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大正の太平洋戦争敗戦予想と戦前のシミュレーション
太平洋戦争前の大正時代に流行った日米未来戦記と戦争直前に敗戦予想3調査結果についてまとめてみます。
大正時代の日米未来戦記の流行
明治末から大正にかけて、黄禍論の流行により、アメリカの日本人移民へ向けられた悪意などから日米の関係が悪くなり将来日米が戦争をするという日米未来戦記が流行しました。大空襲も予想されていました。代表的な作品がへクター・C・バイウォーター”The Great Pacific War”『太平洋大戦争』です。
大正期における日米未来戦記の系譜 上田信道
「児童文学研究」第29号(1996.11.1 日本児童文学学会)
https://nob.internet.ne.jp/note/note_2.html#mokuji
▼小林信彦の本で知った人物・水野廣徳(@∀@)彼の仮想戦記『打開か破滅か 興亡の此一戦』も大したもので、1930年代に航空戦の時代を予測し、対米開戦→経済困窮→東京大空襲という流れを描写。よく考えたら「冷静で合理的な予測」にすぎないのだけれど。
— 九郎政宗 🕊️【∃】🌈🚩🖖 (@claw2003) August 31, 2017
へクター・C・バイウォーター”The Great Pacific War”『太平洋大戦争』
本書は邦訳も何種類もでて当時大ベストセラーとなりました。元ネタはバイウォーター自作の小説ではない研究本"Sea-power in the Pacific : a study of the American-Japanese naval problem"です。
”The Great Pacific War”の内容は以下のとおりです。
『太平洋海権論』 Sea Power in the Pacific はワシントン会議直前の1921(大正10)年に刊行された。平田がきわめてタイムリーな読み方をしたことがわかる。
残念ながら『太平洋海権論』は未見だが、ここにその小説化版『太平洋戦争』 The Great Pacific War (1925)がある。小山内宏氏『予言太平洋戦争』(新人物往来社)によれば、同書は
「日米両国の軍部、軍関係者の間では注目され、とくに海軍においては重視されていた」
「米海軍部内では盛んに読まれたし、日本の海軍大学校においてはこれが翻訳され、首脳部および学生のテキストにさえもちいられていた」
というから、専門家の間でも真面目に検討されていたようである。軍内部のみならず、原書刊行後間もない大正14~15年に堀敏一、北上亮二、石丸藤太らによる三種類の訳本がたてつづむに出版され、広く一般にも読まれた。
中国における利権の衝突から日米は交戦状態に陥り、日本は劈頭パナマ運河の封鎖、フィリピン・グァム占領、カリフォルニアへの潜水艦攻撃を敢行してアメリカに打撃を与えるが、ヤップ島沖海戦に敗れて、なしくずし的にグァム・フィリピンを奪還されてしまう。がぜん形勢有利となったアメリカは、空母を日本の太平洋沿岸に出動させ、艦載機で東京に降伏勧告の伝単を撒きちらす。戦意を失った日本は講和に同意
平田晋策の生涯1
国防問題への開眼
会津信吾
https://www.kaibido.jp/bunyoku/shinsaku/hirata1.html
山本五十六はバイウォーターを訪問したことがあるようです。そのせいで山本は、この本にないパールハーバー奇襲という作戦に固執したのかもしれません。
大日本帝国の日米戦シミュレーション
三つの調査があります。その結論は大日本帝国の敗戦でした。ですがなぜかその結論自体否定されています。
新庄健吉「 米國の國力調査 」 「 第一次報告書 」
ハルノートへの回答遅延にもかかわる新庄健吉が単独でまとめた調査です。
エンパイア・ステートビルの七階にあつた三井物産ニューヨーク支店に個室を用意して貰つた新庄は、徹頭徹尾、公開情報から米國の生産能力を推計します。
IBM のホレリス計算機を使つて 7月末に纏めた新庄の 「 第一次報告書 」 の主な數値は以下の通り ( 119-120頁 ) 。
數字は、米國の生産量と、日本の生産量の倍數。
鐵 鋼 生産量9500萬トン24倍
石 油 精製量1億1000萬バーレル無限倍
石 炭 産出量5億トン12倍
