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芸術鑑賞概念から考えてみたこと+リンク集
とりとめのないものになってしまいました。
アートとは何か
芸術:リベラルアーツ、美術:Fine Art
アートの起源
アートは、ルネサンス期にseptem artes liberales (セプテム・アルテース・リーベラーレース 自由七科)=学問:フィロソフィーに取り込まれた絵画、彫刻、建築のことでした。
美術というカテゴリーの中に絵画、彫刻、建築を同居させる上記の制度は、実質的には16世紀のフィレンツェに世界初の美術アカデミー「アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニョ(直訳すると、素描または線描の技術のアカデミーという意味)」を設立した画家ジョルジョ・ヴァザーリの発明である。彼はフィレンツェを含むイタリアのトスカーナ地方の芸術の優位性を主張するためにアーティストの伝記集『画家、彫刻家、建築家列伝』を書き、その中で絵画、彫刻、建築の三技芸を「素描(線描、ディゼーニョ)」の芸術として統合した。その理屈はこうだ。絵画も彫刻も建築も、構想や設計の段階で素描を描く。その素描がないと作品が作れないのだから、絵画も彫刻も建築も素描から生まれていることになる。だからそれらの三技芸は本質的に同じ素描の技術である……と。ちなみに素描や線描を意味するイタリア語のディゼーニョ(disegno)はフランス語でデッサン(dessin)、英語ではデザイン(design)となる(現代英語でデザインといえば産業分野のデザインや「設計」の意味合いが強いが、19世紀ごろまでは「素描」の意味で用いられていた)。
このアカデミーが重視したのが、美術は自由学芸(リベラルアーツ)であるというルネサンス以降のイデオロギーである。自由学芸とは文法学、論理学、修辞学の三学と幾何学、算術、天文学、音楽の四科からなる教養のこと。中世まで、ヨーロッパでは絵画や彫刻などの分野は学問ではなく「手技」だとみなされていたが、幾何学の応用で成り立っている線遠近法を使い、解剖学の知識を探究し、文学の素養をもって物語を造形するルネサンス以降の美術が学問に数えられないのはけしからんということで、同業者の地位向上と福祉の追求、そして美術の学問体系化がアカデミーを中心に進行していったのである。これと同様の制度をイタリア半島の諸国(イタリアが統一されたのは19世紀)やフランス、ドイツ、イギリスなどのヨーロッパ諸国が導入し、発展させてきたのが美術の枠組であって、その言葉の定義には「美術は自由学芸であり、手技だけではなく理論と歴史の体系を持つ」という前提がともなう。
ヘーゲルの芸術論
ヘーゲルは、芸術を3つのカテゴリーに分けて考察している。①古代ギリシア以前の「象徴的芸術」(例えばインド、エジプト、ヘブライの芸術など)、②古代ギリシアの「古典的芸術」、③キリスト教的な近代の「ロマン的芸術」。なお、ヘーゲルの用いる「古典的」「ロマン的」というのは、一般に言われている「古典主義」「ロマン主義」とは重ならない点で注意が必要だ。
①の「象徴的芸術」には建築が、②の「古典的芸術」には彫刻が分類されているのに対して、③の「ロマン的芸術」に絵画や詩とともに音楽が位置づけられている。
ヘーゲルは、「精神的内容=内的な意味」と「感性的形態=外的な形態」の統一が成し遂げられた②の古代ギリシアの古典的芸術こそ、「美の頂点」であるとしている。ヘーゲルは、「ギリシアでは芸術が絶対者(=神)に対する最高の表現であり、ギリシアの宗教は芸術それ自体の宗教であった(ホトー編纂『美学講義』1835-38)」と述べ、あくまで芸術の本質は絶対者(=神)の表現であると捉えた。
その一方で、音楽が属するロマン的芸術においては、「精神的内容=内的な意味」と「感性的形態=外的な形態」は一致しないのだが、それはキリスト的な絶対者は感性的には捉えられないことに起因し、その存在を暗示するための両者の不一致であるとヘーゲルは考えた。
