Photo by ryuseizan 朱子学と道教 石部統久@mototchen 2024年12月30日 10:05 朱子学がわかりにくいので、手引として。朱子学とは仏教の経典に刺戟されて、道教は多くの経典を創作した。仏教と道教は反目しつつも次第に接近した。そのアイデアのかなりの部分は儒学(朱子学)に流入したhttps://diamond.jp/articles/-/251405?page=2宋時代を迎えてみると、儒教は新たな儒学として徹底した武装をなしとげたとみるに足るものになっていた。それが総説としての朱子学だった。 新たな展開は王安石の新法に始まり、張載の『正蒙』『横渠易説』をへて、周敦頤(しゅうとんい)の『太極図説』に発端した。 あまりにも有名な太極図を含む周敦頤のアイディアは、タオイズムが得意とする一元二気万物の世界生成論を儒学の理屈で説明しようとしたものであったが、その門下に程頏(程明道)・程頤(程伊川)の兄弟が出て(のちに二程と呼ばれる)、そこに「理」「心」「性」それぞれが気と組み合わさる道筋をひらき、さらにこれを胡宏が「性」(性理)を中心に組み立てていくうちに、ここについに朱子が登場してすべてをかっさらう「理気学」としての朱子学を確立したのである。 それは気を扱ってまことに勇敢であり、いいかえれば儒の核心において仏教も道教もねじ伏せてしまうような理屈を駆使したものであった。気の思想からみると、朱子学は「一気→陰陽→五行」が重層的に展開する気の集散によって骨格をつくっている。これは気の一元論に近い。 しかし他方では、その中心コンセプトには仏教から採った「理」と道教から採った「気」とが扱われているのだから、朱子学は思想としてはすこぶる二元論的でもあった。しばしば理気二元論といわれるゆえんだ。 ところがどっこい、朱子その人はたんなる一元論にも二元論にもとどまらなかった。そこに「心」や「性」を加えたロジックを用意して、「一気→陰陽→五行」が「気-質-物」の三位一体とも「心性」や「性理」とも対応して、ときには「性即理」のイデオロギーが唸るように組み立てた。 理屈っぽいといえばこれほど理屈っぽい中国哲学もないが、ワーディングとロジックの組み合わせの妙からいえば、そうとう華麗なアクロバティック・エディティングでもあろう。ともかくもこうして朱子学は新儒学として、これまでの中国哲学の全般をディコンストラクションしたかのように見えるほどのもシステム理論になったのである。 けれども、どんな理論も近隣者からこそ不満は出るもので、続く陸九淵(陸象山)は朱子による「心」の扱いに不満をもって、そこから心学を引き抜き、新たな「心即理」のテーゼを引き出した。今日、朱子学あるいは宋学と呼ばれているのは、この朱子と陸九淵を足し合わせたものをいう。https://1000ya.isis.ne.jp/1443.html朱熹が重視したのは修行法の静坐 朱子が重視したのは静坐 - NAVER まとめ 朱子が重視したのは静坐のまとめ web.archive.org 日本の朱子学では静坐は廃れた「日本朱子学には極限的な主体性である「聖人」になるという思想はないゆえに①存在論が重視される」「この傾向をさらに発展させるのが浅見絅斎である。この段階になると、「敬」静坐は修養法(手段)としてほとんど意味がなくなる。つまり手段として静坐をすることはない」https://cir.nii.ac.jp/crid/1050282813402927872朱子学は道教との意見 朱子学は道教: 極東ブログ finalvent.cocolog-nifty.com 朱子学は道教ではないとの意見 朱子学は「道教」ではない - Living, Loving, Thinking, Again 2004年のテクストであるが、「朱子学は道教」http://finalvent.cocolog-nifty.com/far sumita-m.hatenadiary.com 道教から見た理学 朱子学北宋の滅亡後、意外と安定していた南宋王朝では、君主・臣下・学士などが理学[心の本体である性と宇宙の根本である理を中心問題とす る学問]に傾倒し、終日心性の説について語らった。理学はもともと儒教に仏教と道教が溶け込んだもので、三綱五常の神聖化を一歩進め、高 い宗教性を備えた学説になっていた。それは道教文化と同じ源から生まれたものだった。宋の理宗は理学に傾倒し、道教も好んでいた6、宋・遼・金・元の時代における道教の盛況と改新(1) 宋・遼・金・元の時期の王朝と道教http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-6.htm 宋・遼・金・元の時代における道教の盛況と改新 www2s.biglobe.ne.jp 理学とは「理」 はその質料を成立させる根拠-意味、形而上の存在であり、主として人間学に係わる、とされる。さらに朱子自身の思想形成でいえば、まず朱子は周濠渓の存在論と程伊川の理の哲学から出発し、やがて張横渠の気の哲学や部康節の宇宙論を取り入れて、自然と人間の両領域を覆う壮大な学問体系を樹立したのである。従って、朱子個人の思想史でいえば、単なる 「理」と「気」の二元論的接着ではなく、理の哲学がまずあって気の哲学がそれに包摂されたのである。朱子において、既に「理」の形而上学の意味における「理学」という語は初出していた…太極は万物の統体であり「ただこれ一個の理学である」と。逆に言えば、万物はおのおの、太極 (にして無極) という形而上的「理」を備えている、ことを扱う学が「理学」、であった。朱子学において『朱子語類』巻一の、これ理有りて後、これ気生まる、 有是 理後生是気」 とあるように、朱子においては理の気にたいする優先がいわれる。理は「形相」と違って表象性がなく「ロゴス」と違って物質性を拒否する。しかし同じ巻一でも別の箇所で、理が気に遅れて出る意味のこともいう近代日本における 「理学」 概念の成立 https://nichibun.repo.nii.ac.jp/records/2498https://nichibun.repo.nii.ac.jp/records/2498 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #道教 #朱子学 #朱子