラーの火夫になった。 貧しいことは不幸ではない 心のやすらぐ貧しい家の暮らしは、やすらぎを失った富豪の邸宅の暮らしよりも、はるかに価値のあるものであり、偽りのない人生を生きることができるし、一生のうちに多大の事業をなすことができる。 誰もが平等な社会を建設して、貧困を社会からなくそうという運動が今世界中に広がっている。もし、平等の美名のもとに貧困を追放しようということだけなら、それは正直や勤勉、克己心など、人間社会の美徳を生み出す基盤を、根底から破壊することになりかねない。いうまでもなく勤勉や克己心は、人類の文明を発展させる原動力なのである。 三度目の転職先として電報配達として採用された。街の大通りの商店を端から端まで暗唱できるようになった。出世を望む私は、通信技手になろうと決心した。モールス信号を直接耳で聴き分けられるようになった。正式に電信技手に採用され、16歳の少年としては破格の月収25ドル、年収300ドルの社員になった。 ※カーネギーは18歳になるまでに4回の転職をして最初に考えたのは賃金のことではなく「勉強の時間を取る」ことだった。日曜日の時間をつぶして簿記の勉強を始めている。繊維工業がすでに時代遅れの産業になっていると知った。電信会社から鉄道会社へ転職したときに、引き留められたが「不満がないことが恐ろしかった」 という。初めて副収入を得る 週に1ドルを自分だけの小遣いとして使えるようになり、本業に影響のないところで自由に使える収入、これを「ビジネス」という。 初めての株式投資 ペンシルベニア鉄道に就職してスコットから「500ドルの資金を調達できるか?」と尋ねられた。通運会社の株の買い手を紹介された。両親に相談したところ母が貴重な家族の財産である家を抵当に入れて親戚からお金を借りた。会社の株式は私のものになり5ドルの小切手を配当として受け取った。働く、という以外に収入を得た経験となり、資本家になった。 寝台列車の模型を見せられ、仲介しペンシルベニア鉄道で試験的に使用する契約を結びたいと約束した。また寝台車のための会社を作る話を受け株主になる提案を受け入れた。銀行に217ドルを融資してもらうように頼み、快く引き受けてくれ、「よろしいですとも。」と言ってくれたことを忘れることができない。自分の責任で事業を運営する経営者の一人として、銀行から認められたのだった。 ピッツバーグにキーストン鉄道会社を設立し、30歳になったときに13年間勤務したペンシルベニア鉄道を辞職した。会社を辞職した翌日から、自分自身のために働く自由な事業家になった。 自分自身の主人になる サラリーマンであることに満足したことはなかった。社長に昇進したかもしれないが経営を思うままにできないことは確実だった。取締役も株主総会の決議もある。自分が正しいと信ずる道を事業経営の中に活かしていきたかったためだった。ピッツバーグには少年時代の友人たちが多くいて相談しながらアメリカ全体の需要にこたえるため、事業を拡大していくことになった。 ※カーネギーの最初の財テクは働いて貯蓄をしそれを頭金にして自分の家を月賦で買い、支払いが終わるとその家を担保に入れて堅実な株式投資を始めた。寝台列車の会社に投資した時もまず時代の流れを読み取る積極果断な性格と会社創立前から顧客を確保するという慎重さの組み合わせでその投資を成功させている。また技術開発にも熱心で販売革新にも力を注いだ時代の先覚者だった。
第1章 富の福音 Ⅰ富はこうして生かせ 内容は大きく2点。
簡単に言えば正しい競争が必要であり、富を持ったものはその使い道を社会のために考える義務がある。 思うところがあるとすれば、カーネギーの時代に考えられていなかっただろう、地球環境や持続可能性はあとの世代に持ち越しなのだろうか。租税を公共の目的に使用ことと同じと考えた場合、現代でのあり方はどうすべきなのか。公共は小さな政府であるべきなのか。