https://www.arttowermito.or.jp/topics/article_40359.html
アートと日本について
日本の鑑賞について
日本の鑑賞は通常クリティシズムと同じではないとされています。
鑑賞という用語
鑑賞は英語で言うと「Art appreciation」です。「appreciation」には、鑑賞の他に評価・批評という意味もあります。評価・批評というのは、主体的な活動。自分の主観的な見方が問われ、そこに価値づけの行為があります。
一方、日本語の「鑑賞」ですが、漢字の意味をそれぞれ見ていくと、「鑑」は「かがみ」で、模範とすべきもの、規範を意味します。そして「賞」は「めでる」「楽しみ味わう」という意味です。つまり「鑑賞」は、模範とすべきもの、模範とされるものを見て、楽しみ味わうことができるという意味合いが強く、よいとされているものを分かる、味わうというニュアンスになります。
神野 真吾 (じんの しんご|千葉大学教育学部 准教授)https://ncar.artmuseums.go.jp/sdk2021/seminar/02.html
アートを鑑賞するには前提がある
芸術鑑賞は、基本的な歴史的な概念(鑑賞概念)の理解と区分概念を理解した上で鑑賞経験を積んで初めてわかるものであって何となく来て高級文化の記号を消費するだけになってるのは寂しい
— ゆう® (@on__unn) January 16, 2025
芸術作品の鑑賞に知識や概念が必要なのかという哲学的議論。知識や概要が必要だとする立場は頭の空っぽな馬鹿や赤ん坊などは感動を得られないとする。芸術の感動を上述のように限られた人にしか得られないとするのはおかしいと批判するのが知識や概要は不要とする立場。芸術鑑賞の特権化の問題でもある
— TAKAHIRO@発達障害が色々するCh (@asdadhd199204) June 27, 2024
「美術鑑賞には教養が必要だ」と言ったら炎上しました。「美術」は「自由学芸(リベラルアーツ)」つまり西洋における教養科目に数えられる一制度の訳語なので、僕はそんなことは当たり前
https://note.com/pinetree1981/n/n00aa2aa8949c
筆者は、マンガですら読み方知らない人は読めないので、絵画も同じだと思います。
しかし、一般には鑑賞に前提がないほうがよいと思われています。というわけで鑑賞教育に学問が必要とは理解がおよばないのが実態です。
フランスのアート鑑賞テキスト
ちなみに以下の小論をネットで拾いました。
美術鑑賞と美術鑑賞教育は違う
明治政府による学校教育における鑑賞
明治政府は、近代国家の国民を養成するために、それまでの日本文化を廃し、ハイカルチャーである西洋美術、西洋音楽、近代文学について学校教育で鑑賞を教育していきました。
美術鑑賞
近代日本における美術鑑賞教育方法論の発生と展開(戦前編)
(その1)
近代日本における美術鑑賞教育方法論の発生と展開(戦前編)
(その2)
クラシック音楽鑑賞
<鑑賞>は明治中期に美術の分野で批評の意味合いで使われ始め、文学や音楽にも波及していった。大正から昭和にかけては批評は客観で<鑑賞>は主観という使い分けがなされていくが、批評がプロなら鑑賞はアマチュアといような、この区分も曖昧で、戦後になると<鑑賞>独自の概念が形成されていく。このような<鑑賞>の変遷の意味するところは何なのか。当初の鑑賞は翻訳語のひとつで専門用語であったのが、批評と使い分けられることで非専門化し、次第に主観性が強調されていく。この過程は専門家から、より多くの人々を鑑賞の主体として想定する過程であるであるとも捉えることが出来る。しかも、専門用語であった明治から大正にかけては権威を生み出す行為であった鑑賞が、徐々に権威に従う行為へと変化していった。このことを極言すれば、近代日本は、権威に従う鑑賞者を求めてきた
第1章 音楽をきくのは専門家─明治の<鑑賞>は批評?
