泣くことは、自由ではなくなった
3歳の娘とおしゃべりをしていたときの話。
生き物の鳴き声あてクイズ。
ライオンはがおー!
カエルはゲコゲコ。
犬はワンワン。
すると娘が自分を指さして、
「〇〇ちゃんは?」
「えー、どうやって泣くの?」
「えーんえーんだよ」
「そっかー。正解だね」
「パパはなんて泣くの?」
「パパは大人だから、あまり泣かないかなー」
「えーどうして?」
どうしてでしょうね。
気づけば大人になるに従って泣くことって少なくなりました。
でも、それって改めて考えてみると、成長ではなくて泣くことができなくなったってことなのかなとも思えてきます。
泣けることってすごいこと
いま思うと、しっかりと涙を流して泣くことができるってすごいことです。
子どもはすぐに泣きます。
言いたいことを言葉でまだうまく伝えられないし、気持ちの制御も上手とはいえないから。
でも、泣くという行為は、すごくわかりやすくて、まっすぐな自己表現なんですね。
「これがわたしの気持ちなんだよ」
って、ありったけの力を込めて泣きます。
中には、「また泣いた」なんて思う人もいるかもしれませんが、あれほど自分の存在を出すことってなかなかないなって思います。
うちの娘もそれはしょっちゅう泣きます。
昨日も、食事中に立ち歩いて遊ぶから注意したら、
「パパは〇〇のことが嫌いなんだー!」
「もうパパ嫌いー!」
と大泣き。
とはいえ、実際に私のことが嫌いなわけではないんですけどね。
ゆっくり話を聞くと、遊びたかったんだと教えてくれます。
親は大変だけど、心の中の気持ちを表に出してくれるのは嬉しいですし、それができる子どもってうらやましいなとも思います。
大人になると泣けなくなる
でも、うらやましいからといって、私みたいな37歳のおっちゃんが急に感情のままに泣き出したら、そりゃドン引きですよね。
「押木さん、どうしたんだろう?」
ってものすごく心配されるか、とりあえず距離を置かれるか……。
もちろん私だってそんな泣き方はしませんし。
いつから、人って泣かなくなるのでしょうか。
小学生高学年にもなると、泣くとすぐに、
「泣き虫ー」
と周囲にからかわれたものです。
中学、高校といくと、泣いている人を見ると、
「なにこいつ泣いてるんだよ」
と冷たい視線を向けられることもあります。
自然と泣くこと自体がよくないことのように感じられてしまいます。
もちろん、自分の感情を制御できるようになったから泣かない、というのも一つです。
でも、それ以上に、大人になるに従って、泣くことが許されなくなったというような気がします。
実際、職場で指導をされただけで泣きだす同僚がいたら、困るのは事実ですし、
「きつくても、そこは頑張ってやろうよ」
という気持ちにもなります。
泣きたくても、泣けないんですよ。
本当に一番泣きたいときには、泣ける場所なんてそんなに存在しません。
逆にいうと、家族でも、恋人でも、友人でも、自分が泣ける場所を作ってくれる相手というのはなんて素敵な人なのだろうかとも思います。
大人になっても泣けることの大切さ
大人になると、感情のままに泣くことは難しくなりました。
でも、涙を流すということはそれだけで、とても大きな意味があります。
だから、人は感動するものを求めるのかもしれません。
それは、小説でも漫画でも映画でもいいと思います。
子どもが生まれると、「はじめてのおつかい」なんかがものすごく泣けますよね。
どこか、体の、心の内側に積もったものを、放出する場所を求めているのだと思います。
私の場合は、小説や漫画でわりとうるっときます。
年甲斐もなくとも思わなくはないのですが、人前ではなく隠れてこっそりなのでいいかな、なんて思っています。
これが、またすっきりするんですよね。
現実では感情をはっきり出すのが難しいからこそ、そうした世界で発散しているのだと感じます。
こんなことを書いていたら、なにか感動したくなりました。
なにかうるっとくる漫画でも読もうと思います。
ではではまた。
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