エッセイ
気づけば10月早すぎる、月を跨ぐたび◯月早すぎと言っている気がする。
外の涼しさが秋になって少しずつ切なくなってきた。あっという間に結婚式を終え、誕生日を終えました。
一つ一つ本当は噛み締めたいのに、仕事に没頭して余韻に浸る間もない。平日休みの、家に1人きりの時、ようやく写真を見ながら思い出に浸る、一つ一つ浸る。
人生の中の大きいイベントを終えたはずなのに、みんなこんな気持ちなのだろうか。もっと重く余韻に浸っていられると思っていたけど。もちろん素敵な時間だったのに、思っていたほど余韻に浸らせてはくれなかった、仕事のせい。というよりか仕事に向き合う私の気持ちのせいなのか。
式よりも先に沖縄に新婚旅行に行ったのだけど、悔しいくらいの曇天で。沖縄の海は無条件に綺麗だと思ったのにあれ?って、岩手の海と一緒じゃんって。5日間行った旅行の中で、唯一晴れ間が見えた3日目と4日目。沖縄の海とは光が入るから綺麗に見えるのだということを知りました。
大嫌いな仕事にも晴れると、まぁ仕方ない行くか。と思えてしまうくらいな私。
式だけは晴れてくれないとこれからの結婚生活を暗示されているようで病むのではないかと心配していた。(旦那も私がヒステリックになるんじゃないかと不安だったと思う)
プランナーさんも、「式場晴れることが多いから!雨が降ると逆に思い出に残るかもしれませんから!」と優しさで私たちに言ってくれていたな。
結果、シャボン玉が映えるくらいの晴れで、ガーデンを使いながらの式ができたこと本当に良かった。連日台風のニュースが流れる中で、遠方ゲストが多くてもしもの時はどうするの?と思いながらドキドキしていたから、母も「この日のために取っておいたんだね」って言っていた。
進学の時、誕生日の時、転職を決めた時、彼氏ができた時、管理栄養士を取った時。いつも周りからくれた「おめでとう」より、この先この人と生きていくと決めた結婚への「おめでとう」は今までのおめでとうとは重さの違う忘れられないおめでとうだったと思う。特別なおめでとう。
挙式の入場シーン、涙を流してくれていた友達のこれからの幸せに惜しみなく、心から嘘のない、おめでとうを掛けてあげたいと思いながら、みんなが幸せであるようにと願っていた式だったように思う。
一人暮らしをしていた頃、話し相手がいなかったから言葉や文章がたくさん浮かんできた。思いを言葉にしてメモに残していたり、全くと言っても続かなかった日記に書いてみたりしていたけど、最近は浮かばなくなってきてしまった。
ただ、懐かしい曲を聴いた時、もう冬が来るんだと思って切なくなった時、切なくなったあの頃の思い出を添えて感傷にふけている自分がいる。
全くこだわりがなく、こだわりがないとできない仕事に就く中で、ようやく、ようやく手に入れた職業にも関わらずやっぱり向いていないと落胆する日々。向いていないより、知識不足、知識不足なのに努力しようとしていない、努力しようと思えない。負のループにハマりながら、仕事とは自分の見栄で、素敵なメンズに出会った時、相手を落とせるように自信満々に職業を言えるようにちゃんとしなければいけない、自分のために自己啓発するためだけに頑張るものだと生活を二の次に考えていた私が、生活のためにこれからの家族のために、2人の生活を守るために働き続けなければいけないと身をもって理解した今はがむしゃらにやり続けるしかないと思っている。
とはいえ、こだわりの無さ。
今の大きな悩み。