ランチェスター戦略の成功事例3選
書籍「ランチェスター戦略。弱者逆転の法則」に掲載されている成功事例3選をご紹介致します。
動画版は、こちら。
本書に関する解説記事は下記よりご覧ください。
企業事例① ピーターパン
株式会社ピーターパンは、年間19億円以上の売上と200万人もの来店者を誇る超繁盛パン屋です。船橋駅から車で5分ほどの場所にある本店は、ログハウス風の外観と50台収容の駐車場を備えています。店内は活気に満ち、焼きたてパンが次々と並べられ、お客様でにぎわっています。
創業者の横手和彦さんは、1978年に33歳で「焼きたてのパンの店ピーターパン」を開店しました。当初はパン屋と宅配ピザ店を展開し、95年には売上5億円を突破。しかし、ピザブームの終焉とともに経常利益が激減します。
この経験から、横手さんは経営戦略を見直し、「地域一番店」を目指すことを決意。98年、パン屋3店(売上1億8000万円)と宅配ピザ屋5店(売上3億6000万円)を経営していましたが、あえてピザ事業から撤退し、パン事業に集中することを決断します。
新たな経営理念として「お客様も楽しい、社員さんも楽しい、経営者も楽しい」経営を掲げ、差別化戦略を展開。「ちょっと贅沢、ちょっとおしゃれな食文化」をコンセプトに、常に焼きたてパンを提供することで、圧倒的な競争力を獲得しました。
価格は他店より1割以上安く設定しつつ、高品質を維持。その結果、客数と客単価が増加し、1日14回転という高い商品回転率を実現しました。さらに、大型店3店を三角形に配置する「三点攻略法」で地域シェアを拡大。2007年には年商10億円、経常利益1億円を突破し、パン事業の売上は7年で5倍以上に成長しました。
現在は横手さんの娘、大橋珠生社長のもと、7店舗まで拡大。大型店の年商は3億円と、平均的なパン屋の10倍の売上を誇ります。2015年にはメロンパンの24時間販売数でギネス世界記録も達成し、さらなる成長を続けています。
ピーターパンの成功は、経営理念に基づいた明確な戦略と、顧客満足を追求する姿勢によるものです。不況や原料高に左右されず、商品価値と価格のバランスを重視した経営が、この驚異的な成長を支えています。
企業事例② セルコ
コイルは、銅線を巻いて電流をエネルギーに変換する電子部品で、モーターやセンサーの核心部品として、自動車から家電、電子機器まで幅広く使用されています。かつては手作業による製造が主流で、多くの零細業者がこの分野を担っていました。
1970年、長野県小諸市で創業したセルコもその一つでした。創業者の弟である小林延行氏が現在社長を務めています。当初は廃バスを改造した簡易工場で手作業によるコイル製造を行っていましたが、やがて県内大手プリンターメーカーS社の下請けとして成長していきました。
自動コイル巻機の導入により生産性が向上し、月間数百万個のコイル製造を実現。最盛期には従業員120名、3工場体制にまで拡大しました。しかし、90年代初頭、S社の事業転換と生産拠点の海外移転により、セルコは経営危機に陥ります。従業員数は13名にまで縮小し、月商も1000万円程度まで落ち込みました。
この苦境を打開するきっかけとなったのは、2000年に小林氏が参加した経営者向け研修会でした。そこで、厳しい経済環境下でも奮闘している中小製造業の存在を知り、自社の可能性を再認識します。
小林氏は、量産品のアジアへの流出により、国内のコイル製造業者が減少している一方で、特殊なコイルの需要は依然として存在することに着目しました。そこで、セルコの技術力を活かし、開発・試作分野に特化する戦略を立てます。
営業活動では、大手メーカーの開発担当者をターゲットに絞り、「コイル&コイル周辺技術のソリューションパートナー」としての地位を確立していきました。顧客の具体的な問題解決に取り組むことで、独自性のある付加価値の高いコイルメーカーへと転身していったのです。
セルコの技術力は、高密度コイルの開発によって更に高められました。通常80%程度の占積率(全表面積に占める銅線の割合)を最大96%まで高めることに成功し、小型でありながらパワフルなコイルの製造を可能にしました。この技術は半導体や最新の情報機器に採用され、セルコの評判を高めることになりました。