ここ100年の起きた生活の変化は革命的、豊かで楽しいものになった。 社会に貧富の差があるということは、社会が進歩する必要条件だといってもよい。 ※はっきりと不平等は歓迎すべきことだ、と断言している。その理由として人間には著しい能力の差がある(潜在脳力は同じ程度にあるにせよ)ことと、出世あるいは富を得たいという人間の欲望が社会を動かす原動力になっていることをあげている。 進歩の代償として競争の害という代価を支払っている。社会の進歩と改善という、人々が享有している果実もまた、競争という代価を支払うことによって得られたものだ。競争があるということは、社会のあらゆる面で適者が生存し、不適者が姿を消していく。不平等を不愉快に感じるのならば、その不愉快さを向上のエネルギーに転ずることで自分を高めていくことが本当の生き方なのだ。 ※19世紀の後半は資本主義(1867年)と社会主義(1848年)が対立を鮮明にし始めた時代。アメリカは普通選挙権が成立し効率よりも平等を重視する方向に向かっていた。パリでは世界最初の社会主義政権パリコミューンが成立した。 才能あるものへの多額の報酬。多くの人を雇い、多額の資本を使う大企業の経営は、進むか、引くか、常に二つに一つの道しかない。大企業の経営では、一か所にとどまっているということは不可能なのである。経営者を評価するのは努力ではなく結果である。 人間の文化は、原子共産主義を葬り、自らの収穫の平等な分配を拒絶し生産力が向上し、社会組織が生まれた。現在の文明がすべて「私有財産制度」に基礎をおいている。富を生み出す脳力と忍耐を持ったものが富を蓄積したことで人類に利益を与えた。個人主義を廃止するためには人類の天性そのものを変えていかなければならない。 個人主義、私有財産、富の貯蓄、自由競争は、様々な試行錯誤の結果到達した高い価値を持つ法則であり、社会に最も多くの果実を生み出すことができる確実な法則なのである。 子供に教育を受けさせるための収入をもたらせる程度の貯蓄は、個人の尊厳を確立するために必要な条件の一つ。必要とする以上の富の蓄積が行われることもある。どのように使うことが望ましいか。富める者がどのように使うのかということに注意を向けることは、現在の社会体制を是認するためにも、極めて重要なことなのである。巨額の富を処分する方法は、①遺族や子孫に残す②社会公共のために遺贈する③生存中に経験を生かして公共のために運用することである。 ①は愚行としか言えない。君主政体をとる国では長男に譲るが親の虚栄心を満足させるための行為である。②は結果を出していない。 富を運用することは、富める者の権利であるとともに責任でもある。なぜなら、蓄積された富を真に社会のために役立つように使うことの困難さは、富を蓄積する困難さと比べても少しも変わりはないのである。 相続税は喜ばしい傾向である。利己的な生活に終始するのなら仮に富豪と呼ばれていたとしてもそれは価値のない生活だったと言わなければならない。累進税率を持った相続税法が一般化すれば社会の進歩と発展にとって好ましい。 自発的に富を社会のために提供することは調和の時代を生み出す。共産主義者の暴挙ではなく、理性と知性によるものである。これは租税を公共の目的に使用することと本質的に変わりない。 イエス・キリストは「汝ら、兄弟たちのために働け」と教えた。富豪と呼ばれる人たちの義務だと考えていること。贅沢を避け質素に暮らす。生活以上の資産は運用を信託された財産である。生活については社会の世論に任せておけば誤ることはない。 慈善に使われているお金のほとんどは誤っている。事前を行い、人に何かを与える人がまず考えなければならないのは、助けるべき人は自分自身で努力しているいる人に限るということである。 真に価値のある人が第三者に援助を求めるのは、不時の災害にあった時か、突然の変化に対応できなかった場合だけである。最も役立つ分野は奨学金制度のように人々が高いところに登る足場を作ることである。また無料で利用できる公共施設を提供するのは富豪の責任である。富める者が努力を続ければ貧富の問題は時間とともに解決していくことになる。 「富を持って死ぬ者は、真に不名誉である」 ※第二次世界大戦後、最近まで日本の発展を引っ張ってきたのは、創業者タイプの経営者だった。松下幸之助は、事業を一つに絞り、技術開発と販売力強化に努め、労働組合を育てて従業員要望を先取りしていった経営などはカーネギーとよく似た生き方である。 20世紀終わりに近づいたころ地価の上昇を原因とする富豪が現れ、「富を生み出す才能もなく、そのための忍耐もしなかったものに富が蓄積した」
