天地を動かし鬼神を感じさせる 詩 歌という慣用句

 言霊の根拠として古今和歌集仮名序の うたは「あめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ」が引用されています。それについてくわしくみてみましょう。

鬼神とは何か

中国では鬼とは亡くなった死者のことです。では「鬼神」とは何でしょうね。目に見えないのだそうです。墨家では重視されたそうです。

道教は上古時代の鬼神信仰を受け継いで,天地に遍く存在するとされた様々な鬼神に信仰を持っている。鬼神信仰の形によって,中国の倫理法則を保っている。

道教の鬼神信仰の源流となるものは,殷の上帝信仰に発する天の信仰,そして儒教に盛んに行われた祖先信仰,民間で各地に行われた巫法,さらに墨家の鬼神信仰である

華北農村における民間信仰と国家権力https://web.archive.org/web/20161220085357/http://reposit.sun.ac.jp/dspace/bitstream/10561/207/1/v9p167_ki.pdf

墨子が用いたのは、弟子たちに鬼神信仰を吹き込む方法であった。墨子は鬼神は 明知であって、人間のあらゆる行動を見通しており、善行には福をもたらし、悪行には禍いを下して、人間の倫理的行動を監督すると教えた。すなわち墨子は、鬼神の権威を借りた外部からの強制を、教化の有力な手段に据えた

龍は雲に登り神は崑崙に住む黄河文明の翳
浅野裕一https://web.archive.org/web/20140409115526/http://www.kankyo.tohoku.ac.jp/newsletter/newsletter11.pdf

天地鬼神に感応するのは漢詩の韻

天地鬼神に感応するのは漢詩の韻だそうです。

「音が天と感応するというこの思想は、おそらく『礼記』楽記などに見られる礼楽思想をもととしていることだろう。その意味では、律令官人の詠むべき音としての和歌とは、上表文に「楽を奉ること窮まること無く」と述べられる「楽」でもあり、純粋音としての問題である。」

「「韻は風俗の言語に異ひ、遊楽の精神を長す所以なり」と述べている。「風俗の言語」と比較して歌を特化していくのだが、『歌式』が問題にしているのは、歌そのものではなく、歌の「韻」なのである。だから、韻を踏まえない歌は言うまでなく、「俗人の言語」と変わらない歌も批判される(「直語」)。律令官人の詠むべき歌とは、普通の歌ではないのだ。この点が同じように毛詩大序を転用しつつも「生きとし生けるものいづれか歌を詠まざりける」と述べる古今仮名序とは全く異なっている。「六体無くは、何ぞ能く天人の際を感慰せしめむや」と『歌式』が述べるとき、天と感応する力とは、歌の韻にこそはらまれることになる。」

セミナー通信28号 2002.12.20
http://www.ne.jp/asahi/kodai/bungaku/tsushin28.html

天地鬼神は詩集の序の慣用句となっていた

 漢詩についての詩集の序に天地鬼神について以下のように慣用句的に記述されていました。
 日本の古今和歌集についても例外ではありませんでした。

毛詩大序では詩の顎生の原理を述べる中に「 天地」 鬼神」を遊べている以後の文学論にもこの毛詩大序の叙述を源として文学の意義を冒頭に立てるのは一つの決まったパターンになり、鍾喋『 詩品』序でも「 天地」「 鬼神」をそのまま踏襲している。」
「天地を動かし、鬼神を感ぜしむるは、詩より近きは莫し」

詩は世界を創るか : 中唐における詩と造物
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390009224843089536

「真名序のほうが原典となる毛詩大序(以下「詩序」と略す)の叙述順序をより尊重したためであろう。真名序の叙述順序は、ほぼそれに即しているのが分かる。」
「「詩は志の之く所なり。心に在るを志となし、言に発するを詩となす、情は中に動きて、言に形はる」、「天地を動かし、鬼神を感ずるは詩より近きは莫し」、「夫婦を経し、孝敬を成す」などの部分は明らかに真名序、さらに仮名序の記述の依拠するところとなっている」

「やまとうた」と「からうた」 - 古今和歌集の序文から見る - (日本像を探る)
https://nagoya.repo.nii.ac.jp/records/6502

資料

詩經の毛詩序

詩者,志之所之也。在心為志,發言為詩。情動於中而形於言,言之不足,故嗟嘆之;嗟嘆之不足,故永歌之;永歌之不足,不知手之舞之、足之蹈之也。情發於聲,聲成文謂之音。治世之音安以樂,其政和;亂世之音怨以怒,其政乖;亡國之音哀以思,其民困。故正得失,動天地,感鬼神,莫近於詩。

『詩經』毛詩序https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%B6%93/%E9%97%9C%E9%9B%8E#%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E5%BA%8F

古今和歌集真名序

夫和歌者、託其根於心地、發其花於詞林者也。人之在世不能無爲、思慮易遷、哀樂相變。感生於志、詠形於言。是以逸者其詞樂、怨者其吟悲。可以述懷、可以發憤。動天地、感鬼神、化人倫、和夫婦、莫宜於和歌

古今和歌集真名序

古今和歌集仮名序

やまとうたは、人のこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。よの中にあるひとことわざしげきものなれば、心におもふ事を、みるものきくものにつけていひいだせるなり。はなになくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり

https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86%E4%BB%AE%E5%90%8D%E5%BA%8F

神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理(後略)
神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり

万葉集第5巻
https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E5%B7%BB

志貴嶋 倭國者事霊之 所佐國叙 真福在与具
磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸くありこそ

万葉集第13巻
https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86/%E7%AC%AC%E5%8D%81%E4%B8%89%E5%B7%BB

事霊 八十衢 夕占問 占正謂 妹相依
言霊の八十の街に夕占問ふ占まさに告る妹は相寄らむ

万葉集第11巻https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86/%E7%AC%AC%E5%8D%81%E4%B8%80%E5%B7%BB


言霊ってどうなの?

 4500首掲載された『萬葉集』において言霊に触れた歌はわずか3首です。
 言霊は天地鬼神にふれた古今和歌集の仮名序が根拠にされていますが、たんなる慣用句的なものであるのならば、言霊ってどうなのでしょうか?疑問に思います。


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