自我があるうちに。
今日は、映画館で『モービウス』を見てきました。作品の批評は苦手なので、本筋の直接的なネタバレ等もするつもりはありませんが、テーマ的な部分の話なので、何も情報を入れたくない方はご注意ください。
まず第一に、楽しい映画だったことは間違いないです。アクションもそれなりにあって、ストーリー展開もダークヒーローの誕生譚としては良かったと感じました。若干怖いシーンもありましたが(本当に若干)。ヒロインとヴィランの関係性に関しては、唐突さを感じるところもなくはなかったけど、話には入り込めました。
その上で映画を見て考えずにいられなかったのが、人に迷惑をかけるが自分が幸せに生きれるとなった時に、その選択をするのかということでした。主人公のモービウス博士は、体がかなり弱っている天才という立ち位置だったので、それなりに健康に問題なく生きている自分からするとその渇望の仕方をストレートに感じることはできないのですが、それなりの自分でも完璧な存在になれると言われれば、その力の欲しさは尋常ではないように感じます。
その上で、他人に迷惑をかけてしまうことをどのように考えるかが、ヒーローとヴィランの境目のように思いますが、自分はどうやっても土壇場で、自分のことを取ってしまうように感じました。自分の芯が弱いのもあると思うのですが、そこを自分の頭脳で自分に終わらせることを選択肢に入れられてしまう、モービウス博士にかっこよさを感じずにはいられませんでした。
自我を失ってしまったら、自分も自分を自分と考えられなくなり考えが変わるのかもしれないけど、自我があるうちにしか考えられないので、自我を失うくらいだったら死ぬのかな、それとも自我を失わないように他人に迷惑をかけてしまうのかな。どっちかはわからないけど、どっちにもならないよう、自我を失わないように生きていくのが一番なのかもしれない。