Ⅱ富を社会に還元する最良の方法 ここでの内容は大きく2点。
事前を行うということは責任を伴う行為である。援助を受けたものを結果的に堕落させないように注意しなければならないという義務を考慮しなければならない。浮浪者は真面目に働く市民に改造しようとしても成功することはない。 自己の将来に希望を持ち、勤労と勉学に励み、貧しくても意欲があり、強く向上を望み、努力を続ける人たちが、助けられる価値のある人たちなのである。熱心に自分自身を助けるために努力している人こそ、助ける価値があり、その結果が社会の利益ともなるのである。 ※行き過ぎた慈善や社会保障が国の活力を奪うことは明らかである。ただし労働者災害保険を設けて事故にあった労働者の心配をなくした。 社会の発展の基本は、人々が自立して、各個人の責任と権利で、あるときは協力して、あるときは競争して、自分の生活の向上を目指して働くことである。 プルタルコスの「道徳談」に次のような一説がある。「一人の乞食が、通行人の袖を引いて、喜捨を乞うた。それに対して通行人は答えた。『一番最初にお前に小銭を与えた人がいたため、それがお前を怠惰にして、現在のように卑しく、恥ずべき生活を遅らせるようになった。今、私がいくらかの小銭をお前に与えれば、お前はこれより後、今よりもっとみじめな乞食になるだろう』 ※好まなかった寄付の一つに宗教団体への寄付がある。教会へのオルガンの寄付も二分の一だった。 生存中に巨額の寄付を行い、また大学建設のために多くの時間を割き、建設と運営の責任も負担したことは、大いに称揚する価値のあることである。 公共施設への寄付は、富豪の富の運用方法としては、最も懸命な方法である、その効果は永久に消えることのないもの。ドイツのドレスデン市は世界でもっと美しい都市の一つとなっている。都市の美観都市美は、富豪が関心を持って取り組むべき重要なことなのである。 人はパンのみにて生きるにあらず 都市の装飾などを手掛けるのは行き過ぎではないか。確かにこのようなことは、理想に重きをおいているので、物質的な利益を直接計れるものではない。しかし優れた美術品は、多数の市民の中の聡明な少数の人たちが、鑑賞することができればよい。 もともと、美とは何か、美術とは何か、芸術とは何かを理解できない人たちに美術品について語る必要も意味もないだろう。しかし公共により優れた美術品を鑑賞する機会を与えることは極めて意味のある事なのである。 自然が私たちに送ってくれた美しさを多くの市民に分かち与えることも、大きな意義のあることである。美的感覚を養うことはパンを与えることよりもはるかに優れたことなのである。なぜなら健全な身体を持ちながらその人生を楽しむことのできない人を助けるのは国家の義務であり個人レベルの問題ではない。 富の運用はその結果を考えるときには常に世間の毀誉褒貶を超え、人生のほかの最も重要な義務と同じように大切な義務であるということを忘れないことである。 富める者と天国の門 「富める者が天国の門をくぐることより、駱駝が針の穴をとおり方が優しい」というキリストの教えと、私がしばしば語る「富を持ったまま死ぬことは恥である」ということは、その説かんとするところはほとんど同じであり、わずかな差があるだけである。
第2章~第3章は簡単にまとめます。 第2章 富に対する誤解 ここでは第1章の内容を補足するために、様々な考えに反論している。 個人事業の強みでは「株式会社組織の最大の弱点は、発明や冒険ができないということである」とあり、ここは時代が変わっていまはどうなのか考えたいところである。 第3章 トラストに関する幻想 会社創立からモルガンに売却するまで合併や増資はしなかった。買収と内部留保に頼り不況期を狙って買収対象を探していた。 またデパートの歴史にも触れ、工場内で労働組合に敷地を提供し組合の責任で運営する大規模な流通施設を持っていた。 トラストは同業種の向上を連合して一個の会社を組織するが個々の向上の規模は変わらず生産性は上がらず価格も上昇することもある。(トラスト、カルテル、コンツェルンの順に結合の強さが上がる)