さらに、医療分野への進出も果たします。内科医との共同研究により、生体電流の流れを整える「セルパップ」というコイル製品を開発。これにより、セルコは完成品メーカーとしての地位も確立しました。
技術革新を続けるセルコは、インダクタンスの精度を従来の±5%から±1%以下に向上させる巻線技術を確立。この技術を活かし、社会インフラ関連のセンサーコイルの受注に成功します。生産体制の強化のため、タイや中国大連にも拠点を設け、グローバルな展開を図っています。
セルコの高品質コイル部品は、ダイソン社の掃除機やH3ロケットにも採用されるなど、その技術力は広く認められています。さらに、EV化が進む自動車業界からも、高効率モーター開発のためにセルコの高密度コイル技術が注目を集めています。
このように、セルコは下請け企業から脱却し、独自の技術開発と顧客ニーズへの的確な対応によって、特殊コイル分野での競争力を獲得しました。常に技術革新に挑戦し、市場の変化に柔軟に対応してきたことが、セルコの成功の鍵となったのです。
企業事例③ ハウステンボス
1992年、長崎県佐世保市に総工費2200億円をかけて開業したハウステンボス(HTB)は、開業以来18年連続で赤字を計上し、二度の実質的経営破綻を経験しました。「バブルの負の遺産」「九州最大の不良債権」と呼ばれたこの巨大テーマパークの再建に、2010年4月、エイチ・アイ・エス創業者の澤田秀雄氏が挑みました。
澤田氏は、HTBの不振の原因が「オランダ村テーマパーク」という時代遅れのコンセプトにあると分析しました。かつて海外旅行が特別だった時代には、国内でオランダの雰囲気を味わえるHTBに意味がありましたが、今や誰もが気軽に本物のオランダに行ける時代。HTBの存在意義を見直す必要がありました。
澤田氏は、HTBを単なるテーマパークではなく、「東洋一美しい観光ビジネス都市」として再定義しました。クラシックな街並み、心癒される景色、そして良質な刺激を提供する場所。これこそが、人々が求める新しい都市の形だと考えたのです。
再建の第一歩として、澤田氏は社員に「志」と「夢」を語りかけました。「お客様を喜ばせ、感動させたい」という志と、「観光ビジネス都市」という夢を共有し、全員で再生を目指すことを呼びかけたのです。
具体的な戦略として、三つの基本方針を掲げました:
徹底的な清掃
経費20%削減と売上20%増加
明るく元気な仕事
一見すると当たり前に思えるこれらの方針ですが、澤田氏はこれらを徹底的に実行することで、他のテーマパークとの差別化を図りました。
経営改善策として、敷地の3分の1をフリーゾーンにし、有料ゾーンを集約。維持管理コストを削減しながら、賑わいを創出しました。また、仕入原価の見直しやマネジメント体制の変更、業務効率の向上にも取り組みました。
集客戦略では、入場料を3200円から2500円に下げて来場者数を増やし、魅力的なイベントで滞在時間を延ばすことで客単価の向上を図りました。「唯一」「日本一」「世界一」をキーワードに、AKB48のコンサートや『ONE PIECE』の企画展、100万本のバラ園、ゴッホ展、世界最大級のイルミネーションなど、話題性のある企画を次々と打ち出しました。
これらの取り組みの結果、HTBは半年で黒字化を達成。その後も、東日本大震災の影響下でも黒字を維持し、見事な再生を果たしました。
HTBの再建成功の真の象徴は、従業員の変化にありました。例えば、メリーゴーランドのスタッフが自主的に一日中踊り続けるなど、従業員たちが自ら楽しみながら顧客満足を追求する姿勢が生まれたのです。
澤田氏の「志」と「夢」、そして基本方針が従業員一人一人の心に響き、自発的な行動を促したことが、HTB再建の大きな原動力となりました。この「澤田マジック」と呼ばれる劇的な再生は、単なる経営戦略の成功ではなく、組織全体の意識改革と自主性の醸成によってもたらされたのです。
<後日談>ハウステンボスの現状
HISの再建により、2010年に100万人を切っていた年間来場者数が、2015年には300万人超にまで回復。しかし、コロナ禍の影響で再び100万人近くまで落ち込んだ。
2022年に投資ファンドPAGが買収し、再建にテーマパーク再建請負人・森岡毅を指名。更なる復活劇に挑んでいます。
有名な森岡氏によるUSJ再建事例は、下記よりご覧ください。