明治中頃の日本では、西洋音楽にまつわるものが文明のシンボルとして機能していた。一方、伝統的に音楽の地位は低かった。このとき、西洋音楽の受け入れを主導したのはエリートたちだったが、彼ら自身も馴染みのない「芸術」をどのように受け止めるべきかで悩んだ。そのひとつは「音楽は真(科学)である」という捉え方である。音楽は西洋知に貢献するとして扱うというもので、バウムガルテンの美学思想の影響によるもの。この過程で、音楽の序列が出来ていくことになる。西洋音楽は「文明的音楽」と呼ばれ、進歩した音楽と位置づけられた。この中で日本国内の身分差と音楽も結び付けられていく。三味線を使用する民間の俗楽は淫靡卑猥で品性が下劣とも、見なされこれに替えて,日清戦争後の大東亜を視野に入れた日本は大国民として恥ずかしくない国民となるためには西洋音楽を広めなければならない
寺田貴雄は日本における音楽教育の軌跡を概観している(寺田2001-2002)。それによれば、明治40年代には音楽鑑賞(教育)に対する関心が生じ、一般愛好家向けの洋楽の解説書や音楽鑑賞教育に関する論考が発表されはじめた。明治43年には、日本の音楽教育史上、初めてタイトルに「鑑賞」が明記された論考―牛山充「學校に於ける鑑賞力と批判眼との養成」―が発表され、また大正4(1915)年には、小川友吉(青柳善吾)が「鑑賞的教授に就て」(大正4<1915>年2月)という論考を発表し、唱歌教授のみに偏っていた当時の音楽教育の状況を批判した。こうして大正4(1915)年頃から、先進的な教師たちは、唱歌科における鑑賞指導を試みはじめた。寺田は、大正5(1916)年の第七回全国小学校唱歌教授担任中等学校音楽科担任教員協議会と大正10(1921)年の全国唱歌担任教員協議会を比較することで、 大正年間に生じた教育現場の変化を報告している(この二つの協議会の比較については、日本音楽教育学会2004「大正」: 561-562も参照)。それによれば、大正5(1916)年にはすでに、唱歌科における歌唱の技術的指導偏重を批判し、音楽聴取によって人間的な成長が可能になるとする主張が登場
文学鑑賞
文学の研究2 「文学」と「言語」・文学(芸術)の言語https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/17/17-ch07.pdf
三浦つとむの芸術論と鑑賞
三浦つとむの芸術論と鑑賞は独特なものでした。言語過程説による芸術本質論として提示されています。
芸術の創作に際して、作者は観念的な自己分裂を行って「もう一人の自分」となり、これが表現の主体になる。 この主体は対象に対して特定の位置を占め、登場人物もまた特定の位置でそれぞれ表現の主体になる。そして鑑賞者もまた観念的な自己分裂を行って「もう一人の自分」になり、これが作品の表現主体を追体験する。
芸術の鑑賞とは、自己を観念的に分裂させて、作者の体験を追体験することである。
三浦つとむの芸術は、いわゆるアートだけではない独特の概念でした。
事例 料理も芸術
料理やお菓子も「分身」であるから、精神的な部分をそなえている。料理人の精神的な労働のいかんで、この精神的な部分のありかたも変わってくるし、そこから食べる人たちの楽しみも変わってくることになる。おなじことは食器についてもいえるわけで、皿や茶わんがゆがんでいたり、ナイフやフォークがよごれた色をしていたのでは、食事の楽しみが傷つけられるから、食器の美しさということにも心を配るようになった。銀でナイフやフォークをつくって、その柄の部分に真珠などの宝石をはめこむようなことも行なわれた。酒をつぐ盃についても、同じような豪華なものがつくられた。そしてまた、料理と食器とをどう調和させるかということも考えるようになった。永井荷風はこんなことを書いている。
「思ふに西洋支那の食卓共に華麗荘厳の趣あれども四時を通じて其の模様大抵同じきが如く、その料理と之を盛る食器との調和対照に意を用ゆる事我国の如く甚しからざるに似たり。我が国の膳部に於けるや食器の質とその色彩紋様の如何によりて其の趣全く変化す。夏には夏冬には冬らしき盃盤を要す。誰か鮪の刺身を赤き九谷の皿に盛り新漬の香物を蒔絵の椀に盛るものあらんや。日本料理は器物の選択をもっとも緊要となす。此に於て其の法全く特殊の芸術たり。盃盤の選択は酒楼にあっては直に主人が風懐の如何を窺わしめ一家にあっては主婦が心掛の如何を推知せしむ。」(『矢はずぐさ』)
哲学者とか美学者とかいわれている人たちは、食べたり飲んだりすることなどは卑しいことで、芸術は崇高な魂のよろこびを与えるものだと思いこんでいるためか、料理が芸術だなどと論じている者は見あたらない。荷風は哲学者でなく文学者であるから、芸術家としての経験が料理について考える時にも生かされて、日本料理は特殊な芸術だという結論が出たのであろう。