第4章 労働問題と経営者の見解 資本家と労働者の関係の変化、その時代の価値の変化をみることができます。 組合は労働者の教育をするために適切な組織ということはポイントです。
過去300年間、労働者はまず権勢の抑圧に対して戦い、次に資本の抑圧に対して戦い続けてきた。彼らの努力と自省の変化によって、労働者は今日の地位を得るようになったのである。 今日の労働者は、政治的にも自由であるだけではなく、経済上も雇い主と対等の権利者として認められているのである。 資本と労働の関係は絶えず利害が衝突し多くの改革を実施しなくては産業界の平和は望めない。論究する範囲は、最近の大資本家による事業に関して的を絞る。 生産組合⇒労資紛争仲裁委員会⇒職工組合 職工組合は、職工の利益になるのはもちろんのことであるが、資本家にとっても極めて有益な組織なのである。その理由の第一は、組合は職工を教育するのに極めて適切な組織だからである。ことに資本と労働の関係のように、的確にその観念を教えることができるのは職工組合をおいて他に適当な機関を見ることはできないのである。これは資本家にとっても有益なことである。職工のリーダーが聡明であれば争うことは少なくなるのである。会社の現状を良く知り市場の状況を理解できるものが職工組合の指導者であれば事業不振の場合は賃金引き下げの相談にも応じやすいのである。 職工の要望「給料月2回払い」「必要な石炭を会社が仕入れる値段で販売」 お互いが親密であれば大きな利益を会社にもたらせる。 賃金の決定方法 鉄鋼業界では客観的に見れば会社が利益を減じつつあるときは職工は増給を求め、いずれの側に立っても紛争が起きて当然という状況だった。資本と労働は仇敵ではない。車の両輪のようなものでその利害は等しいのである。
第5章 アメリカの興隆と帝国主義 当時の世界でのアメリカのおかれた状況について述べられている。
Ⅰ国家間の同盟は頼りにならない 極東の領土は危険をはらんでいる。日本は手に入れた領土すべてを取り上げ得られた(三国干渉) ヨーロッパはいわば万華鏡である。同盟国は変わり、決裂し、再び同盟して、様々な事件によって別の形を形成する。 アメリカにとって望ましいのは「健全な友好」である。 理想は世界連邦の実現 武装ができてこそ初めて「君主不在の意思のみの力」で極東領土を手に入れ、固守する立場に立つことができる。 実際的な疑問はフィリピンとキューバをどうするのか 「自由と独立」という魔法の言葉 Ⅱ「神」の名による侵略は愚行 アメリカが今までの制作から逸脱する可能性①貿易の拡大②力の増大③帝国主義 故郷ほど素晴らしいものはない インドにいるイギリスの兵士の46%は常に病気だという。 「どんな善良な人も、相手の承諾なしに、その人を支配することは許されない。これこそがアメリカの共和主義を導く原則であり、最後のよりどころである。」エイブラハム・リンカーンは今の時代にふさわしい言葉を残している。「我々のよりどころは、神が与え給うた自由への憧れの中にある。我々の敵に対する備えは、全世界のす べての人間が受け継いでいる自由を貴ぶ精神の中にある。他人の自由を否定するものは、その自由をわがものとする資格がない』アメリカニズムの原則が示された。 ※豊かな家庭に育った青年は不幸である、というカーネギーの警告は今の日本人のすべてが心に留めなければならないものである。次の世代のために何をしなければならないか、何をしてはならないかを、問われている。
あとがき
脳力のある者が富を気付くことは社会の進歩に役立つこと、そして、巨富を得たものはそれを社会に有効に還元すべきであることを説いている。 最大の財産は自らの体験の中からつかんだ「成功のノウハウ」だった。 ナポレオン・ヒルにすべての人が活用できる成功哲学の体系化を依頼した。 ナポレオン・ヒル・プログラムを1928年に完成させ富豪となった。カーネギーの思想はアメリカのバックボーンを形成しているといってよい。
以上自身の備忘録としてまとめました。