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夏のはじまりに、その正体不明の正体をアブラカタブラと唱えた友人。

正体がわからないモノに惹かれるのは、なにも私だけじゃないだろう。これを読んでくれる人にもお伝えしたい。

その日、友人の仕事を手伝っていた私が見た温度計は37℃を指していた。

普段から外仕事を生業としている私は、外仕事が嫌いではないが、最近はあまりの暑さに年齢と共に少々軀がついていかなくなっている気がしている。そして、それを隠すように無駄に張り切ったりしている。

どうしてわざわざ仕事が休みの日に、この夏一番の暑さを友人の現場で味わっているのかは、深く考えないようにしていた。

暑さというものは、時間と共に軀が馴染んでくる、来月になるとおそらくあまり気にならなくなる。毎回不思議に思うが、人間の軀は本当によく出来ている。

気にならなくなるというのは、暑さがツラくないとかではなく、ツラいのだが暑さそのものをこちらが譲歩し、認めてあげ、そばにいても違和感がなくなり、暑さと仲良しに暮らしていける気になるというのが近い気持ちだと思う。

だがそれも、この夏の一番の暑さだと感じた最初の日は全くの別だ。全身から暑さを拒絶し、頭の中が真っ白になる。軀は軀でこの場にいるのは相応しくないと自分の意思とは関係なく、思いっきり倦怠感や重さで自己アピールしてくる。

仕事が終わったあとの家でのビールなどを想像して現実から逃げようとしても、思い浮かぶのは、努めて冷静に「アルコールは水分じゃないぞ。危険だぞ。倒れるぞ」とその場で飲むワケでもないのに想像ですら、現実逃避を許してはくれないでいる。

それでも私は、私の歴史の中で特にキレイな女性をイメージし、さらに私の好きな姿で、私を手招きする仕草を想像しようと考えるのだが、思い浮かんでくるのは、どうしても断固拒絶される姿になってしまう。

どうしても余裕なく切羽詰まると、その現実から逃げられずに心から欲する願いたいことや、思いたいこととは頭の中では真逆の結果になる。

それをふまえて私は毎年、暑い夏の初日に認識させられる。

私というものは、本当に自分の最後の瞬間に、幸せなことを思い浮かべることが出来ない人生なのだろうと。

それならば、出来る環境のときはなるべく好きなだけ妄想しておくべきだと。

その日、何十回目かの妄想女性に拒絶されながらも、懸命にアタックしていた私の目の前に現れたのは、まさに正体の知れないものだった。

私自身、その正体を知らなかったのだが、意思があるのか、何を感じて動いているのか、はたまた動くことすらも委ねているのか、全くわからない動き方で私の前に現れた。その正体を知らなかった私に友人が囁いた。

「これ、ほら、あの名前長いやつ。知らない?アブラカタブラみたいな。見ると幸せになるやつだぞ」

「お前が言ってる言葉が分からなすぎて、見ても幸せどころか、考えなければならない不幸のど真ん中に俺はいるけどな」

「いや、冗談じゃなくてこれ生きてるんだよ。知らないけど」

生きていると言われても、確かにどこをどうやって見ても、「知らないけど」と言う友人の気持ちは理解出来た。そうとしか表現出来ないのだ。

「ちょっと休憩しよう。俺達は今の状況を知るべきだ。この問題が何一つ解決せずに、時間が過ぎていこうとしている」

私は、そう言うと黙ってソイツに近付きカメラを構えてその姿を納めようとした。だが、ソイツはまるで意思があるのかないのか、照れ屋なのか照れ屋じゃないのか分からない様な動きでなかなかカメラに納まらなかった。

「な?生きてるだろ?」

友人は、不思議そうに私に言う。私も現状どうやって説明すれば良いのか分からないので頷くことしか出来なかった。

何度か試した後に、一瞬の隙を見逃さず私は撮影することに成功した。誰か私に惚れてもいいと思った。撮影した後に、私はこの正体不明のソイツを調べることにした。

綿毛みたいな生き物で入力して調べた。

見事に名前が判明した。

「ケサランパサラン」

どういうワケだか、本当に何なのか未だに正体不明とのことだった。

ウサギの毛玉のような動物系のものとタンポポの綿毛に似た植物系のものがあるとされる。正体は明らかではなく、以下のように“動物の毛玉”、“植物の花の冠毛”などいくつかの説がある。またはこれらすべてを総称してケサランパサランとして認識されている可能性がある。

Wikipedia参照

そんな不思議なものが現実に目の前に存在していることと、暑さで何が何だか分からなかったが私は友人に伝えた。

「アブラカタブラではないけど、言おうとしてることは分かったよ。これがそうなのか全く分からないけど」

私は友人に伝えた。友人は私に納得の表情で応えた。

「結局、何が何だか分からないって笑えるよな。お前のほら、やってるやつ。何だっけブログみたいなやつnoteのこと。読むと長くて読む気なくすあれ。あれに書けよ。知ってる人いるだろ?物知り祭り毎日やってるでしょ」

友人は、私がブログみたいなやつnoteのことに書いていることは知っているが、そこは物知り合戦競技の会場だと認識している。とてもそれを読む気持ちにはならないらしい。

私は図星すぎて、急所を打たれた気分になり思わず笑った。

「お前が言ってる言葉が分かりすぎて、幸福のど真ん中にいる気分だよ。一応書いて聞いてみるよ。物知りの人達に。だけどお前の言う通り、俺のは長すぎて、ほとんど読まれていないと思うぞ」

友人も笑っていたが、私はこれが本当にケサランパサランなのか、綿毛なのか、植物なのか、生き物なのか知りたくなっていた。もしかしたらブログみたいなやつnoteのこと にいる人達なら知っているかもしれないという期待を膨らませたが、ケサランパサランであると思われるソイツは、用が済んだように、あっという間に飛んでいなくなった。

「なぁケサランパサランがもし生きているとしたら、何をしてもらいたい?」

私は、友人に聞いた。

「秘密を隠す役割かな。神秘的で掴めないだろ。見ることで幸せになるなら、なおさら見て欲しくないものを隠しておいて欲しいな。その奥にあるものは本当に必要な人にしか知られないで欲しいからな」

友人は暑さにやられていたせいか、物語の世界の住人のようなロマンチックな回答をした。私はそれを聞きながら、どうしてそういうことになってしまうのか、全く説明出来ないことを想像してしまっていた。

まるで意志を持つかのように艶かしくフワフワと動く、モザイクとしてのケサランパサラン達を想像していた。

秘密を隠してその奥にあるものを想像して、私はとても幸せな気分になった。私も暑さにやられたことにしようとしながらも、その日はそれ以来妄想のキレイな女性に拒絶されても許せるようになった。

そしてこの日、何度も違う場所でケサランパサランを目撃した。

なんのはなしですか

これが一体何なのか。綿毛なのか、植物なのか、生き物なのか。皆様の周りでどう言い伝えられているか、どうか秘密を教えて欲しい。

ケサランパサランなのか




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