この「分身」の精神的な部分を調和させるという問題は、衣服のデザインにアクセサリーのデザインを調和させるとか、部屋のデザインに道具のデザインを調和させるとかいうかたちにもなってくる。洋装のときのハンドバッグと、和装のときのハンドバッグとは材料やデザインがちがってくるし、おなじ洋装でも色彩が変わればネクタイや靴の色も変える必要がある。事務所の証明にふさわしい蛍光灯の器具を、そのまま和室の茶の間に持ちこんだのでは調和がとれないから、丸形の蛍光灯にシェードをつけた和室向きのものがいろいろ考案され売り出されている。事務所のカーテンと住宅のカーテンとはちがってくるし、教室のイスと喫茶店のイスとはちがってくるというわけである。
三浦つとむ『芸術とはどういうものか』を今読む。
https://blog.goo.ne.jp/hisao-mizutani/e/5f62751921af4e663408b5b3cbcbdc9c
フィクション発展史観
筆者のマザーカルチャーとでもいうべきモノは、ハイカルチャーではないので、以前ローカルチャーを含めたフィクションの発展史観を試作していました。以下この歴史観が前提の一部となります。
認識スタイルの個人差
SNSの流行により、認知スタイルや感覚など個人差が極めて大きいことが、判明しています。この前提により、訓練による均一化や抽象化による一般論は極めて困難かと思います。
表現物とその「カンショウ」
筆者としては、ハイカルチャーであるアートの鑑賞については専門家におまかせし、このnoteではローカルチャーを視野に入れた人間の表現物とその「カンショウ」について考えてみます。
「カンショウ」の肉体基盤
アートと脳
小説と脳
sympathyとempathy
共感を科学するその進化・神経基盤 - 国立情報学研究所https://www.nii.ac.jp/event/upload/docs_karuizawa_h29_2nd.pdf
他人の身体とシンクロするのが共感 empathy
登場人物に対する情動的共感が運動前野の活動量に及ぼす影響
フィクション映画の鑑賞過程におけるミラーリングとメンタライジングのインタラクション
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/79/0/79_2PM-073/_pdf
「カンショウ」の歴史
起源
人類最古の宗教は、いまの狩猟採集民の宗教に近いものだったのだろう。人間の営みに関わる神が概念として存在していなかったので、神から与えられる道徳規範は持ちようがなかった。こうした社会では、数多の世代を重ねながら道徳を形成していった──こんな風にふるまうのは、それが正しいふるまいだからで、これがここでのやりかただ、というわけだ。歌や踊りなどの身体活動のほか、ときには精神に作用する薬物を通じて得られるトランス状態がそういった宗教の基盤であることも多い。規模はせいぜい数百人と小さく、カリスマ的な指導者やシャーマンが中心的役割を果たしていた。
トランス状態(瞑想中に体験する精神状態も含む)のときに覚える至高の存在とひとつになった感覚は、強烈で感動的だ。感情を揺さぶられるこの感覚
シャーマニズムとトランス
洞窟壁画とシャーマニズム
ルイス・ウィリアムズ教授は、アフリカのサン族が残したロックアートを研 究するうち、そこに現実の場面とは矛盾する表現を見出しました。たとえば、 写実的な表現で描かれたエランド(アフリカ産の大型の羚羊)を例に挙げると、 見事な動物表現であると同時に、その後脚が不自然にクロスしていることに気 づきます。エランドが脚をクロスさせるのは、まさに死に瀕した状態にあることを示すといいます。背後でこのエランドの尻尾をつかんでいる人物像に注目 すると、この男の脚も同じようにクロスしています。従来の解釈では、このような動物と人間が描かれた場面は、一様に現実の世界の「狩猟場面」を描いた ものとされてきました。しかし、細部を子細に観察すると、「狩猟」とは言いき れない表現が多く見出されたのです。そしてルイス・ウィリアムズ教授は、サン族がまだ南アフリカの地から追われる前に、南アに赴任していた宣教師が書き残したサン族の神話や信仰についての膨大な記録を古文書館で丹念にたどり、 そこから壁画に描かれている場面が、サン族の信仰を物語る豊かな精神世界で あることを実証
ロジャー・マクドナルドによる説明
マクドナルドさんが長年関心を寄せているのが、アートにおける変性意識である。変性意識というと怪しげではあるが、アート作品を深く鑑賞することで、瞑想状態に近い感覚となり、想像力が養われるということだ。
「変性意識状態といっても長いスペクトラムがあって、いわゆるトランス状態や音楽に没入する体験、ボーッとする瞬間など非常に複雑で多様なものだと思う。ビジネスでは“フロー”といわれたり、スポーツで“ゾーン”といわれたりするものと同じです。
自らの心と体をすべて対象に預けてしまうように“見る”、そしてマインドを宙吊り(suspend)状態にして対象が心身に入ってくるのを“待つ”。この意識状態において注目すべきは、平時の凝り固まった思考から解放され、自由に創造的に思考できること。アーティストは古くから深く観察するスキルを持っています」