發 電 量1800萬kw4.5倍
アルミ生産量85萬トン8倍
航空機生産機數2萬機8倍
自動車生産台數620萬台50倍
船 舶 保有量1000萬トン1.5倍
工場 勞働者數3400萬人5倍
新庄の結論は實に單純明快です。
「 日米の工業力比率は、重工業 1對20/化學工業 1對3 」
「 この差を縮めることが不可能なら、せめてこの比率を維持せねばならない 」
「 そのためには、戰爭の全期間を通じて
米國の損害 100%以上/日本の損害 5%以内に留めねばならない 」
「 日本側の損害がそれ以上に達すれば、1對20/1對3 の比率が絶望的に擴大する 」
從つて、新庄の最終結論はかうです。
「 日米戰はば、日本は必ず負ける 」
この報告書は、ワシントン の日本大使館に居る岩畔豪雄大佐の許に届けられます。
8 月15日歸朝した岩畔豪雄は、
「 八月中旬から下旬にかけて、近衞總理、陸軍首腦部、海軍首腦部、宮内省首腦部、豊田外相らに直接面會して披露すると同時に、宮中で開催中の大本營連絡會議に出席して 1時間半に亙り委細説明し 」 ますが、
「 文武首腦者の頭を切換へさすに到らなかつたことは返す返すも痛恨の極みであつた 」 と ( 「 岩畔豪雄氏談話速記録 」 、二冊目 128頁 ) 。
秋丸機関 『英米合作経済抗戦力調査』
この調査結果は謄写本を全て焼却せよとなっていましたが、なぜか報告書が残存しているのが発見され、今は東大で公表されています。
「日米開戦前、昭和十六年に秋丸二郎主計中佐下で行われた各国経済力調査の話が興味深い。経済学者有沢広巳によって英米と日本の経済力が分析され報告が行われたという。本書で紹介される有沢の手記によると。
「日本班の中間報告では、日本の生産力はこれ以上増加する可能性はないということだった。軍の動員と労働力とのあいだの矛盾がはっきりと出てきていた。ドイツ班の中間報告もドイツの戦力は今が峠であるということだった。
ぼくたちの英米班の暫定報告は九月下旬にできあがった。日本が約五〇%の国民消費の切り下げに対し、アメリカは一五~二〇%の切り下げで、その当時の連合国に対する物資補給を除いて、約三五〇億ドルの実質戦費をまかなうことができ、それは日本の七・五倍にあたること、そしてそれでもってアメリカの戦争経済の構造はさしたる欠陥はみられないし、英米間の輸送の問題についても、アメリカの造船能力はUボートによる商船の撃沈トン数をはるかに上回るだけの増加が十分に可能である」(P189~190)
この報告を受けた杉山元参謀総長は「本報告の調査およびその推論の方法はおおむね完璧で間然するところがない。しかし、その結論は国策に反する。したがって、本報告の謄写本は全部ただちにこれを焼却せよ」(P190)と命じたという。」
総力戦研究所 予想
総力戦研究所による机上演習の報告会についてです。
その精緻な成果は、8月26日からの2日間、首相官邸報告会において、近衛首相、東条陸相ほか各大臣が居並ぶなかで発表された。
飯村所長の講評が終わると、冒頭で紹介したように、それまで克明にメモを取っていた東条陸相が立ち上がり、次のように発言したという。
「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまで机上の演習でありまして、実際の戦争というものは君たちの考えているようなものではないのであります。
日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。
しかし、勝ったのであります。
あの当時も列強による三国干渉で、止むにやまれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。
戦というものは、計画通りにいかない。意外裡なことが勝利につながっていく。
したがって、君たちの考えていることは机上の空論とはいわないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります。
なお、この机上演習の経過を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります」
東条の真向かいに座っていた前田勝二によれば、その表情は蒼ざめ、研究生たちの自由闊達な議論が政府や軍部批判に及んだ時はこめかみが心もち震えているように見えたという。