シャーマニズムのトランス
太鼓の音でシャーマンとなります。
今ではシャーマンになりやすい音楽が発見されているそうです。
⾳楽と神秘体験
http://waza-sophia.la.coocan.jp/data/20042801.pdf
音楽以外でのトランス
トランスについての論文
サイバーホメオスタシス仮説
https://crl.co.jp/wp-content/uploads/2024/04/rpaper21.pdf
没入
没入体験(フロー体験)について。
物語世界への没⼊体験は読者に何をもたらすか
日本イメージ心理学会 小山内秀和
https://imagepsych.jp/wp-content/themes/simplicity-child/journal/2020_18_7-11.pdf
物語映画への没入体験の認知プロセス 張馨月 · 2023
https://www.l.u-tokyo.ac.jp/~asano/papers/Zhang_Asano_2023_JapanesePsychologicalReview.pdf
感情移入
広く一般に「カンショウ」の際に起きているのは感情移入でしょう。
身近な例で、軽度なケースを挙げると、「映画」や「小説」「音楽」などに没入している意識状態なども、「日常意識」の中に、軽度に別の「意識状態」が入ってきています。私たちは、登場人物に感情移入して、彼らが感じるような状態をさまざまに体感しているのです。音楽に没入している時も、その音楽を自分の身体のように体感して、それを聴いているのです。その意識状態も、日常意識の枠組みは大きく残っているのでわかりにくいいですが、潜在意識の或る要素が流れ込んできているのです。心理学的には、「投影 projection 」の作用によってこれが生じているのです。
ダマシオは「感情移入」という現象のメカニズム解明にも挑みます。感情移入は「脳が特定の情動的身体状態を内的に模倣」することです。自己の知覚ではなく、他者から聞いた話などによって脳が模倣する仕組みです。
このような感情を生み出すための想定メカニズムは、私が「仮想身体ループ」(as-if-body-loop)機構と呼んできたものの一種だ。それは脳による内的な模倣で、それが現在の身体マップを急激に変更する。これは、たとえば前頭前皮質や前運動皮質のような特定の脳領域が、身体感知領域に直接信号を送るとなされる。(158ページ)
サイエンス・ノンフィクションの大作
『感じる脳――情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』
坪井賢一
https://diamond.jp/articles/-/39137?page=3
ホラー映画
感情移入できない
絵画などに入る方法
非常に興味ぶかいのですが、だれでも訓練してできるようになるかは、わかりません。
円相のような宗教的な対象ではなくて、一般的な絵画においても、同じようにその中に没入していろいろなことを感じることは可能です。その際初めのうちは、シンプルな構成の抽象画や、東洋の山水画などがやりやすいでしょう。慣れてくれば、より複雑な構成の絵の中へ入って楽しむことも可能です。
絵を見るときに中心となる感覚は、もちろん視覚です。しかし絵の中に没入することができれば、他の感覚、つまり聴覚や嗅覚、また触覚なども一緒に動員することができます。色彩を見て音楽を感じたり、あるいは音楽を聴いて何かそこに手触りのようなものを感じる現象を共感覚といいます。これは特殊な才能を持っている人のみが可能なのではなく、訓練すれば誰にでもできることです。この共感覚を用いると、絵を見るという行為の厚みがぐんと増します。平たく言えば、絵と遊ぶことができるのです。
http://kogetsuteisaon.blog49.fc2.com/blog-entry-10.html
絵とより深くコミュニケーションするためには、絵の中にすっぽりと入ってしまう必要があります。繰り返しになりますが、そのためにはまず最初の印象や判断を一時保留することと、絵の意味を頭で理解しようとしないことがとても重要です。そして次に必要なのが、ある種の変性意識です。つまり日常とは少し違った意識状態にならなければいけません…
この変性意識状態で絵を見ると、いつもとだいぶ絵が違って見えます。まず、二次元であるはずの絵が、特に遠近法などの技法で描かれていなくても、奥行きのある立体的な世界に見え始めます。二次元のものに深く入り込むと、三次元を飛び越えて、一気に四次元以上の世界に繋がります。そしてそこから考えもしなかったような、さまざまな深い情報に触れることができるのです。
http://kogetsuteisaon.blog49.fc2.com/blog-entry-8.html